第30話 アディラリアと双子の魔女  2

 その女はいつの間にか戸口に立っていた。

 背丈は小柄で顔立ちは愛らしく、少女のようなのに胸だけはしっかりと重量感がある彼女は、緩やかに波打つ艶やかな褐色の髪を片側で高く結んでいる。服装は光沢のあるビロードをふんだんに使った豪奢なもので、ミニスカートはふわふわと膨れていた。

 ヒールの高いエナメルの靴を光らせて、女は深い赤の目を細める。繊細なレースの日傘にリィザは目を丸くした。

「アートに会いたいのよ」

 高い声で威圧的に言われて、リィザは眉間に皺を寄せる。目の前の相手がなんとなく魔法使いだということは分かったが、いきなりパールピンクに爪が塗られた指先を突きつけられるといい気持ちはしない。

「アディのこと?」

 何度かルインとの会話の中に、そんな名前が出てきたことを思いだし、問いかけるリィザに、女はきっぱりと首を振った。

「全然違う。アートに会いたいのよ。アディは私が嫌いだもの」

 紅い目がほんのりと光るのを見て、リィザははっとして後退りする。魔法の才能はほとんどないが、リィザも魔法の気配くらいは読めた。手を顔の前で違う高さに掲げて呪文の詠唱を始めた女に、リィザは足が地面にへばりついたかのように動けなくなってしまう。

 にぃっとピンクのルージュが引かれた女の唇が笑みの形になった。

「やめなさい、リンフィス」

 女の魔法が発動する寸前に、女の傍らが一瞬揺らいで、空間を捻じ曲げるようにして濃紺のマントを目深に被った人物が出現する。背丈は女くらいだが、明らかに声の低いその人物は、男のようだった。

「姉が失礼をしたようだ……すまない。アディラリアに声をかけてもらえないか。残念ながら、僕たちは許可なく彼女の領域に入れないので」

 マントの中の顔は影になって全く見えないが、静かな物言いと声から、背丈こそ小柄だが相手がきちんとした大人だと分かり、リィザは胸を撫で下ろす。

「えーっと、なんて言えばいいかな?」

 悩んでから聞くリィザに、マントの男は短く答えた。

「ティーの使いで、ラージェとリンフィスが来たと言えば、分かる」

 柔らかな優しい声音に、リィザはほっと息をつく。しかし、彼の述べた名前を反芻して、目を剥いた。


 『星の舟』のラージェとリンフィス。

 それは、六つ名の双子の魔女ではなかっただろうか。


「双子の魔女……」

 呟いてから、リィザはまじまじとマントの男を凝視する。男の方もマントの中からリィザを見返したようだった。

「それは……『星の舟』の連中が付けた呼称だ。姉は確かに魔女だが、僕は男、魔法使いとしか呼ばれない存在だ」

 柔らかだが平坦な声は、どこか甘い。近付いてくる男から、ふわりと漂う香りに、リィザは目眩を感じた。


「求められるならば晒そう。僕が『星の舟』のシド姉弟きょうだいの片割れ、シド・ラジェンドラ・リンフィス・セリド・ダージェル・エセルグ」


 マントのフードを外した男の顔を見て、リィザは悲鳴を飲み込む。

 細かな漆黒の起毛に覆われたその顔は、猫そのものだった。更に、純白の髪の中にぴんと尖った耳までがある。

 人間の形に引き伸ばされた、紅い目に白い髪の黒猫……そうとしか言えない奇妙な生き物がそこにいた。

「あら、こんな若い魔法使いを威嚇?じゃあ、私も名乗りましょう。私はシド姉弟の片割れ、シド・リンフィス・ラジェンドラ・セリア・ダージェル・エセルド。大抵の人間は、私をリンフィス、彼をラージェと呼ぶわ」

 当然のように弟の肩に手を回し、後ろから抱きつくようにして嫣然と微笑むリンフィスだが、リィザの後方から現れた人物を目にして、笑みを消す。

「いつまでも戻ってこないと思ったら……お前ら、魔法使いか?」

 リィザを後ろに押しやりながら灰色の細い目で睨み付けたルインに、リンフィスが肩を竦めた。

「お前が噂の呪詛持ちね。うちのラージェに、アートに……ここは呪詛持ちが集まる場なのかしら」

 つんと顎を反らして言うリンフィスに、ルインが舌先を出す。

「は……どんな噂なんだか。用があるなら、呼び鈴鳴らせばいいだろうが、オキャクサン」

 指摘されてリンフィスとラージェは顔を見合わせた。

「それは、そうだな」

 素直に頷いて門の方に回ろうとするラージェの尻尾を、リンフィスが思い切り掴む。

「うるさいわね。魔法使いの接近くらい、アディもアートも察知できるはずでしょう。呪詛持ちを偵察に寄越さず、さっさと来ればいいのに」

「ワッフルが焦げる」

 淡々と返すルインに、リンフィスは細く絞られたウエストに手を当てた。

「そんなもの焼いてるの、あの男女は。そんな暇があったら、さっさとサウスのところに行きなさい!」

 サウスという名を耳にして、ルインの表情に緊張が走る。それを感じ取ったのか、ラージェは尖った耳を僅かに震わせた。

「サウスが……何か?」

 低く唸るように問いかけたルインの耳に、遥か遠くの町の方から鐘の音が聞こえてくる。あれは神殿の鐘だろうか。

「生まれたようね」

 長く息を吐いたリンフィスの表情の暗さに、ルインは眉間の皺を深くした。

「生まれた?何が?」

 嫌な予感を押さえつつ問い返したルインに、嘲笑うような表情になったリンフィスを押しのけ、ラージェが前に出る。ラージェは細かな起毛で覆われた漆黒の手を差し出し、深い紅色の目を悲しげに曇らせた。

「知らなかったのか……」

「何を?」

 間髪をいれず問い返すルインに、ラージェは静かに告げる。


「キエラザイト皇帝の妾妃、ゼルランディアが」


 それ以上は聞きたくなくて踵を返したルインの背中を、非情な言葉が追ってきた。


「次期皇帝を、生んだ」

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