第26話 アディラリアと弟子 3
年を問うと、リィザは八歳だと答えた。
食事の間中、上目遣いにアディラリアの顔色を伺ってくるリィザに、アディラリアは眠たげに微笑む。
体付きを強調するようなデザインの漆黒ドレスを纏ったアディラリア。スカートの両脇のスリットは足の付け根近くまで入っている。イヤリングは動くたびにしゃらしゃらと鳴る、細い鎖の何本もついたものだし、爪だって長めに伸ばして四角く切って黒く塗っているアディラリア。
見ているものが安心できるような格好では到底ない。
アディラリアがリィザを見ると、リィザは怯えたように視線を逸らした。ため息を付き、片手で髪をかき上げてアディラリアは組んでいた足を解く。身を乗り出すとリィザの肩がびくりと震えた。
「リィザ、君は本当に、魔法使いになりたい?」
問いかけられてスープ皿を抱え込んだリィザは眉を顰める。
「そのために、ここに連れてこられたんでしょう?」
問い返されてアディラリアは目を瞬かせた。
「それはどうだか。エルグの思惑は分からないけど、私は私の好きにやるだけだよ。魔法使いになりたくないなら、私は君の引き取り手を探すさ。」
引き取り手、という単語を耳にしてリィザは顔をくしゃくしゃにする。
「どこかに、行かなきゃいけないの?」
たらい回しにされると思わせてしまった失態に胸中で舌打ちして、アディラリアは優しい笑顔を作った。
「行きたくなければここにいていいよ。色んな変な客が来るけど……その辺を気にしなければ。」
間延びしたように呟いてから、その他の問題点に思い当たり、アディラリアは視線を天井に巡らせる。
八歳の子どもはいつまでも八歳ではない。
やがて年頃になり、大人になるだろう。
「魔法使いに……ならなきゃ、いけない?」
リィザの問いかけに、アディラリアは苦笑した。
「魔法使い?楽しくない仕事だよ?偏見ばかりだし、結婚は出来ないし、国からの生活援助金も全く出ないし……。ならなくてもいいと思うよ。」
そこで言葉を切って、アディラリアはリィザを指差す。
「ならないなら、ここにいると面倒ごとばかり舞い込んでくると思うよ。」
同じ
かつて笑ってそんなことを言ったのは、あの褐色の肌の魔法使いだった。
抱え込んだスープ皿を放し、スプーンをテーブルの上に置いて、リィザは俯いた。その焦げ茶色の目に涙が浮かんでいる。
淡い紫の光沢を持つ銀色の髪をかき上げ、アディラリアはため息を付いた。テーブルに肘を付いて横目でリィザを見つめると、リィザはおずおずとアディラリアを見上げてくる。
「アディラリアさんは……あたしがいると、迷惑?」
問われてアディラリアは目を瞬かせた。
「弟が、いるの。リィオって言うんだけど……ここにいなかったら……魔法使いにならなかったら、お母さんは、リィオに会わせてくれないかもしれない……。」
腹の前で組んだ両手を握り締め、リィザは涙を零す。ぽたぽたと落ちた水滴は、リィザのズボンに濃い色の染みを作った。
声をかけかねてアディラリアは椅子を立つ。茶を煎れようと、背後の食器棚からポットを取り出した瞬間、激しくドアが叩かれた。
アディラリアは短く息を吐いて、ポットをテーブルの上に置き、歩き出す。玄関に向かいながら、アディラリアはちらりとリィザを振り向いた。
怯えた表情でアディラリアに視線だけで助けを求めるリィザに、アディラリアは片手を述べる。駆け寄ったリィザをアディラリアは片腕で抱き上げた。
小柄な少女を担ぐようにして歩き出したアディラリアの、意外に頼りになる骨ばった肩に抱きついて、リィザは淡い紫の光沢のある銀髪に頬を寄せる。
絹糸のように滑らかで柔らかいアディラリアの髪は、微かに花の香りがした。
扉を開けたとたんに、粉袋のように無造作に玄関先に放り出された生き物を見下ろして、アディラリアは目を丸くする。
明らかに意識のない生き物から視線を外して、レースの付いたキャミソールに薄いカーディガンを羽織って、細身のズボンを履いただけの女性に目を向けたアディラリア。豪奢な栗色の巻き毛の彼女は憮然として両腕を組んでいた。
「キエラザイト皇帝正妃様からの贈り物よ。」
目を合わせようともしない彼女に、アディラリアはいつもの気だるい笑みを浮かべる。
「久しぶりだね、イージャ。相変わらず、美人だねぇ。」
リィザの乗っていない片腕を広げてまでの歓迎に、イージャは片手を額にやった。
薄暗闇の玄関先に立っているイージャの顔は、疲労の色が濃い。それに対して、眠たげな垂れ目で微笑むアディラリアは、真っ直ぐな長い髪も美しく、完璧な美女だった。
「ソレは、何?食べ物かしら?」
肩に担がれているリィザを指差すイージャの手を掴み、その指先にアディラリアは音を立てて口付ける。イージャは明らかに顔を歪めて飛び退った。
「美味しくいただくなら、君の方が好みだなぁ。ほら、その胸とか、胸とか、胸とか……それに、胸とか。」
「あたしの価値は胸だけなのね。」
深くため息を付いてからイージャは嫌悪の表情で、口紅のついた指先をズボンの尻で拭いて、靴の爪先で玄関先に転がっている生き物を突く。
「サウス正妃から、愛しいあなたに。」
「やめて欲しいなぁ、私、もう、あの男の恋人でも何でもないんだよ。むしろ、あの男とは相性が悪くてね。名前聞いただけで、鳥肌立っちゃうよ?」
ほら、と袖を捲るアディラリアに、イージャは苦々しい表情で告げた。
「ゼルランディアからの、贈り物でも、あるわよ!」
姉弟子の名前を持ち出されて、アディラリアはまじまじと落ちている生き物を見つめる。灰色の毛皮に包まれた薄汚く異臭を放つ獣は、確かに人間の痕跡があった。
所々に飛んでいる赤黒い液体は、血だろうか。
「うちの若い魔法使いを殺そうとしたのよ、こいつ。……まぁ、ゼルランディアを人質にとられて、逆上して、だけどね。それで、ゼルランディアがその魔法使いに止めを刺して……。」
先を話されるまでもなく、アディラリアは顔色を変えてイージャに詰め寄った。
「ゼラは?サウスは何をしてたんだ!」
「サウス正妃が、連れ去ったわよ、王宮に。」
冷たく告げるイージャの声に、アディラリアはおっとりとした様子をかなぐり捨てて、歯噛みする。
「くそっ、あの馬鹿男、まだ諦めてなかったのか!……ちょっと、持ってて。」
舌打ちをしてアディラリアは、イージャの腕にリィザを押し付けた。そのままイージャの横を通り過ぎて庭に立ち、両腕を広げぶつぶつと呪文を唱え始めるアディラリア。震えるリィザを抱きとめたイージャは、呪文を耳にして目を剥く。
「何を、するつもり?」
「飛ぶ!」
呪文に呼応するように起こった風がアディラリアの長い髪を舞い上げた。その髪と腕が繋がり、彼女の腕が巨大な翼へと変貌していく。
アディラリアの淡い紫の光沢を持つ銀の髪が、夜の闇を思わせる漆黒の羽根に変わっていくにつれて、彼女を取り巻く風も強くなった。
暴風からリィザを守るように抱き締めたイージャは、風を起こして今にも中空に舞い上がろうとするアディラリアに声をかける。
「無駄よ!サウス正妃に敵うわけがないわ!」
「あの馬鹿の横っ面、殴ってやる!」
鼻先が長く伸び、乱食いの牙が生えたアディラリアの顔は、ビロードのような起毛に覆われていった。長い尻尾が生え、彼女は見る見るうちに漆黒の翼竜へと姿を変えていく。
「ゼルランディアはそんなこと、望んでない!」
イージャの叫びに、アディラリアは紫の目をようやく彼女に向けた。彼女の腕の中で、怯えきったリィザが泣き出す。リィザの痩せた背中を撫でながら、イージャは静かに呟いた。
「今行けば……あなたはこの子も、魔獣も、見捨てることになるのよ……挙句の果てに、レイサラス家まで抗争に巻き込むことになるかもしれない……。」
自分の立場と身の程を知れと告げるイージャに、アディラリアはぺたりと庭の草の上に座り込む。
呪文が解け、漆黒の髪がばさばさとアディラリアの白い肩の上に落ちてきた。
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