第27話 アディラリアと弟子  4

 鎖や呪符で厳重に拘束された魔獣を部屋の中に運び込んで、客間に転がしたアディラリアは、部屋の隅で小さくなって震えているリィザに目を向ける。真っ青な顔で閉じた扉を見据えるリィザを、アディラリアは抱き寄せた。リィザはアディラリアの腹に顔をくっつけて泣き出す。

 焦げ茶色の髪を撫でながら、アディラリアは気だるく微笑んだ。今日一日の怒涛のような出来事に、疲れきっている彼女の目は、いつも以上に垂れて眠たげだ。

「魔法使いなんて、こんな風に面倒ばかり抱え込むものなんだよ。」

 嘆じるように呟くアディラリアの服を、リィザは強く握り締める。

「それでも、あたしには、行く場所が、ないもの。」

 しゃくり上げながらすでに決めた目でアディラリアを見たリィザに、アディラリアはとうとう降参と両手を上げた。

 リィザの手を引き、二階に上がって広い書斎や仕事部屋の前を通り抜け、アディラリアは廊下の一番端に辿り着いた。そこにかけてある梯子を昇ると、三階の屋根裏部屋に着く。天井の低いそこは、キルティングのベッドカバーが敷かれたベッドや簡素な木の椅子や机が置いてあって、奥には天使の絵が描いてある年代物のクローゼットが据えてあった。

「私が子どもの時、兄が揃えてくれた家具なんだけど、何となく処分できなくて、実家から持ってきちゃってて……ここを使っていいよ。ここを、君の部屋にしようね。」

 言って腰を屈めて奥まで歩き、クローゼットを開くと、そこにはカントリー風のワンピースがぎっしりと詰まっている。

「まぁ、これも、嫌いじゃなければ着ていいよ。サイズは色々あるから。他に、衣装箪笥を一つ用意しようね。それに、服も、靴も。」

 包帯が巻かれた足を見下ろして言うアディラリアに、リィザは目を丸くした。

「あたしの、服?」

「そう。毎日それを着ているわけにはいかないでしょう。靴だって、あんな履きにくいのじゃなくて、もっと柔らかくて足に合うものを揃えないと。」

「でも、あたし、そんなお金、持ってないよ?」

 必死の形相でアディラリアを見上げるリィザに、アディラリアは思わず吹き出す。

「馬鹿なことを考えちゃ駄目だよ。私は無駄にお金貰ってるから、可愛い娘に貢くらいでちょうどいいの。」

 くしゃりとリィザの髪をなでると、リィザは身を硬くした。

「あたしを……買うの?」

 とても八歳とは思えないその物言いに、アディラリアは眉を顰める。リィザはシャツの胸の辺りを握り締めて、震えてアディラリアを凝視した。

「さっきの女の人に、言ってたよね……あたしの体を触ったり、体に触らせたり、するの?」

 その口調から、アディラリアはリィザがそういう行為を受けていたことを確信する。

 彼女は八歳。

 人買いに売られてもおかしくはない年齢には達していた。

「リィザ。」

 名前を呼んで髪を撫で、眼前に膝をつくとリィザは焦げ茶色の目に涙をためてアディラリアを見つめる。その目に僅かな信頼の色を見取って、アディラリアは安心した。


「私を含めて誰も、君の体に君の許しなく触れることはできないし、君に誰かの体に触れることを無理強いすることはできないんだよ。君の体も、心も、全て君だけのものだから。」


 紫の目を細めると、リィザは安堵したようにその場に座り込む。

「お母さんが……お前は卑しい子だからって……。」

 嗚咽交じりに呟くリィザに、アディラリアは緩々と首を振った。

「君が卑しいか素晴らしいかは、君のお母さんでも決められないよ。全部、君がそうなろうと思って努力することによって、卑しくも素晴らしくもなる。どこの誰から生まれても、どこで生まれても、そんなことは全然関係がないんだよ。」


 それはかつて、エルグヴィドーがアディラリアに言った言葉。

 木々に死体がオーナメントのようにぶら下がる、あの暗い森で、ただ一人、世界を憎悪していた幼いアディラリアに、差し伸べられた手。


 遠い昔のことを思い出しながら、アディラリアはリィザに手を差し伸べる。

 リィザの小さな手がアディラリアのそれと重なった。



 目を開けた時に目の前にいた男に、魔獣は思わず身構える。夜明け前の冷えた空気が簡素な部屋を満たしていた。

 魔獣……灰色の髪に灰色の目のひょろりと長身の青年に戻った元魔獣に、漆黒の髪の男はにっこりと微笑む。

「やあ、諸悪の根源くん。」

 明るく挨拶をされて元魔獣は半眼になった。

「ルイン、だ。……あんた、誰だ?ここは?」

 問いかけてから自分が裸だということに気付き、ルインは黒髪の男の表情を伺う。裸のまま立ち上がっても、細身の体に簡素なシャツとズボン姿の男は、挑むようにルインの目を見ていた。

「アートだ。」

 腰くらいまである真っ直ぐな黒髪が風もないのにさらりと揺れる。アートと名乗った男の紫の目に、ルインは悪寒を感じた。

「君と同じ、化け物さ。よろしく、同類くん。」

 片手を差し出され、ルインはその手を凝視する。四角く切られたアートの爪は、黒く塗られていた。

 その手を握る気にもなれず睨んでいると、アートは残念そうに手を引いて肩を竦める。

「警戒しなくていい。俺は別に処刑人でも何でもないんでね。それに、ここはキエラザイトじゃない。自由都市、シーマ・カーンだ。」

 芝居がかった動作で窓際に歩み寄り、窓を開けると風が流れ込んできた。草の香りのするその風は、キエラザイト帝国のカリンサ領と似ていたが、その温度が明らかに違う。南の風はカリンサ領の刺すような冷たさは備えていなかった。

「シーマ・カーン……。」

 不思議そうに呟くルインの言葉が、意外に幼いことに気付いてアートは端の吊り上がった目を細める。

「その顔だと、俺のことも知らないようだね。まぁ、いいさ。ゆっくり覚えていけば。」

 言ってから小首を傾げてルインを見上げるアートに、はっと息を飲みルインは詰め寄った。


「ゼラは?」


「連れて行かれた。多分、夜が明ければキエラザイト皇帝の妾妃の一人に加えられるだろうね。」


 軽い口調で答えるアートの胸倉を掴み上げるルインの股間を、アートは容赦なく蹴り上げる。衝撃に蹲ったルインの顎を、アートの指が捕らえた。

「覚えておけよ、小僧。これが君の軽率な行動の結果だ。物事には全て、原因と結果がある。そして、誰もそれからは逃れられない。」

 厳しい口調で述べてから、アートはルインと額を付き合わせる。間近に見合う灰色の目と紫の目。

 そのどちらも、人間のそれとは思えない不気味な光を宿している。

「悔しいか?」

 アートの問いかけに、ルインは喉の奥で唸った。全身が総毛立ち、薄っすらと赤黒い呪詛が浮かび上がる。

「悔しいだろう?悔しいよな。愚かで幼く未熟で未成熟な己が、限りなく悔しいよな?」

 呪うように、歌うようにすらすらと述べるアートを、焼き尽くさんばかりにルインは睨み付けた。

「いい目だね。教えてやるよ。」

 ふっと飛び退き、窓際に立ったアートをルインは呆然と見つめる。


「アート・アディラリア・アージェンディー・アディウル様が、君に戦い方を伝授しよう。」


 にっこりと微笑むアートの漆黒の髪は、登る朝日に照らされてきらきらと輝く銀色に変わりつつあった。

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