第11話 魔法医の戦い方  4

 二の腕を掴んで部屋から引きずり出されたゼラと、あの魔法陣の部屋に運ばれる魔獣。魔法の糸に絡めとられながらも、歯を剥き唸り声を上げる魔獣を切なく見送ってから、ゼラは二の腕を掴む栗色の髪の女……イージャに視線を向けた。

「毒を使ったわね。残念だわ……折角、あなたとは仲良くやれそうだったのに」

 この上なく嬉しそうに告げるイージャに、ゼラは肩を竦める。

「致死毒ではありませんので、魔団法には引っかかりませんよ」

「けれど、他の魔法使いもいる場面で、危険な薬品を使ったあなたを、信用してこの研究所に置くわけにはいかないわ」

 最初からゼラを追い出す方法を画策していたであろう彼女は、わざとらしく眉根を寄せた。思えば、魔獣とゼラが対峙している時も、分かっていながら魔法を使ったのかもしれない。

「それで、何をしたいんですか?」

 二の腕を掴む手を振り払い、数歩離れて真正面からイージャを見つめるゼラ。風通しの悪い屋敷の中の廊下は、どこかかび臭い。この屋敷の魔法使いは、嗅覚がどれほど鈍いのかと、ゼラは少し呆れた。

「先に仕掛けたのは、あなたよね?」

 軽く両手を交差させ、戦闘態勢に入るイージャに、ゼラは表情を引き締める。

 魔法使いは殺し合うもの。その掟を忘れたつもりはなかった。

「キサ・イージャ・タイス・ツァオラの名において、この地域を魔法使いの戦闘場所とするわ」

 イージャが名乗るのに、ゼラも応える。


「シノ・ゼルランディア・クローディス・イリウの名において、命ず。私は、全ての敵意の存在を許さず、認めない。いかなる魔法使いのものであろうとも、私は何も受け取らない。例え眼前に振り上げられた剣であろうとも、私の頭上に振り下ろされることを、私は決して許さない。悪意ある言葉も、吐きかけられる唾も、私は全て認めない」


 息を継ぐこともなく一気に早口に唱えられた呪文に、イージャは身構えた。

「さすがに、防御魔法が念入りね」

 イージャの言葉を全く無視して、ゼラは更に続ける。


「シノ・ゼルランディア・クローディス・イリウの名において、重ねて命ず。私は、全ての敵意の存在を許さず、認めない。いかなる物を守る壁であろうとも、私の前には立ち塞がることを許さない。例え誰かの結んだ誓約であろうとも、私の歩みを阻むものは何一つ認めない」


 積み重なる呪文に、イージャは指折り数えて眉間に皺を寄せた。防御魔法はむやみやたらに重ねればいいというものではない。過剰な魔法は魔法使いの身動きを取れなくするし、その魔法を維持するだけで精一杯になって、他の魔法を唱えられなくする。

 ゼラの纏う鎧のような魔法が強化されていくのを、イージャはただ呆然と見ていた。ここまで積み重なった防御魔法の隙間を見つけ出して攻撃することなど、イージャには出来ない。その代わり、ゼラもまた新しい魔法を紡げるだけの魔力は残っていないだろう。

「あなた、何をしたいの……?」

 思わず口を付いて出た言葉は、廊下の向こうで開いた扉の音にかき消された。

「イージャ、何をしているんだ!」

 走り出る若い魔法使いが、何故慌てているか、イージャには分からない。けれど、続く彼の言葉にイージャはぞっとした。

「研究所の守りの魔法が解け始めてる」

 はっとして視線を投げた先で、ゼラが緩慢な動きで手を差し出す。

「邪魔をしないで下さい。彼女は私に戦いを申し込んだんですから」

 若い魔法使いはゼラの姿を見て、凍りついた。ゼラの周囲には、魔法使いしか感じることの出来ない魔法の障壁が幾重にも出来上がっている。そして、その障壁がまさに、この屋敷を守る魔法を内部から侵食し、崩し始めていた。

「誰か来てくれ、魔獣が!」

「計器の針が異常値を示してる!」

 他の部屋でも上がり始めた悲鳴を聞きながら、イージャは顔面蒼白になってゼラを見る。

 決して戦いに参加することのない魔法使いこそ、一番性質が悪い。そんな教えは戦闘に参加しない魔法使いを守るための虚言だと、イージャは今の今まで思っていた。けれど、それが全くの間違いであったことに気付く。

 この屋敷に存在する全ての魔法が、ゼラによって存在を否定され、増大したゼラの防御の魔法とせめぎあって消えていく気配を、イージャはひしひしと感じていた。

「魔獣、抑えられません!」

 奥の部屋から響いた悲鳴に、イージャは負けを認める。

「戦いは……延期するわ。あなたのやり方を……認めます」

 悔しさを全身に纏うイージャに、ゼラは特にこだわりもなく維持していた防御魔法を全て解いた。そして、引き裂かれたローブの前を押さえながら、軽く片手を上げる。


「魔獣を、預けてくれませんか?」


 威圧的ではないのに、逆らうことを許さないゼラの声音に、イージャは頭を抱えた。

「ここにいる限り、あの呪詛を抜くことはできません。呪詛が抜けて、人間としての理性を取り戻せば、彼からの証言も得られるはず……」

「あれを、連れ帰るというの?」

 正気かと問うイージャの目に、ゼラは頷く。

「恐らく、キエラザイト帝国魔法騎士団の方には、ティー……『星の舟』の長より話がいっていると思います」

 ウェディーがティーに話をしてみるといった言葉を信じて、ゼラはハッタリをきかせた。

「あんな危険なものを野に放てと!?」

 イージャの声にかなりの力が篭っていたことに、ゼラは驚く。人間を馬鹿にして軽く扱うような彼女でも、魔獣を野に放てばこの国がどうなるか分からないということくらいは、理解できたらしい。


「私が、責任を持ちます」


──なんで、君は自分で厄介ごとを背負い込むかなぁ……。


 アディの呆れた声が聞こえた気がしたが、ゼラはそれを完全に無視した。

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