第19話 神の名前  2

――一番目イー、二番目ジー、三番目ティエン、四番目セェト、五番目クラー、六番目ルイン、それから先は皆同じセペタ、山の麓に捨てられる。

――六番目ルインは橋の下、五番目クラーは人買いに、 四番目セェトは獣に食われ、三番目ティエンは逃げ出した、二番目ジーは病気になって、一番目イーは弟妹思い泣いている。


 あれは悲しいだけの歌ではないと教えてくれたのは、『星の舟』の最高位魔法使い、ティーだった。

 自らも三番目ティエンという名前を持つティーは、長身に似合わぬ囁くような小声で教えてくれた。


――ゼーラ、あれはね、神様の名前なんです。


 一番目は、土の神、イー。

 二番目は、薬草の神、ジー。

 三番目は、風の神、ティエン。

 四番目は、獣の神、セェト。

 五番目は、商売の神、クラー。

 六番目は、水の神、ルイン。

 七番目は、星の神、セペタ。


――生まれた子どもを守ってくれるように、貧しい家ほどその順番にあった名前を付けるようになったんです。


 あれは忌む名ではないのですよ。と柔らかな声で教えてくれたティー。ティーの言葉で、ゼラはその歌を教えてくれた時にルヴィウスの目が笑っていなかった理由に思い当たった。

 両親への複雑な感情を、ルヴィウスも抱えていたのだろう。


 クラウスに導かれて歩く夕暮れの帝都。道の端には家のない子ども達が活力なく座り込んでいる。来るたびにその数が増えているような気がして、ゼラは目をあわさないように俯いた。

 彼らの全てを救えるほどの力は、ゼラの腕にはない。国を変えるような強い思いも、ゼラにはない。

 薬売りの男に腕を引かれても、飢えた子どもにローブの裾を掴まれても、ゼラには何をしてやることもできなかった。

「近寄るな!」

 クラウスの鋭い目が周囲を牽制する。その目には魔法使いとしての誇りと、人間に対する強い憎しみがあった。

 魔法使いは強いもの。けれどその数は少なく、人間の方が圧倒的に多い。いくら強い力を持っていても、魔法使いは異端者でしかない。

 研究所近くのイージャの家に着くまでには、日はすっかり暮れていた。示された家の前でクラウスと別れ、ゼラは呼び鈴を押す。ひなびたゼラの家とは対照的に、イージャの家はレンガ造りで古びていたが威厳があった。

 しばらくして出てきたイージャが、ほとんど下着姿であることにゼラは顔を引き攣らせる。栗色の巻き毛がふわふわとイージャの肩にかかっていた。

「な、何て格好ですか。来客者が男性だったら、どうするんです?」

 柄にもなく説教を始めてしまうゼラに、イージャは艶やかに微笑む。

「あなただと思ったから出たのよ。まぁ、別の人だったら、彼が追い払ってくれたでしょうけどね」

 言いながらイージャがちらりと視線を向けた廊下には、憮然とした表情のルインが立っていた。上半身裸の彼は、肩を越すくらいで髪を切り、履いているズボンも上質な皮になっている。肩にかけた深草色のシャツも絹の光沢を持っていた。

「何してたんですか……」

 低くなるゼラの声に、悪びれることなくイージャは問いかける。

「見て分からない?」

「十四~五の青少年に、なんてことを」

 分別ある大人らしく言ったゼラに、イージャは笑い出した。

「年なんて関係ないわよ。彼がしたいと言ったんだもの」

 体でルインを繋ぎとめて利用する気かと、イージャの目をゼラは覗き込む。その目に不穏な色を見出して、ゼラはイージャの耳元に口を寄せた。

「呪詛が、移りますよ?」

「まさか」

 笑い出すイージャに、ゼラはため息を付く。そのままイージャを扉の中に押し込んで、ゼラは自分も玄関に入り込んだ。イージャの後方でルインが冷ややかにゼラを見ている。

「彼の呪詛は完全には抜けていません」

「馬鹿にしないで。呪詛を受けるようなヘマはしないわ」

 肩を竦めるイージャの腕に、ゼラは無造作に触れた。キャミソールから出た白いイージャの腕に、薄っすらと紅い文字が浮かび上がる。

「な……」

 絶句するイージャの胸元に、ゼラは指を突きつけた。

「ヴィルセリス……トノイ・タージャーン・ヴィルセリス・ロクシャーナ……バッセル帝国の魔法使いで、『星の舟』でサウスにしきりに声をかけていた男ですね。すでに、死んでいますが」

 腕に浮かぶ魔法文字を読み上げたゼラに、イージャは慌てて手を引く。ゼラの手が離れるとイージャの腕に浮かんだ紅い文字は消え失せた。

「サウスの開放のためか……それとも、手に入らぬものは殺してしまいたかったのか……ともかく、このまま彼と触れ合い続けると、気づかぬ間にあなたも刺客に成り果てますよ?」

 悪名高いバッセル帝国の魔法使いの名前を出されて、イージャは自分の軽率な行いに青ざめる。彼女を押し退けてルインの前に立ったゼラに、ルインは薄い笑いを浮かべた。

「イージャに呪詛を移そうと、思ったんですね?」

「そうだよ。あんたにも移してやろうと思ってた」

 ルインのひょろ長い腕がゼラの腕を掴む。その力の強さに顔を顰めながら、ゼラもまたルインの腕を掴んで強く引いた。

「戻りましょう。呪詛抜きは終わっていません」

 素っ気無く言うゼラに、イージャが眉根を寄せる。

「証言が終わってないから、連れて行かれると困るんだけど?」

「その腕を見せればいいじゃないですか」

 さらりと言うゼラにイージャは目を剥いた。

「恥を晒せって言うの?」

「自分でしたことでしょう?」

 言い捨ててルインを引き摺って歩き出そうとするゼラに、ルインは首を振る。

「抜いてどうなる?呪詛がなくなれば用なしになって処分される、呪詛があればそれを恐れて閉じ込められる……結局、俺の進む先に光りなんてない」

 自ら掴んだはずのゼラの腕を振り払おうとするルインに、ゼラは必死でしがみ付いた。

「光がないなんて……未来に希望がないなんて、誰にも分かりません!」

 強く言い切ったゼラに、ルインは片手を額に当てて笑い出す。

「あんた、本当にめでたい頭の持ち主だな」

 笑うルインの顔は、酷く歪んでいた。


「ここに来て、俺はよく分かったよ。俺が異常だってことが。おかしいんだよ、俺は。俺は魔獣だ。今更人間になんか、戻れない」


 告げるルインの表情が、年相応に幼く見えてゼラは宥めるようにその細い体に抱きつく。

「そんなことを言わないで。あなたは人間じゃないですか。エドリグだって、あなたが大好きなのに」

 少年の名前を持ち出されて、ルインはきっとゼラを睨み付けた。

「俺は、エドリグを食い殺してやろうと何度も思った。それを知ったら、エドリグだって悲鳴を上げて逃げて行くさ」

 刹那、ゼラは思い切りルインの頬を引っ叩く。

 ルインの真っ白な頬が赤く染まった。怒りを込めてゼラを見下ろしたルインだが、ゼラの目に大粒の涙が浮かんでいることに気付き、言葉を失う。


「言えばよかったじゃないですか、エドリグに。エドリグはそんなこと、笑い飛ばしてくれたのに」


――うん、俺、あいつ、嫌いじゃないよ。


 そう告げた時のエドリグの表情がゼラの脳裏にありありと浮かんできた。気負うでもなく微笑むでもなく、ただ自然に出てきた一言だからこそ、それは何よりも重みを持つ。

「戻りましょう」

 強く腕を引くと、もうルインは抵抗せず俯いてゼラの後に続いた。

 玄関の外へ出て行く二人を、イージャが追いかけるが、彼女にかける言葉はない。

 外へ出ると街灯の火が薄汚れた石畳をオレンジ色に照らしていた。玄関前の石段から降りて、ゼラは歩き出そうとする。


 刹那、ゼラの前に男が立ち塞がった。

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