第25話 アディラリアと弟子  2

 痩せこけた少女がよたよたと歩いてくるのを見て、アディラリアは眉を顰めた。焦げ茶色の目が伺うようにこちらを見てくる。

 焦げ茶色の目と髪のごく平凡な顔立ちの少女。ばさばさと適当に肩の辺りで切られた髪と、急に用意したであろう真新しいコートやズボン、ブーツがあまりにも不似合いだった。

「リィザ、だ。」

 簡潔に述べただけで踵を返そうとするエルグヴィドーに、アディラリアは思わず駆け寄っていた。

「この……馬鹿!」

 兄でなければ殴り飛ばすつもりだった片手を下ろし、アディラリアはエルグヴィドーを睨み付ける。突然の罵倒に困惑顔になるエルグヴィドーに、アディラリアはほとんど背丈の変わらぬ兄の肩を抱くようにして低く耳に囁いた。

「どれだけ、歩かせた?」

「どれだけって……乗合馬車の駅までだ。十分も歩いていないはずだ。」

 ごく普通のことのように述べるエルグヴィドーに、アディラリアは頭を抱える。

「あんた、自分がどれほど健脚か、知りもしないだろうが!あぁ!もぉ!男ってどうしてこんなに気が利かないんだ!」

 普段のおっとりした様子をかなぐり捨て、素早くリィザに駆け寄ったアディラリアは、片手で彼女の体を抱き上げた。恐ろしく軽いその体を担いだまま、兄など放って家に入っていくアディラリアを、エルグヴィドーは慌てて追いかける。

 夕暮れ時の町外れ。白く塗装された二階建ての家と可愛らしく整えられた広い庭。玄関前には薔薇のアーチがあるが、それは既に盛りを終えていた。

 アーチを潜り、玄関から上がろうとすると、アディラリアから「靴!」と怒鳴られてエルグヴィドーは廊下にかけようとした足を下ろし、ブーツを脱ぐ。スリッパに履き替えて廊下を走り、部屋に入ると、アディラリアは無表情のリィザを椅子に座らせて、そのブーツを脱がせているところだった。

 ブーツの中から現れた小さな足は靴下に包まれていて、それはじっとりと濡れている。濃い色の靴下なのでそれが血だと気付くまで、しばらくの時間を要した。

「怪我を……?何で、黙ってた?」

 愕然とするエルグヴィドーにアディラリアは白い目を向ける。

「靴擦れだよ。普通、考えれば分かるでしょう、真新しい靴を履いた子を歩かせればどうなるか。こんな靴、履いたことなかったんだろうね。」

 痩せた足を見つめてため息を付くアディラリアに、エルグヴィドーは俯いた。

「湯を持ってきて。」

 立ち上がり、棚の薬瓶を手に取るアディラリアにエルグヴィドーは黙って風呂場に向かう。洗面器に湯を張って戻ってきたエルグヴィドーからそれを受け取り、アディラリアはリィザの前に膝をついて丁寧にリィザの足を洗った。

 指示されずとも持ってきたタオルをエルグヴィドーから受け取り、アディラリアはリィザの足を拭いて薬を塗る。勝手知ったる様子で包帯を棚から取り、差し出すエルグヴィドー。アディラリアはリィザの足に包帯を巻いた。

「ごめんね、配慮のない兄で。私はこの男の妹。アディラリアっていう名前だよ?」

 優しく微笑みながら名乗るアディラリアを、リィザは眉間に皺を寄せて見つめるだけで言葉を発しようとはしない。ぱさぱさの髪に触れ、額を撫でると嫌悪をあらわにして身を竦めるリィザ。

 構わずたおやかな両腕でリィザを抱き締めるアディラリアに、リィザは一瞬目を見開いた後アディラリアの豊かな胸に顔を埋めぎゅっと目を閉じた。

「アディ……。」

 どう声をかけるべきか躊躇っている風情のエルグヴィドーに、アディラリアは紫の目をちらりと向ける。

「確かに受け取ったよ。じゃあね。」

 手すらも振らず、あっさりと視線を外してしまう薄情な妹に、エルグヴィドーは思わず手を差し出した。肩に触れようとすると、ひどく冷ややかな目で睨まれる。

「何、その手?オニイサマったら、バッセルの帝都でセクハラを覚えてきたワケ?」

 言われてエルグヴィドーはため息を付いた。

「馬鹿を言え……。他の連中は私が黙らせるから、いつでも戻ってきていいからな。」

「レイサラスの化け物が黙るはずがない。」

 レイサラス家の屋敷で魔法使いの権化とばかりにのさばる皺だらけの老人たちを思い出し、アディラリアは苦笑する。それからリィザを放し立ち上がって、アディラリアはエルグヴィドーに向き直った。

「気をつけて。元気でね、エルグ。」

 それは永遠の別れを告げる台詞のようだった。


 アディラリアとエルグヴィドーの年齢差は四つ。

 二人はほとんど同じ期間、『星の舟』にいた。

 優秀で美しい妹のアディラリアと、そこそこに優秀でありながらもサウスには敵わず、アディラリアにすら抜かされてしまうエルグヴィドー。

 けれど、レイサラス家の当主に選ばれたのはエルグヴィドーの方だった。

 アディラリアの魔法使いとしての才能は、あまりにも特異でありすぎたのである。

 彼女が攻撃系の魔法使いとしてやっていくのは難しいだろうと誰もが言い、彼女自身もそれを認めた。

 薬剤系のルヴィウスに弟子入りするアディラリアの才能を惜しんだのは、後にアディラリアの恋人になるサウスだけだった。

 けれど、サウスもすぐにアディラリアの傍を離れていく。


 淡い紫の光沢を持つ銀の髪に紫の目、美しいアディラリア。

 憂い顔は儚さを引き立て、彼女の美貌をますます際立たせる。

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