第24話 アディラリアと弟子  1

 誰かの呼び声を聞いた気がした。


 寝台の上に起き上がると部屋の隅で、木彫りの子ブタの全身が薄っすらとピンクに光っているのに気付いて、アディラリアはよろよろとそれに向かう。途中、ローブの裾を踏んづけて前につんのめっても、アディラリアは大して動揺せず木彫りの子ブタの元に辿り着いた。

 窓際の簡素な丸いテーブルの上に置いてあるブタに触れると、それはぱっかりと口を開ける。その口から映し出された人物に、アディラリアはため息を付いた。

 白いサーコートを纏った黄緑に近いような不思議な色合いの金髪に深い緑の目の男。

 サーコートとは元々鎧を日光から守るために纏う、袖なしのコートだが、魔法騎士たちに鎧はさほど必要でもなく、その代わりに腕の動きを隠すための大きな袖が必要となって、形は全く変わってしまったが、袖の大きなロングコートとなってしまったそれを、今も変わらず魔法騎士団の者はサーコートと呼ぶらしい。

 朝っぱらから正装をして何事かと言おうとして、アディラリアは窓の外がすっかり明るいことに気付いた。影の短さから、すでに昼前だとアディラリアは気付いて、黄緑のような不思議な色合いの金髪の男の顔が渋面になっている理由を知る。


「婚約者とはよろしくやってるの、エルグ?」


 淡い紫の光沢を持つ銀色の髪と細身ながらに豊かな胸、眠たげで優しい紫の目……優美な美女の印象を一転させるような低い声で問いかけるアディラリアに、その男、エルグヴィドーは半眼になった。

『ご挨拶だな……ずっと会っていないよ、リンフィスとは。それよりも、お前に会いたい』

 至極真面目に言うエルグヴィドーに、アディラリアは肩を竦める。

「結婚式には呼ばないでね、オニイサマ。」

 告げて一方的に会話を打ち切ろうとするアディラリアに、エルグヴィドーは透ける立体映像の手を差し出した。触れられるはずもないのに、アディラリアはその手に目を閉じる。

 触れられることを恐れているのか、望んでいるのか。

 伏せた睫毛の長さに、エルグヴィドーは素早く手を引いた。

『結婚式の話じゃない。引き受けて欲しい子がいるんだ』

 打ち明けられてアディラリアは眉根を寄せる。

「隠し子?処分は引き受けないよ?私、子どもは殺さない主義だから。」


『隠し子などいない。魔法使いが子どもなど持つはずがない』


 魔法使いは人間の中でごく稀に生まれてくる希少種である。

 故に、魔法使いも魔法使いを生む可能性は極めて低い。

 そもそも、魔法使いは突然変異のようなもので、その生殖能力は非常に低く、魔法使いと人間の間でも子どもが生まれる確率は低く、魔法使い同士ともなると更に出生率は低くなる。その中で魔法使いが生まれる確率など、最早奇跡に近かった。

 そのため、魔法使いは子どもを持たない……持てない場合が多い。生まれたとしても、ただの人間よりも長命の魔法使いが、自分よりも寿命の短い人間の子どもを生むなど、無駄でしかないと、魔法使いのほとんどは思っていた。


 バッセル帝国のレイサラス家の魔法使い、エルグヴィドー。

 正しい言葉を使い、魔法使いらしくあることを叩き込まれた彼が、今更そのレールを踏み外すとも思えず、彼らしい宣言にアディラリアは苦笑した。

 アディラリアの師匠のルヴィウスも、同じようなことを言って妻のゼルランディアとの間に子どもを持たなかった。

 レイサラス家はバッセル帝国に弓引かぬ魔法使いを作るための家。そこに集められた魔法使いたちは、家族から離された孤独の中で互いを兄弟と呼び合い、手を取り合う。互いに愛着を持たない方がおかしいような環境を作り上げるのだ。

 そして、当主だけがバッセル帝国の魔法騎士団に入り、それ以外の兄弟は他の魔法使いと婚姻を結ぶことが義務付けられている。

 アディラリアはそれを厭い、レイサラス家から逃げ出した。

「それじゃ、誰の子ども?」

 眠たげに目を擦るアディラリアに、エルグヴィドーは眉を顰める。

『アディ、隈が出来てる……無理をしているんじゃないか?一度、戻ってこないか?』

「その話はしてないよ、今。」

 さっくりと切り捨てたアディラリアに、エルグヴィドーは仕方なく話題を元に戻した。

『騎士団の……魔法騎士団ではなく、ただの騎士団の騎士の子どもなんだが……魔法使いの因子をもっているようなんだ』

「『星の舟』に行くといいよ。うん。じゃ、また。」

 再び切り捨てようとするアディラリアに、エルグヴィドーは取り乱さず話を続ける。

『『星の舟』に行けば、最低ランクの魔法使いにしかなれないだろう。だが、母親はその子を魔法使いにしたいらしい』


 『星の舟』は入学から卒業まで魔法使いの生活を完全に保障する。だから、貧しい家では食い扶持を減らすために魔法使いの因子が極めて弱い子どももとにかく『星の舟』に入れたがった。『星の舟』に入れられた後、子どもが無能呼ばわりをされてどんな扱いを受けるかも知らずに。

 『星の舟』としても、因子の非常に弱い魔法使いは、魔法が暴発して自己や他者に被害を加える可能性も限りなく低いので、人間として生きることを勧めていた。しかし、『星の舟』に入る前に拒まれた魔法使いは、魔法使いとしても人間としても生きることができなくなる場合も少なくはなかった。


「騎士の子どもなら、それなりに裕福なはずじゃないの?」

 当然のことと言い切って、子ブタの置物を持ってクローゼットに向かうアディラリアに、揺れながらも律儀に映し出された立体映像のエルグヴィドーは額に手をやった。

『隠し子だったんだ……』

「あぁ……継母はその子が邪魔、と。」

 酷く納得したアディラリアに、エルグヴィドーが頷いてみせる。

 邪魔でとにかく遠ざけたいなら、『星の舟』はおあつらえ向きの場所だった。

「エルグが引き受けたら?」

『女の子だ』

 即答されてアディラリアは一瞬だけ表情をなくす。

「それって、私が引き受けてもまずいんじゃないの?」

 すぐに眠たげな表情に戻って問いかけたアディラリアに、エルグヴィドーは小首を傾げた。

『お前は、すばらしい魔法使いだ』

 真摯に紡がれる誉め言葉を、アディラリアは痛みを堪えるように聞く。

 乱れた寝台の上に子ブタの置物を置き、アディラリアはクローゼットの中から着替えを取り出した。子ブタの口から映し出されたエルグヴィドーは寝台の前に立っているように見える。

 黙ったまま着替えを寝台に投げ出し、アディラリアが手を出すと、立体映像のエルグヴィドーも手を出した。

 すり抜けるぎりぎりのところで止まる、二つの手。

 触れ合っていないのに触れ合っているような格好になって、アディラリアとエルグヴィドーは額を付き合わせた。


 体温も匂いも実体もなく、静かに触れ合う二人。


『今から連れて行く』

 静かに囁くエルグヴィドーにアディラリアが小さく問いかける。

「泊まっていく?」

『いや……』

 それ以上の言葉を聞くまでもなく、アディラリアは子ブタの尻尾を引っ張って立体映像を消した。

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