第13話 六番目の魔獣 1
草原を分断する一本道を家に向かってゼラは走っていた。巨大な影が草の上を流れていく。あれは『星の舟』だと大陸のものならば誰でも分かった。
地を揺るがすような鳴き声を耳にして、ゼラは右手の親指と人差し指で輪を作り、それを唇に咥えて思い切り吹く。甲高い指笛の音に、低い鳴き声が答えた。
見上げると『星の舟』から一匹の翼竜がこちらへ向かって滑空している。腕一本がゼラと同じくらいはありそうな巨大な竜は、ビロードのような滑らかな青鈍色の毛で覆われ、その片足には黄緑の金属の輪がはめてあった。
それに刻まれる翼のある蛇と四つの星を刀身に描いた剣の紋章は、バッセル帝国の四つ名の魔法使い、エルグヴィドーのものに違いない。
草の海の水面を大きく波立たせて、地面ぎりぎりに滑空する翼竜の背で、手綱を取る男が軽く片手を上げた。それに答えて走りながらゼラも大きく手を振る。
翼竜はゼラの家の前の草原に降り立った。
遅れて駆けて来たゼラは、純白のサーコートを翻し、翼竜から飛び降りた男に、笑顔を向ける。
黄緑に近いような不思議な色合いの金髪に深い緑の目の男は、生真面目に頭を下げた。
「久方ぶりにお会いする、ゼルランディア」
撫で付けた前髪とメガネにそぐわぬ、硬い口調にゼラは戸惑いつつも息を整えながら応える。
「お久しぶりです、エルグヴィドー。バッセル帝国の魔法騎士のあなたを、キエラザイト領土に招くような形になってしまい、申し訳なく思っています」
深々と頭を下げると、エルグヴィドーは緩々と頭を左右に振った。
「完全中立たる『星の舟』よりの依頼ゆえ、今の私の所属は『星の舟』にある。心配なさるな」
そこで言葉を切ってから、少し息をつきエルグヴィドーは肩を竦める。
「堅苦しくてすまないね、ゼラ。こんな辺境でも、サウスの目は光ってる……」
キエラザイト帝国全土に張り巡らされた情報網は、正妃であり魔法騎士団の団長でもあるサウスから伸びていた。
「正妃が、あなたを疑うわけ、ありませんよ」
『星の舟』で同じ学年で、有名な親友同士だったというサウスとエルグヴィドーのことを思いだすゼラに、エルグヴィドーは僅かに困った顔になる。
「アディに頼まれると、私も弱い。危険を承知でも引き受けたくなる」
そう言って微笑むエルグヴィドー。少しも似ていないが彼が一応、アディの兄という立場だったと気付き、ゼラは慌てた。
「す、すみません」
「いや……構わない。さて、長居は無用だ。品物を引き渡そう」
エルグヴィドーが片手を上げると、それまで大人しく草の上に寝そべっていた翼竜が、緩慢な動作で体を動かす。その動きに伴ない、背中から大きな箱のようなものが滑り落ちた。
ゼラの身長を越えるようなその箱は、鉄製だがその表面が見えないくらいに呪符がびっしりと貼られている。
「厳重ですね……開け!」
鋭くゼラが命じると、箱の呪符が炎を上げて燃え尽き、箱の四方の壁が倒れて瞬く間に立体が平面へと変わった。
平たく展開された箱の中央には、口輪をはめられ、両手両足を枷に繋がれ、それを更に首輪にまで繋いだ魔獣が転がっている。
「梱包したのは私じゃないと、バッセル帝国魔法騎士団の名誉のために述べておこう」
問いかける前に注釈をつけたエルグヴィドーに、ゼラは渋面で頷いた。
「『星の船』の方々のお心遣いのようですね」
魔獣は危険なので列車に乗せることは愚か、馬車ですら断わられる。ゼラが一人で担いでいくのは無理だし、魔法で輸送すれば魔獣が反応して暴れかねないので不可能である。
そうなると、魔獣を確実にゼラの家に運べるものといえば、翼竜しかなかった。
この大陸にはそもそも翼竜の数が少なく、その翼竜を持っている魔法使いは更に少なく、その中でゼラのために翼竜を動かしてくれる相手など、限られている。
それがキエラザイト帝国の敵国であるバッセル帝国の魔法騎士であろうとも、ゼラはそれに頼るしかなかった。
『星の船』からの依頼として、『星の船』を経由すれば大きく取り沙汰にされることもないだろうと思い、ウェディーに『星の船』に話を通してもらい、アディに兄であるエルグヴィドーに頼んでもらった結果、ゼラが列車と馬車と徒歩で長い長い旅路を経て家に戻るのと魔獣が輸送されるのとはほぼ同時になった。
「悪化してる感じがするんですけど」
エルグヴィドーの翼竜を見送ってから、倒れている魔獣を見てゼラはため息を付く。元々狼のように頭蓋骨が変形して、舌も長く伸び、手足もやたらと細く毛むくじゃらで、毛皮を纏っていた魔獣。拘束された状態に反発しているのか、その素肌に刻まれた呪詛が毛皮から透けて見えるほどに赤黒く光を発していた。
呼吸も荒く、肋骨の浮いた腹が細かく上下する。
ゼラが近付くと、ふと魔獣が濁った灰色の目をゼラに向けた。
息がますます荒くなり、乱食いの牙で閉まらない魔獣の口から、涎がだらだらと零れ落ちる。
「これだけ、気を遣ってくれてるのに、どうして、パンツもズボンも履かせてくれないんでしょう……」
いきり立っている股間のものなど見たいはずもなく、ゼラは目を閉じて顔を逸らした。
拘束の魔法を解けば身の危険が迫る。
拘束の魔法を解かなければ、魔獣の呪詛は反応したまま。
究極の選択を迫られて、ゼラは思わずチョーカーの青い珠に触れた。
「ルヴィウス……どうしましょう」
呟いて祈っても現状が代わるはずもなく、ゼラは意を決して魔獣に近づく。魔獣の目が爛々とゼラを見据えた。
「名前を……まず、名前を聞きたいんです、あなたの」
それには頭蓋骨の変形がある程度元に戻って、声帯が整わなければできないと、ゼラには分かっている。だからこそ、ゼラは魔獣に歩み寄り、その手枷に触れた。
魔獣はぶるぶると体を震わせているが、警戒はしていないようだった。
「ゼルランディアの名において問う。汝、誰に命ぜられしか」
平坦な呪文に呼応して、魔獣の手枷がぼんやりと朱の光を纏う。魔法の発動によって呪詛が反発したのか、痛みを堪えるように両目を閉じた魔獣に胸中で謝りつつ、ゼラは呪文を続けた。
「ゼルランディアの名において命ず。この場を取り仕切るは、この私のみ。他者に与えられし命を放棄せよ。汝の主の名を忘れ、その身にゼルランディアの名を刻め」
無理やりに拘束具にかけられた魔法を捻じ曲げると、ゼラはその全ての拘束の魔法を解除する。宿す力を失った拘束具は、自ら砕けて魔獣に自由を与えた。
飛び退るゼラの前で、ゆらりと魔獣の長身が立ち上がる。
左右に揺れながらどうにか立った魔獣は、尖った爪の生えた毛だらけの自分の手をぼんやりと見つめていた。
草の海を風が渡る。
遠く聞こえるのは鳥の声だろうか。
暖かな日差しが遮られることなく降ってきて、見上げた空は切り取られることなくどこまでも広い。
積み重なった雲が、風に流される。
明るく、広く、暖かい。
心地よい風に全身の毛が揺れて、魔獣は目を細めた。
体中を常に覆っていた暗闇が、風に吹かれて散り散りに飛ばされていくような気がする。
「良いところでしょう?」
人懐っこい笑顔とともにゼラが問うても、それが聞こえていないかのように魔獣はただ立ち尽くしていた。
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