第4話 魔法医と魔獣  3

 涼やかなドアベルの音と共に現れた人物に、恰幅の良い女店主は無愛想に言う。

「子どもが来る店じゃないよ」

 視線を投げた先には、帆布のリュックサックを背負い、麦藁帽子に袖なしのシャツにハーフパンツ、裸の足にはサンダル、という出で立ちの見るからに田舎から出てきた風情の少女が立っていた。女店主と目が合うと、少女は片手を上げる。

「ディーア、久しぶり過ぎて、忘れましたか?ゼルランディアです」

 情けない表情で挨拶する少女の手足は、棒のように細く健やかに伸びていた。

 ゼルランディアの名前を聞いて、ディーアと呼ばれた女ははっと息を飲み、目を瞬かせる。何度も何度もゼラの爪先から頭のてっぺんまでを見渡して、ディーアは声を上げた。

「ゼラ!?ゼラなのかい!?どうしたんだい、その髪は!?あのたゆたゆと長かった髪はどこにいったの?ビラビラのヘッドドレスは?もさもさとしたスカートは?」

 カウンターから出てきてゼラの手を取り、まじまじと至近距離からゼラを観察するディーアに、ゼラは麦藁帽子を脱いで小首を傾げる。

「あれは全部、ルヴィウスの趣味でしたから……」

「それにしたって、こんな男の子みたいな格好……似合うね」

 文句を言おうとして、その格好があまりにも地味で小柄なゼラに似合っていて、ディーアは納得するしかなくなった。


 ディーアの店。

 それは、帝都の一番外れの裏路地にある、魔法書や薬品を扱った無許可の店……つまりは、モグリのショップだった。表で堂々と扱うことの出来ない毒薬や呪具を、ゼラの師匠であったルヴィウスは、生前、ここに売りに来ていたのだ。


「帝都にお出ましなんて、珍しいね。どうだい、儲かってるんだろう?」

 問われてゼラは「まさか」と首を振る。

「片田舎の魔法使いですよ?」

「そんな、四つ名の魔法使い様が、ご謙遜を!」

 大仰に恐れ入って見せたディーアが、二つしか名を持たない魔法使いであるのを思い出し、ゼラは申し訳ない気持ちになった。

 魔法使いの中でも、攻撃系でないものは、他の魔法使いを殺して名を奪うことが出来ず、研究で成果を挙げ、論文を書き、『星の舟』に認められることでしか名前を与えられないために、他の魔法使いよりも名前を増やすのが困難だという。

 そんな中で四つの名を持つゼラは高位ハイクラスの魔法使いと言えた。

「あの、召集がかかってしまって、しばらく帝都に留まるんですが、多分、あっちで用意された宿舎とか、好きじゃないから、しばらくお世話になってもいいですか?」

 嫌なことを言われる前に本題に入ろうと、切り出したゼラに、ディーアは丸々とした腹を撫でながら笑顔で応じる。

「構わないよ」

 その言葉の後には、当然、こう続いた。

「まぁ、幾らか払ってもらうけど」

 ディーアの店の二階でシャワーを浴びて着替えると、一日馬車で揺られ、それから大陸横断鉄道に乗り、それからキエラザイト帝国鉄道に乗り換えて、合計四日の旅の疲れも少しは薄らいだ。

 濃紺のローブを纏い、首には大きな青い珠が嵌った首輪のようなデザインのチョーカーを巻いて、耳には涙方のイヤリング、白い細身のズボンに焦げ茶色のショートブーツという出で立ちになると、出掛けに見送ってくれたディーアも納得する。

 ローブの胸に輝くのは、幾重にも細い銀を結い合わせて作った三日月と、その合間に砂利のような青い小石が四つ輝くブローチ……『星の舟』から与えられた魔法使いの証だった。

 ディーアの店から出て細い路地を歩くと、行き道では色々と声をかけてきたり、金をせびろうとしていた薄汚い男たちが、目を剥いて道を開ける。

 開けた草原ばかり見ていたゼラには、帝都の石畳は薄汚く暗く、帝都の空は建物に切り取られて酷く狭く感じられた。鳥の声や木の葉のすれる音、川のせせらぎや木々の洞を抜ける風の遠吠え。そんなものは帝都には一切なく、代わりに人々のざわめきが通りを占領していた。

「魔法使いの兄さん、薬を買わないかい?」

「間に合ってます」

「じゃあ、売らないかい?」

「あなたに手の出せるような安価な薬は扱っていませんよ」

 声をかけてくる痩せた男を一瞥して冷ややかに言い、ゼラは道を急ぐ。

 国境地帯で小競り合いが続いていて、魔法使いが力を見せ合っているせいか、魔法使いへの恐怖も高まっているようで、毅然としていれば誰もゼラにしつこく干渉してこない。

 この身の内が冷えるような心地よい孤独は、『星の舟』にいた頃は日常だったと思い出し、ゼラは苦笑した。

 ゼラが来るように指定された場所は、帝都の中央の皇帝宮からは酷く外れているが、ディーアの店よりは中心部、という非常に微妙な位置にある。蔦の絡まる古ぼけた高い塀で囲まれた巨大な建物は、魔法使いの暗いイメージをそのままに象徴しているようだった。

 塀沿いにかなり歩いて門に付くと、取っ手の厳しい顔立ちのライオンが低く唸り声を上げる。


『招かれざる者は去れ。招かれし者は名を告げよ』


 偉そうな口ぶりに呆れながらも、ゼラは名乗った。


「シノ・ゼルランディア・クローディス・イリウ」


 正式な名前を一気に述べると、ライオンは沈黙して、重い扉が中から自然に開く。中に足を踏み入れる前に、門の前の縁石に踵を打ちつけ、ゼラは片手を前に突き出して呟いた。

「ゼルランディアの名において命ず。私は、全ての敵意の存在を許さず、認めない。いかなる魔法使いのものであろうとも、私は何も受け取らない」

 ゼラの言葉に呼応するように、ゼラの全身が淡い水色の光に包まれる。その光はゼラの体に吸収されて消えていった。

 呪詛避けの魔法を使い終わると、ゼラは警戒しながら中に足を踏み入れる。


 入った瞬間に感じたのは、異臭だった。


 悪臭……何か汚物のような、生き物の屍骸のような、獣の独特の体臭のような……そんなものが交じり合った臭いに、ゼラは顔を顰める。薬剤を扱う魔法使いは嗅覚が鋭くなければいけないのだが、この時だけはゼラは自分の嗅覚の鋭さを呪った。

 草に埋もれかけた庭の敷石を踏みながら、屋敷に向かって歩く間、ゼラは袖で鼻と口をしっかりと覆う。そうでないと、回れ右して帰りたくなる気持ちを抑え切れなかったのだ。

「おや、さすが、ルヴィウスの一番弟子様ね」

 玄関の前に来たところで、頭上から声が降ってきて、ゼラは上を見上げる。庭に面した二階の窓から、豪奢な栗色の巻き毛の女が、ゼラを見下ろしていた。

「自己紹介の必要は、なさそうですね。なんです、この、酷い臭い」

 屋敷に近付くに連れて濃厚になる異臭を肌で感じながら、身震いするゼラに、女は指先でとんっと窓枠を叩く。すると、ゼラの前の扉が鈍い音を立てて開いた。

 中から流れ出るのは、更に濃縮された悪臭。

「アディの忠告に従っておくんだったかも」

 涙が出てきそうなほどの悪臭に、流石のゼラも怯んだ。

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