第29話 アディラリアと双子の魔女  1

「全ての魔法の根源は、生命にある。息をするように……呼気より出でて、吸気に還るってのが、基本でね、全てが流転しながら循環しているのさ。ほら、草が生えて、それを食べる羊がいて、羊を食べる狼がいて、けれど死した後には狼は土へと還って草を育てるってね」

 じりじりと照り付ける太陽の下、軍手をはめて白い帽子を被り、スコップを握るアディラリアの横で、リィザは如雨露の水を花壇に撒く。苗の入った木箱を運ぶルインが、野良仕事の様相が非常に似合わない美貌のアディラリアを半眼で見つめた。

「それで……?」

「だから、魔法を理解するには、太陽の恵みを感じ、日々育つ草花を見て、人が人としてあるべき姿で生きる素晴らしさを知らなきゃいけないわけだよ、ルイン君?」

 ぴんと人差し指を立てるアディラリアだが、土に塗れた軍手にその優美な手が包まれていると、いくら美人でもとても格好はつかない。着ている服も、麻のシャツと綿のズボンという簡素な出で立ちの彼女。淡い紫の光沢を持つ長い銀髪は、今日は三つ編みにして丸くピンで纏めて止めてあった。

「力仕事を押し付けたいだけじゃないのか?」

「おや、師匠に向かって、失礼だね。そういう悪い子は、破門だよ?」

 言い返すと、眠たげな目を細めて言われる。

 その紫の瞳が黒髪の男と重なって、ルインは深くため息を付いた。


 全戦全敗……。


 腹が立つことに、ルインは一度もあの黒髪の男に勝ったことがない。それどころか、二年間、ほぼ毎晩、あの男に転がされていた。

 夜になるとふらりと現れるあの男は、時々呂律が回っていないことがある。足取りもふらふらとおぼつかないことがあった。明らかに酩酊状態なのである。

 それなのに、ろくに魔法も使わないあの男に、魔獣化したルインが歯も立たないなど笑い事ではなかった。


――遅い!テメェはどこの亀だ?魔獣になるなって言ってるだろうが!判断力が落ちるんだよ!


 全身の呪詛を発動させて灰色の毛皮の魔獣に変わるルインを、あの男はそう怒鳴って叱責する。


――目で物を見ようとするな!折角、呪詛があるんだ。空気を感じ取って、鼻と肌で反応しろ!


 闇雲に突進してくるルインをあの男は軽々と避けて、細い足で一撃を食らわせながら指示した。


――神経をもっと尖らせるんだ!サボるんじゃねぇ!もっと緊張しろ!


 そんなことを言われても、ルインの緊張感は最大まで高まっているはずだった。それなのに、少しの妥協もあの男は許さない。


――魔獣化する寸前のぎりぎりのところで止めるんだ。人間の限界まで神経を尖らせて、高めて、境界に立て!そうすりゃ、どんな魔法使いも、お前に敵わなくなる!


 ひたすらに呪詛を抜こうとしたゼラと正反対で、あの男はルインに呪詛の使い方を教えてくれた。

 二年間毎晩あの男に転がされ続けて、いつの間にかルインは、近くで魔法が発動しても呪詛を反応させずに済むようになった。それどころか、視力や嗅覚を一時的に高めたり、有効に呪詛を利用できるようになった。


「アート……」

 忌々しくあの男の名を呟くと、眠たげなアディラリアが小首を傾げる。

「なに?」

 けぶるような長い睫毛の垂れ目の美女に、ルインは顔を歪めた。

「俺は、アートを呼んだんだよ」

「でも、アートは私だよ?」

 ぼんやりとした表情のまま首を反対側に傾げるアディラリアに、ルインは頑なに首を振る。何度アディラリアにそう言われても、あの飄々とした憎たらしい男と、目の前の優美な女が同一人物とはとても思えなかった。


 レイサラス・アート・アディラリア・アージェンディー・アディウル。


 それが、彼らの名前。

 どうして、男の姿と女の姿を持っているのか……そして、どちらが本当なのか、聞いても答えない彼らは、カードの裏と表を思わせる。

 太陽の下で優しく眠たげなアディラリアと、夜闇の中で苛烈で乱暴なアート。

 日が経てば経つほど、彼らの印象はかけ離れていく。

「ま、どこかの王様みたいに、双子と思い込みたければそれでもいいけど……さて、お昼はワッフルにするけど、食べていくよね?」

 膝の土を払って立ち上がったアディラリアに、ルインは眉間に皺を寄せた。それとは対照的に如雨露に水を汲んだリィザが目を輝かせる。

「メープルシロップ、使ってもいい?」

「いいよ?ルインには、スクランブルエッグもつけて上げよう」

 ふわりと微笑む顔に思わず見惚れてから、ルインは不承不承頷いた。魚は形からして苦手だったが、卵はルインの大好物。目玉焼きは形がグロテスクで食べたくなかったが、スクランブルエッグはお日様のような色がとても好きだった。

「じゃあ、サラダ菜、摘んでいくね」

 如雨露を片付けて庭の端の菜園に走るリィザに、アディラリアが声をかける。

「ミニトマトもお願い」

「うん」

 肩を越すくらいの髪を低く二つに括ったリィザは、相変わらず小柄で痩せていたが、麦藁帽子と簡素なワンピースの似合う十歳の少女になった。

 ルインは相変わらず背にかかる真っ直ぐな灰色の髪を一つ束ねた、二十代後半程度のやたらと背の高い青年に見える。けれどその中身がようやく十代の半ばを越えたばかりだということに、アディラリアは気付いて子ども扱いをしてくるのだ。

 優雅な白い帽子を脱いで、軍手も外して部屋に入るアディラリアの背筋は真っ直ぐに伸びている。その背中に手を伸ばし、肩を掴んでも、アディラリアは怒ったりしない。柔らかな髪に手を差し入れて、口付けを落としても、アディラリアは咎めたりしない。抱き締めて柔らかな体を自分の体と密着させて堪能しても、アディラリアは拒んだりしない。

「ルイン……流石に、それ以上は、困るかな。リィザが戻ってくる。それに、昼ごはんも作らないと」

 ひょろ長い腕の中に納まったアディラリアが、苦笑しながら軽く胸を押してきたのでルインは大人しく彼女を解放した。


 嫌だと言って泣いたあの小柄な魔法使い。

 その姉弟子というのに、この長身で細身の魔法使いは、簡単にルインに体を預けてくれる。


「また、夜に」

 そっと口付けられてキッチンに向かうアディラリアの背中を見ながら、ルインは自分が幼子のように宥められたことに苛立ちを感じた。

 夜にはアートがやってきてルインをひたすらに小突き回すのに。

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