第15話 六番目の魔獣 3
駆け込んできた庭師の孫、エドリグを、ゼラは階段を駆け下りて止めようとした。しかし、エドリグに説明も注意もする間もなく、階段を降りてきたルインがぼりぼりと頭を掻きながら、玄関に近付いてくる足音にゼラは、慌てふためく。
「ゼラ先生……新しい、男?」
シーツを腰に巻きつけただけの見た目は二十代半ば程度に見える男が、至極リラックスして廊下を歩いてくれば、そう思っても仕方がない。けれど、どうしても否定したくて、ゼラは声を張り上げた。
「全然、全く違う!少しも、僅かにも、奇跡が起ころうとも、そんな可能性はないから!」
「そこまで言われると、なんとも思ってなくても、少し傷付くぞ?」
低く掠れた声が廊下に響くのに、エドリグは目を丸くする。
「先生、こういう男が好みだったんだ……。それで、爺ちゃんがこれもって行けって行ったのか」
言いながら渡されたのは、畳まれた服だった。
「リュージュ爺ちゃんの、街に出てった孫の服だよ。残ってたの、貰ってきたんだ。リュージュ爺ちゃんとこの孫、でかかったからなぁ」
言いながら差し出すそれを、ゼラの後ろからルインがひょいと一枚摘み上げる。それを嗅いでみて、摘み上げて引っ繰り返し、観察するルインを、エドリグが訝しげに見つめた。
「服、ですよ?」
「いや、それくらいは分かるがな」
突っ込んだゼラに、ルインは肩を竦める。
「分かるなら、着て下さいよ、臭ってないで!」
詰め寄るゼラに、ルインは面倒くさそうに背中を掻いた。
「それより先に……風呂に入ってきなさい!」
廊下の先を指差すと、ルインは目を瞬かせる。
「風呂……?」
「体を清潔に保つために、石鹸で体を洗ったり、頭を洗ったりして、お湯や水で流すことですよ?」
「あぁ……」
納得しながらもやる気なく答えるルインを、ゼラは睨み付けた。
「あのさ、俺が逃げるとか、考えないのか?」
気だるそうに問いかけるルインに、ゼラは平然と答える。
「行くところがあるとは思えません」
「嫌な女だな、あんた」
言い捨てて風呂場に向かうルインの背中を見送って、ゼラはやっと息をついた。
「先生、大丈夫か?」
ゼラとルインのやり取りに呆気にとられていたエドリグが、座り込みそうになるゼラに駆け寄る。
名前を聞いた後に、色々と問いかけていくうちに、ゼラはルインという少年がどのような扱いを受けていたかを知った。
八歳の時に売られたルインは、それからずっと研究所の一室に閉じ込められていたらしい。半地下になったその部屋は、少年の身長よりもずっとずっと高いところに鉄格子のはまった窓があったが、それ以外に何もない冷たいコンクリートの壁の建物だったという。
ルインはその冷たく薄暗く汚い部屋の中で毎日のように妖しい薬剤を投与され、全身に呪詛を刻まれ、何重にも魔法をかけられ、大事に育てられてきた。
毎日訪れる魔法使いは、壮年の男で、ルインのことを「魔獣」と呼び、「最高傑作」と称した。
いつか最高のお披露目をしてやると口癖のように言っていたその男が死んだ後、現れた次の男は、ルインを見て恐れた。
自分の立場がとか色々言っていたというところから、ゼラはその男がバッセル帝国のアルセス領でも地位のある立場なのだろうと思った。もしかすると、アルセス公の飼っていた魔法使いの一人が、アルセス公に内緒で彼を作り、異様な行動をしていることを見抜いてその魔法使いを処刑した後に、ルインの存在を知ったのかもしれない。
「一日に一度、食事が運び込まれるようになって、それ以外誰も来なくなって……季節が一つくらいすぎた頃に、黒い長いコートで、胸に青い花みたいな印を付けた男たちが来て、俺を連れて行った」
そして、ルインは帝都の研究所に連れて来られたのだと言っていた。
空色のひし形を三つ、花のように組み合わせた紋章は、キエラザイト帝国の皇帝の紋様であり、国旗にも使われている。それを胸に付けた黒いサーコートを着ているものといえば、キエラザイト帝国の魔法騎士団に違いない。
バッセル帝国の魔法騎士団は、背中に、刀身に星が刻まれた紅い剣の紋章をつけていて、そのサーコートの色はエルグヴィドーが着ていたような純白であった。ちなみに、刀身に星が刻まれた紅い剣は、バッセル帝国の皇帝の紋様だった。
「魔法騎士団は、アルセス公を攻撃する契機を伺ってるの……」
思わず唇から漏れた呟きに、エドリグが息を飲む。
「先生……戦争が起こるのか?俺、昨日、バッセルの竜がここらへんに降りるのを見たぜ?」
「それは……『星の船』から私への使いだから、大丈夫だよ」
そうは言ったものの、バッセルの魔法騎士団の一員であるエルグヴィドーをキエラザイト帝国に招いてしまったことは、大きな問題になるのではないかと、ゼラは今更ながらに後悔する。
『星の船』云々の言い訳がきく状況ではなくなっている気がした。
やる気のないアディがどうしてあれ程までにゼラを止めたのか、そのことの重大性がようやくゼラにも分かりかけてきた。
よろめきながらリビングに向かうゼラを、エドリグも追いかける。とりあえず落ち着こうと、キッチンで湯を沸かし始めたゼラに、リビングから声がかけられた。
「ゼラ先生、蛙が呼んでるよ?」
言われてゼラはコンロの火を止めてリビングの隅にある、大きな木彫りの蛙に駆け寄る。蛙の目は、エドリグの言う通り、ゼラを呼んで青く光っていた。
蛙の頭を撫でると、その口が大きく開いて、紅い髪の少年が映し出される。
「ウェディー?」
問いかけるとウェディーは眉間に皺を寄せた。
『時間がないのでそっちには行けないけど……大丈夫?』
不機嫌そうな声で問いかけられて、ゼラは表情を引き締める。
「大丈夫、頑張る」
『そうやって、また無理をする……。魔獣の出所は掴めそうなの?』
呆れながらも問いかけてくれるウェディーに、ゼラは首を左右に振った。
「掴めそうだけど……証拠がないよ。魔獣の証言がどれだけ重んじられるかは、分かったものじゃないし」
正直に答えるとウェディーは目を丸くする。
『呪詛を返せないのか?』
「返そうにも、相手は死んでいるらしい」
『じゃあ、呪詛を解けばいいじゃないか。どこかに必ず、術者の名前が入ってるから』
事も無げに言うウェディーに、ゼラは深くため息を付いた。
魔獣に描かれた呪詛を一つ一つ引っぺがして分解し、解析していくのは、非常に根気の要る作業である。それ以上に、人生の半分近くを呪詛とともに過ごしてきたルインが、そんなことをされて無事でいられるとも思えなかった。
「魔獣を、犠牲にしろと?」
『どのみち、呪詛がある限り、魔獣は魔獣でしかないよ。人間に戻してやりたければ、呪詛を完全に抜くか、封印するしかない』
ウェディーの言葉にも一利あるとゼラは納得する。しかし、呪詛を抜くのはその呪詛を組み立てた年月の二倍時間がかかると一般的に言われていた。複雑なものになればなるほど、呪詛が抜くために費やす時間は長くなる。六年かけて構築されたものは、最低でも抜き終わるまでに十二年はかかるだろう。
封印するのは、それほど時間がかからないが、根本的な解決にはならない。呪詛が封印の威力を越えた場合……例えば、近くで魔法使いが魔法を行使して、それに呪詛が反応した場合、封印は敗れ去るだろう。そうなれば、また封印を施さなければならない。呪詛を抜かない限り、そうやって、ルインは一生涯、騙し騙し封印を続けていくしかなくなるのだ。
ルインの将来のことを考えれば、一時的にしか効果のない封印よりも、呪詛抜きをするべきなのだが、キエラザイト帝国の研究者たちはそれを許さないだろう。ルインの体から血肉を奪い取るように、呪詛を引き剥がし、死ぬのも構わず短期間で解析することが、今のゼラに求められていることに違いなかった。
――私が、責任を持ちます。
堂々とイージャに告げた一言が、ゼラの肩に重くのしかかる。
「彼の人生に、責任を持たないと、いけないわけ?」
およそプロポーズとしか思えない言葉を呟き、ゼラは蒼白になった。
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