第6話 魔法医と魔獣  5

 ディーアの店の二階に戻ったゼラは、リュックサックの中から手の平くらいの大きさの木彫りの蛙を取り出した。左手に乗せて右手で頭を撫でると、蛙の紅い目が光りだす。

「ウェディー……五つ名の同胞よ、返答されたし」

 小声で蛙に囁きかけると、蛙の口が大きく開いて小さな人影を映し出した。映し出された燃えるような紅い髪の少年は、緑の目を瞬かせる。

『ゼラ?どうしたの?珍しいね』

 ごうっと蛙の口から炎が吐き出され、慌てて避けたゼラの足元に落ちた火の塊は、燃え上がって少年の姿を作り出した。全身が炎に包まれた少年は、小柄なゼラよりも少しだけ背が高い。

「わざわざ来てくれなくてもいいのに」

「苦手なんだよ、立体映像見て話すのは」

 少年、ウェディーが手の平を目の前で反転させて握ると、纏う炎は全てその手の中に納まって消えた。残ったのは、襟高の黒い長衣を纏った少年のみ。幼さの残る顔立ちなのに、その目には一切の甘さや若さはない。

「それに、君に会いたかったから」

 手を取ってそんなことを囁きかけてくるウェディーに、ゼラは苦笑した。

「また、そんな冗談ばかり。それで、ルヴィウス、あなたと連絡を取るなってヘソ曲げてたんだよ?」

 笑い事にしてしまおうとするゼラに、ウェディーは不満顔で靴の踵を鳴らし、部屋の隅の椅子に勝手に腰掛ける。売り物なのかアンティークな作りのそれは、古びていたが豪奢な彫刻が施されていた。

「僕は本気だったさ。……僕は、君たちが親子だと信じてただけだ」

「まさか」

 吹き出すゼラに、ウェディーの不満顔はますます酷くなる。彼が怒って帰ってしまう前に話を進めなければと、ゼラは慌てて説明を始めた。


「キエラザイトの研究所に魔獣が運び込まれてるわ。呪詛の数が物凄くて、簡単には払えそうにないんだけど……恐らく、研究所にいたら全てを払う前に死んでしまう……。まだ十六、七のほんの子どもなの」


 語りだしたゼラに、ウェディーは眉根を寄せる。そして、ゼラの手から蛙を借り受け、左の手の平に乗せて右手でその頭を撫でた。

「アディ、アディ、ちょっとこの頑固者を説得してくれる?」

 呼び声に答えるように蛙の紅い目が光り、大きく開けた口の中から淡く透ける立体映像が映し出される。

『そこはどこ?もしかして、帝都じゃないだろうね?私があんなに口を酸っぱくして行っちゃ駄目だって言ったのに』

 眠たげな声が響き、紫色の光沢を持った銀の髪の美女の小さな立体映像が、呆れた風情で腰に手をやった。

「行かなかったら、私の家も患者も全部捨てなきゃいけないのよ。できるわけないよ、そんなこと」

 最初から忠告など聞く気はなかったと告げるゼラに、アディの立体映像は沈痛な面持ちで額に手をやった。

『キエラザイトのマイス坊やの親父さんが暗殺されたってのは、さすがのゼラでも知ってるよね。そのせいで、マイス坊やの周囲は暗殺に過敏になりすぎてるのさ』

「まぁね。魔獣なんて、よくあることだよ」

 そして、それを作った人物が判明しないのも、よくあることだとウェディーは言う。

『バッセルとキエラザイトの戦争が続いてた頃には、戦争孤児とか買い上げて大量に作ってたらしいからね。そこら辺は、ティーが詳しいと思うけど。『星の舟』も取り締まれなくて黙認してたしね』

 説明するアディにゼラは頭を抱えた。

 師匠に……ルヴィウスに守られていると自覚してはいたが、自分がこれほどまでに世間知らずだったとは。

「とにかく、この仕事は受けられないと答えて、キエラザイトから出るべきだな」

 手首を掴もうとしたウェディーに、ゼラはその手を思い切り叩いた。


「できない。私はあの子を、見捨てられない」


 重圧の魔法のかかった魔法陣の中で、息をするのすら自由にならず、押しつぶされて転がっていたあの獣。

 全身から放たれる禍々しい空気と、汚物に塗れた不潔な体。

 濁った虚ろな目。


 村外れの石段に腰掛けていた、遠い日をゼラは思い出す。

 魔法使いの素質はあると分かっていたが、『星の舟』に行っては稼ぐことも出来ないと、『星の舟』から迎えが来る前にゼラは妓館に自分の身を売ろうと思って、あの日、村外れの石段に腰掛けていた。両親は何一つ不平不満を漏らしたりなどしなかったが、幼い弟や妹と両親はやせ衰えていつも飢えていた。

 貧窮の中にいたのは明らかなのに、必死で共に生きようとする家族を、捨てて『星の舟』になど行けない。そう思って、妓館からの迎えを待っていたあの場所で、ゼラはルヴィウスに出会った。

 長身で細身のあの男は、仮面をつけたまま、ゼラに問いかけた。

「私が恐ろしいか?」

 ゼラは何を言われているか分からず、首を傾げる。魔法使いは恐ろしいものだと言われていたが、自分もまた魔法使いの素質があるのだとゼラには分かっていたから、彼を怖がることは自分を怖がることと同じだと思ったのだ。

 すると、あの男は仮面を取った。


 右半分が醜く崩れ落ちたあの男の顔。


 不思議と怖いとは思わなかった。ただ、怪我をしたのかと思って、ゼラは少し慌てた。

 あの時、ルヴィウスに拾われなければ……買われなければ、自分がどうなっていたのか、ゼラにも分からない。


「私に何かできるなら、私は全てのことを、あの子にしてあげたい」

 ルヴィウスが愛情と誠意を持って自分を育てたように。守ったように。

「それは、彼のため?それとも、君のため?」

 全てを見抜くようなウェディーの目に、ゼラは悲しく微笑む。

「分からない。でも、私はまだ、できることがある」

 決意を込めたゼラの声に、アディの立体映像ががっくりと肩を落とした。

『殺してしまった方が、ずっと楽だと思うんだけど』

 確かに、呪詛を抜く段階で地獄の苦しみをあの少年が味わうかもしれないと思うと、いっそ殺してしまった方がお互いに楽かもしれないとゼラも思うが、それでも、ゼラには譲れない気持ちがある。


「死んでしまったらそこでおしまいだけど、生きていたら、まだ何かできる。私は、どんな命も諦めたくない」


 凛と顔を上げたゼラに、「降参」とウェディーが両手を上げた。

『君みたいな頑固で融通の聞かない姉弟子を持って、私は本当に可哀想だよね』

 気だるくそんなことを言ってから、仕方なさそうにため息を付いてアディも両手を掲げる。

『仕方ないね。協力するよ』


 五つ名の魔法使い二人と、四つ名の魔法使い。

 この三人での呪詛抜きが、こうして始まった。

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