第60話 街の様子
ざわざわ
ココアに勧められるまま、何気にぶらりと出かけたのだが、久々に訪れた光景に半ば呆然。
ほんの数ヶ月前までほどんど人を見かけなかった繁華街だというのに、今はあちらこちらで露店が立ち並び、それらを買い求める人たちであふれ返っている。
確かにこのアクアでは多くの難民を受け入れたが、まさかこの短期間でここまで馴染んでいるとは思ってすらいなかった。
私としては一時的な避難場所になればと空き家や空き店舗を提供したのだが、いつの間にか彼らはそれらを利用し、いち早く自立するために各々仕事を見つけ始めている。
いずれこの地を第二の故郷にしてもらえるなら、家賃や税金といったものを考えなければならないだろうが、今は純粋に新たな生活へと進んでくれていることに嬉しささえ覚えてしまう。
「それにしても凄いわね。話には聞いていたけれど、まさかここまで人があふれているとは思ってもいなかったわ」
私も少し前まではこの辺りで店を出していたのだが、今は住まいを街外れへと移し、ひたすら屋敷と商会との行き来しかしてなかった。
しかも贅沢だと言っているのに、『一介の領主様が徒歩で通うなどあり得ません』だとか言われてしまい、私はおろか妹のリアの登校まで馬車で通う有様。
私としては日頃の運動不足にいいと思っているのに、ここ最近は一人で散歩すら行かせてもらえなかったのだ。
そう考えるとこの自由に過ごせる時間をくれたココアに、感謝しなければならないだろう。
「よぉ嬢ちゃん。新鮮な果物が今朝大量には入ってよ、ちょっと見ていってくれよ」
一人繁華街を歩いていると、軒先に野菜やら果物やらを並べたおじさんが、私に向かって声をかけてくる。
「へぇ、珍しいわね。これってカシの実じゃない、この辺りじゃ採れないって聞いていたのに」
私は赤く熟した実を手に取り、そっと顔に近づけ香りを楽しむ。
このカシの実は、私がまだアージェント領で暮らしていた頃に馴染のある果物で、収穫の時点では固く酸味が激しいのだが、2・3ヶ月涼しい場所で寝かせることにより、その実は柔らかく香りのある実へと変わる庶民的な果物。
あまり高級な果実でもなく、甘さも控えめということから貴族間では馴染のないものだったので、王都へと移ってからはまったくお目にかかることはなかったのだが、まさか生まれ故郷から遠く離れたこの地で出会えるとは思ってもいなかった。
「ほぉ、嬢ちゃん、カシの実を知っているのかい? ってことはあんたもアージェント領からの難民だな」
私の言葉に気を良くしたのか、何やら店主のおじさんが親しげに話しかけてくる。
流石にこの場で名乗る訳にもいかないので、とりあえずは適当に誤魔化しつつ話を合わせておく。
「がははは、どうだ懐かしいだろ? 故郷のアージェントはすっかり焼け野原になっちまったが、果樹園を営む村は無事だったようでよぉ。買取先がないって連絡を受けたもんだから、うちで買い取ってやったんだよ」
なるほど、この地では珍しいとは思っていたがそういう経緯で流れてきたのね。
確かにこの実ならば収穫後すぐに食べる訳ではないので、輸送の日数にも問題ない。価格は流石に地元と一緒という訳にはいかないが、それでも決して手が届かないものでもなく、比較的手が出しやすリーズナブルな金額といえよう。
それにこの実の最大の特徴は料理方法の多様性。
「いい香りね」
「だろう? そのまま食べるもよし、ジャムやパイにするもよしで、いろんな食べ物に利用できる」
「そうね、ジャムやパイにするのも迷っちゃうけどれ、私はやっぱり焼き菓子やマフィンに使ってみたいわね」
子供の頃、亡くなった母と一緒におかし作りにチャレンジした事を思い出す。
お世辞にも母は料理やお菓子作りが得意だったとは言えず、お屋敷で働いていたメイドさんたちがさり気なく手助けしてくれていた事を覚えている。
庶民出の母と貴族の父、小さいながらもお屋敷があり、そこで働くメイドさん達によくしてもらい、何不自由なく幸せに暮らしていたあの日の頃。
結局両親が亡くなってからは一度も戻る事が出来なかったので、暮らしていたお屋敷や、仕えてくださっていたメイドさんたちがどうなったかはわからないけれど、両親のお墓前りすら出来ていない私はなんて恩知らずなのかと、改めて感じてしまう。
そんな懐かしい思い出と、僅かながらの罪悪感を感じながら世間話をしていると、カジの実の香りに引き寄せられた人たちが、自然と店の周りに集まり始めていた。
「おや、懐かしわね。もうカシの実が並ぶ季節になるのね」
「何言ってんだい、まだこの地に来てから3ヶ月ほどしか経っていないじゃないかい」
「そうは言っても国に帰っても家はないし、食べるものだってありゃしないじゃないかい」
「そうそう、今の領主様は俺たちにゃ何一つやっちゃくれねぇ。風の噂じゃ領地の復興もまったく進んでねぇって話だ。一体あの領主様は王都で何をやっているんだか」
ざわざわざわ。
やはり誰もが故郷を失った不安と、何もしない叔父に対して怒りを感じているのだろう。
どこの世界でも復興はその地、その土地を治める者が主導ではじめるもの。もちろん国からの支援金や支援物資は割り振られるのだろうが、基本はその地を治める権力者が普段から蓄え、いざという時に支援や復興に取り掛かるものだ。
だが残念な事に、現在のアージェント家ではそれらの緊急費を叔母と義姉が使い切ってしまっており、更には避難のためにと領地を離れた人たちが、今現在も戻らない始末。そのため復興を行うための人すら集まらないのだという。
『復興が進まないから人は戻らない』、『人が戻らないから復興が進まない』と、叔父がおかれた状況は相当苦しいものなのだと、ハーベストからの手紙にはそう書かれていた。
「もうあの領地はダメだろう。主要な街は燃えてしまったし、要である鉱山はあらかた掘りつくされちまってロクな石すら出やしねぇ。せめてフロスティ様がご存命なら何とかしてくれたかもしれねぇが、今の領主じゃ希望の一つも見つけられないってもんだ」
「だよなぁ。なんでも領主様やご家族様は、被害がなかった王都でぬくぬくと暮らしているって話だ。俺なんて一度たりともご本人の顔すら見た事がねぇんだぜ?」
「何言ってんだい、見かけた事がないってだけ幸せってものよ。私の娘なんて汚いものを見るように軽くあしらわれたんだから」
耳に入ってくる言葉はどれも痛々しい内容ばかり。
私自身それらに全く関わり合いがなかったとは言い切れず、父であるフロスティの名前が出たことは唯一の救いだとは言えるが、逃げ出すようにこの地へとやってきたのもまた事実。
如何に自分のため、妹の為にと屋敷を飛び出してはしまったが、貴族であったという責任を放棄した事は、やはり償うべき行いと言わざるをえないだろう。
そんな時、ふとココアが口にした言葉を思い出す。
『あの人達だって好きでこの地に流れてきた訳じゃないんだし、困っている時はお互い様。それに遠くの地だというのに、リネアさんを頼りにやって来られたんだから、追い返す訳には行かないじゃありませんか』
私を頼りに?
あの時はその後に告げられた事実が衝撃すぎで、言葉の真相を尋ねるのを忘れてしまっていたのだが、思い返せば疑問の思うところがオンパレード。
私がこのアクアにいる事は当然叔父にも話しておらず、またこの地にいると気づかれたのもの難民が押し寄せた後のほう。まさかこの村の人たちのように、私が気づかない間に噂が広まっていたとも考えられないので、なぜこの様な状態に至ったのかが全く思いつかないのだ。
その事を疑問に思いつつ、近くで話し込んでいた人たちにさり気なく尋ねてみる。
「あのー、つかぬ事をお尋ねしますが、皆さんはどうしてこの地へとやってこられたんです? 言い方が悪いかもしれませんが、避難するならここよりももっといい場所があったと思うんですが」
「もしかして嬢ちゃんは例の話を聞いてないのか?」
「例の話?」
「あぁ、俺も詳しくは知らないんだが、ある日何人かの騎士がやってきてな、『もうすぐこの地は戦場になる。だから逃げ出すんなら今のうちだって』言い出したんだ。しかもご丁寧に避難先の候補をいくつも挙げてくれてよ」
「えっ、騎士の方が?」
騎士と言っても国に仕える騎士様もいれば、各領地が抱えている騎士様もいる。
あの当時はちょうどリネア様のブラン家が謀反を起こしたと、怪しい噂が広まっていた時なので、領民たちを動かすには絶妙なタイミングだったのかもしれないが、一体どこの誰に仕えていた騎士様なのかさっぱりと見当がつかない。
そんな私の疑問をよそに、おじさんの会話は更にすすむ。
「でだ、その中の候補にフロスティ様のお嬢様おられるこの地があったわけだ。お陰で雨風には打たれないわ、食べるものには困らないわで、この地で新しい仕事にもありつけた。まったくあの騎士様とリネア様には感謝してもしくれねぇってもんだ。がははは」
………………はぁ?
気前の良さそうなおじさんの話で、俺も俺もと盛り上がる民衆たち。
申し訳ないが、恐らく当事者であろう私がただ一人おいてけぼりなのだが、身に覚えが何一つないのだからある意味この状況は仕方がない事だろう。
えっと、ちょっと整理をしたほうがよさそうね。
盛り上がっている人たちの話から時折漏れ出る言葉とをつなぎ合わせると、どうやら避難先へと候補が挙がっていたのは、ブラン領やアプリコット領、そして私がいるこのアクアだという話。
亡くなったお父様はアージェント領で鉱山の責任者をしていたわけだし、それなりの知名度も評判も高かった。その娘である私がいるのだから、このアクアが候補に上がったとしても不思議ではない。
だが問題はなぜ私がこの地にいると知っていたか。
ブラン領とアプリコット領が候補に挙がっているところをみると、恐らくリーゼ様が関わっていそうな気がしないでもないが、確かとなる証拠はどこにもなく、またこれ以上問いかけたとしても恐らく答えは出てこないだろう。
結局答えらしい答えは何一つみつかってはいないが、領民たちを救おうと行動したことに悪意はないはず。
唯一警戒すべきところは、私の居場所が叔父にバレる危険性であったのだが、領民たちの命と私の状況とを天秤に掛ければ当然前者になるわけだし、直接叔父に告げ口をされたわけでもないので、別段注意するべき事でもないだろう。もう叔父に居場所はバレているわけだし。
それにしてもその騎士様って一体なに者かしら?
私がこの地にいるという話もそうだが、アージェント家の人間だという事実もさほど知る人物はそう多くはないはず。
まさかヴィスタのご両親が話すわけもないはずなので、なぜ私の居場所を知っていたのかだけ、考えれば考えるほど謎が深まるばかりである。
そんな思考で一人頭を悩ませている時、人混みの中から私を見つめる視線にふと気づく。
「「……あっ」」
少し離れていた為、彼女の声自体は聞こえなかったが、全く私と同じ反応をしたところを見ると恐らく驚きの声が漏れ出たのだろう。
それはかつて両親が存命のころ、お屋敷に仕えていたメイドの一人だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます