第17話 神の名前  序

 ルヴィウス、と呼ばれて少年はゆっくりと振り返る。輝くような鮮やかな青い目に、アディは言葉を失った。

 軽く半世紀以上は生きているはずなのに、細身で小柄な肢体は幼さの抜けない少年のそれのようで、顔立ちも少女と見紛うばかりに愛らしい。ただ、その目だけは鋭さを残していた。

「ティエット、お前は、どうしてその馬鹿げた姿をとり続けているのだ?」

 低く掠れた声は、確かにあの仮面の魔法使いのもので、アディは混乱して本棚の影で息を飲む。『星の舟』の図書室は、冬季休暇の最中で、閑散としていた。


 ルヴィウスの死より三年前……ルヴィウスがゼラをつれて地上に降りる直前、『星の舟』の図書室でアディは、ルヴィウスとウェディーとの密談に遭遇してしまった。


「あなたには、関係のないことだ」

 硬い声でウェディーが答えると、ルヴィウスは仮面の奥で低く笑った。

「ゼルランディアに求婚したらしいではないか」

 ルヴィウスの言葉に憐れみが込められていて、ウェディーは頬を高潮させる。

 真紅の髪のウェディーがゼラにべたべたとしているのを面白く思っていないであろうと、ウェディーはいつも腹の底で嘲笑っていたというのに、実は嘲笑われていたのが自分だと気付いた瞬間に、ウェディーはルヴィウスという男が大嫌いになった。


 魔法使いは異性の弟子を持たない。

 それは、師弟関係を笠に着たセクハラが『星の舟』でも横行したためであり、かなり古い規則であるそれは、昨今では消えかけていた。

 しかし、婚姻がほぼ決まっていたゼラはともかく、アディなどは師匠から離れた後も、結婚できないのは異性の師匠についたためだとか、ねちねちと言われているし、『星の舟』では不幸の代名詞、キエラザイト帝国最高位の魔法使い、サウスが帝国の利益のために翻弄しているのは、彼が異性の師匠を持ったからだと、口さがない連中は言っている。

 それ故に、アディよりも五つ年下で、アディの陰口をよく聞いていたウェディーは、師匠選びに慎重にならざるを得なかった。


「サリューはお前に優しくしてくれたか?」

 師匠の名前を出されてウェディーはルヴィウスの顔を睨み付ける。師匠から離れ、『星の舟』を卒業する時に、師匠を殺して名を奪うものは少なくないが、ウェディーもその一人として名を馳せていた。

 自らの手で殺し、振りきったはずの名前を持ち出され、ウェディーは振り上げた手を思い切りルヴィウスの頬に打ち降ろす。ルヴィウスの仮面が飛んで、半分だけ醜く崩れ、半分は年齢すらも感じさせない絶世の美貌が露わになった。

 本棚の影に潜んでいたアディは、これから二人の魔法使いの戦いが始まるのかと、身構える。しかし、ルヴィウスは乱暴なウェディーの行動に、幼子を宥めるように目を細めただけだった。

「ゼラに求愛しても、本当に男になることは敵わない。幸せになる方法を、考えろ」

 告げる声は意外に優しくて、ウェディーは泣きたくなる。

 偏屈で冷酷で自分勝手で我がままで……悪評の絶えないルヴィウスという男が、下卑た軽口を叩くのと同じ口で、どれ程優しいことを言うか、ウェディーは知っていた。


 『星の舟』に来るまでに魔法使いを憎む人間などに、酷い目に遭わされる少女の魔法使いは少なくない。その後も『星の舟』の中では、弱者は何をされても文句が言えない状況が続くのだと、ウェディーは聞き知っていた。

 それ故に、少年の姿で『星の舟』に入ったのに、師匠になったサリューには即座にそれを見抜かれてしまった。

 サリューはウェディーを脅し、自分の元へ引きずり込んで、その体を好きにした。サリューとの間に出来た子どもを、生まれる前にサリューが実験に使うために取り出し、殺してしまった時、ウェディーはサリューを殺すことを決意した。


「殺した男の名は忘れろ。死んだ子どもの年は数えるな」


 自分が女であることを捨てたウェディーにとって、小柄で大人しいゼラは、非常に分かりやすい庇護対象である。

 ゼラを守ることで自分を確立しようと必死になっていたウェディーからゼラを離すために、ルヴィウスがゼラを連れて地上に降りたのだとアディが気付いたのは、ルヴィウスの死の直前だった。


 紅い髪の魔女。


 かつてルヴィウスに呪いをかけた魔女と、ウェディーが似ていたのだと、後にルヴィウスは「立ち聞きとは趣味が良くないな」と笑いながらアディに語る。

 ウェディーがそれを聞くことはなかった。

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