第3話 魔法医と魔獣  2

 ゼラの家の前に出来た長蛇の列を眺めながら、エドリグは小さくため息を付いた。庭の前に出したテーブルの上にはカルテが積み重なっている。

「エレーンのところの婆ちゃんだよ。神経痛の」

 エドリグの渡すカルテを手に、ゼラは用意していた薬の紙袋を老婆に手渡した。

「帝都になんざ、行くもんじゃないよ、ゼラちゃん」

「えぇ、でも、仕方がないですから。一月くらい留守にしますが、お薬は毎日飲んで下さいね」

「そんな……皇帝様は奥方を求めておられるとか。ゼラちゃんが召し上げられちまったら、後宮の闇に飲まれちまうよ?」

 後ろから顔を出す老人のカルテを確認して、ゼラは彼のしわしわの手にも薬袋を握らせる。

「大丈夫ですよ。皇帝陛下もそんなに悪趣味じゃないでしょうし」

「そんなこたないよ。ゼラちゃんは可愛い!何よりも、優秀な魔法使いじゃないか」


 魔法使いは生まれるとすぐに登録がなされ、制御しきれぬ自らの魔術で死ぬことがないように、十歳前後で『星の舟』に入れられることが多い。例外として、他の魔法使いに師事することもあるが、そんな幸運な魔法使いは本当に一握りしかいなかった。

 『星の舟』に入った魔法使いは魔団法によって守られ、国の思惑で動かされないようにはなっているが、魔法使いたちの意思を聞いて各国に魔法使いを斡旋するのも、絶対の中立を守る『星の舟』の役割だった。

 一つの国が魔法使いを持ちすぎないように、一つの国が力を持ちすぎないように、均衡を保つための魔団法。

 けれど、その例外となるのは婚姻である。

 それ故に、権力者たちはことごとく魔法使いとの婚姻を望んだ。


「ゼラちゃんほどの魔法使いだったら、皇帝の守り主になれるじゃろうなぁ」

 もう決まってしまったことのように切なく語る老人に、ゼラは苦笑する。エドリグが「後が詰まってるから、終わった奴はさっさと帰れ!」と怒鳴ると老婆と老人はすごすごと帰っていった。


「そういや、ゼラ先生の師匠も、時々帝都に行ってたよな」

 午前中の患者たちに薬を配り終えて、遅い昼食を食べながら、フォークを持ち上げて呟いたエドリグに、ゼラはほんのりと微笑む。

 庭師の孫であるエドリグは今年で十二歳。祖父の手伝いをしに幼い頃からゼラの家に来ていた彼は、学校に行くお金を稼ぎたいと、九歳の時からゼラの家で庭の整備以外の手伝いもするようになっていた。

「魔法使いは国の召集には逆らえないからね」

 逆らえば追放。

 その追放が怖くない根無し草ばかりなのが魔法使いというものだが、ゼラは『星の舟』から降りて初めて住んだこの家から離れたいとは思わなかった。

「あの人が残してくれた家だもの」

 厚焼きのハチミツトーストをかじるゼラに、エドリグがうっとりを虚空を見つめる。

「そういや、ゼラ先生の師匠の葬式の時……失礼極まりない高慢な魔法使いの中、あの薄紫のきらきらした髪の人、むちゃくちゃきれいで優しかったよなぁ」

 子どもとはいえ男、鼻の下が伸びるエドリグに、ゼラが苦笑した。

「アディね」

「そうそう。祖父ちゃんの足かけた魔法使いを、笑顔で退けたんだ。格好よかった……。隣りに紅い髪の兄ちゃんがいたけどさ……あの二人って?」

「紅い髪って……ウェディーかな。恋人とかじゃないよ。そんなこと言ったら、怒られる」

 紫色の光沢を持つ銀髪の絶世の美女、アディと、その悪友である紅い髪の少年、ウェディー。懐かしさに目を細めるゼラに、エドリグは慌てた。

「ごめん、悲しいこと思い出させちゃった?」

「いや、三年も前のことだから」

 首を振ってから、ゼラは小さく息を吐く。それからはたと気付いてエドリグの顔を凝視した。

「三年前って、エド、九歳よね。よくそんなに覚えてるなぁ」

 ゼラが黒い円らな目をぱしぱしと瞬かせると、エドリグは人差し指を立てた。

「俺、魔法使いになりたかったから、師匠になれそうな奴をチェックしてたんだ」

 いかにも子どもらしい答えにゼラは苦笑する。

「魔法使いなんて、そんなにいいもんじゃないよ?」

 言われてエドリグは深く頷いた。

「ゼラ先生見てるとそうかなって思うよ。魔法使いってもっと、何でも魔法でちょちょいとできて、万能なのかと思ったら、先生、薬草育てて鍋かき回すばっかりだし……」

 肩を竦めるエドリグ。ミルクティーでハチミツトーストを流し込んだゼラは立ち上がった。


「容姿端麗だと他の誰かに攫われる、能力が高いと『星の舟』に持っていかれる、性格が苛烈だと傍にいて疲れる……」


──だから、私の花嫁の条件は、地味で大人しく従順であるという、それだけだ。


 かつて言われ続けていた言葉が蘇り、ゼラは食器を片付ける手を止める。

 厄介ごとに巻き込まれないために、『星の舟』から離れ、キエラザイト帝国の辺鄙な片田舎に家を建てたはずなのに、ただ真面目に薬草学を続けてきたゼラが得た様々な称号が、それを許さない。

 言われてきた通りに、ただ地味に生きていればよかったのかと、今更ながらにゼラは後悔した。


「ルヴィウス……私はどうしたらいいんでしょう……」


 失われた魔法使いの名を呟き、ゼラは薄い胸元を握り締める。


 仮面の魔伯、ニレ・ルヴィウス……六つの名前を持ち、最後には『星の舟』すらも黙らせて弟子と共に地上に降りた男。

 三年前に彼はキエラザイト帝国の片田舎で生涯を終えた。

 老衰で。


「さて、今日中に薬を配ってしまわないと……明日には出発だからね」

 過去に沈みかけた意識を無理やりに現在に引き戻し、自分を鼓舞するように元気よくゼラが言うと、エドリグも慌てて立ち上がる。

「ゼラ先生が戻ってこなかったら、この家と残った薬は全部俺が貰ってあげるから、安心してよ」

 現金な助手に肩を竦め、ゼラは食事の後片付けを始めた。

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