第11話 責任と喜び

「ごめんなさいねクランベット、また調理場を借りちゃって」

 ヴィスタとの問題が解決したことで、お詫びを兼ねてのスイーツ作り。

 今回は随分心配をかけちゃったので、明日のデザートには少々手の込んだものを作ろうと、学園の帰りに寄り道してお菓子のメインとなるフルーツを買ってきた。


「いえいえお嬢様。私の方こそ学ばせて頂いているところもありますので、お気になさらないでください」

 アージェント家の調理場は世間でも珍しい女性スタッフが3名。その中でもクランベットは祖父母の代から仕えてくださっている方で、年齢も亡くなった私のお母さんぐらい。生憎ご結婚はされていないようで、私やリアを自分の子供のように可愛がってもらっている。


「それでお嬢様、今日は一体なんのお菓子をお作りになるので?」

「学園の帰りに美味しそうなイチゴが売ってたから、今日はいちごのタルトでも作ろうかと思ってね」

「いちごのタルト?ですか?」

 クランベットや他の料理場スタッフ達には聞きなれない名前だったのか、それぞれお互いの顔を確かめ合いながら不思議そうにこちらを見つめてくる。


 あれ? この世界にタルトってないんだったかしら?


 この世界にもクッキーやらスコーンやらのお菓子は普通に存在している。

 もちろん近代文明の象徴とも言えるタピオカドリングや、スナック菓子のようなものは存在しないのだが、最近では王都を賑わせているスィーツショップに、チョコレートやケーキといったものまで売り出されているので、私は特に気にすることなく色んなお菓子作りに手をつけてきた。

 だけどどうやら存在するお菓子と存在しないお菓子が入り混じっているようで、時折今のような光景に出くわす事もしばしば。

 その都度亡くなったお母さんに教わったのよと、誤魔化し続けてきたわけだが、それもそろそろ苦しくなりつつある。


「これもお嬢様の母君に教わられたものなので?」

「そ、そうね。お母さんはお菓子作りが得意だったからその時に教えてもらったのよ。おほ、おほほほ……」

 クランベットの問いかけに視線を逸らしながらそれっぽく誤魔化す。ポイントは右手を口元にあてて良家のお嬢様風に高笑いするところだろうか。

 本当はお料理からお菓子作りまでサッパリだったお母さんだが、その事実を知るのは今は私とリアの二人っきり。

 リアが調理場に来る事なんてないだろうし、私の完璧な演技の前では誰一人として疑問は持たないはず。現に今も悲しい子を見るような視線を送られながら、これ以上の追求は回避できた。


 昔はよく動物の真似をして『リネアは演技が上手ね、お母さん本物のマントヒヒかと思ってすっかり騙されちゃったわ』と褒められた事もあったのだ。

 まぁ、マントヒヒではなくて子猫のつもりではあったのだが、いつも身近にいるお母さんまで誤魔化せたのだから、私の演技を見破れる者はそうそういないだろう。


「それにしてもお嬢様って器用ですよね。手際もいいしとても素人とは……」

「コラ、バカ。そこはツッコんだらいけないところでしょうが」

 なにやら調理場スタッフさん達が小声で話していたような気もするが、ホイッパーのかき混ぜる音でよく聞こえない。

 聞きたい事があれば何でも教えてあげるんだけれど、気を遣ってくれてるのかしら?


「なにかお手伝いしましょうか?」

「いいの? でもまだ仕事が残っているんじゃないの?」

 今日は少々手の込んだお菓子を作っているので、手伝って貰えるなら助かるけれど、クランベット達の本業はあくまでもこのお屋敷のお料理全般。

 時間的に叔父達の食事は終わっているだろうが、使用人さん達の食事もあるだろうし、明日の仕込みもあるだろう。


「今日はもう一通り終わっておりますので、残りは片付け程度なんです」

「そうなのね。ごめんなさい、私が調理場を占領しちゃって」

 後片付けだけという事は私が居るから終われないのだろう。なんだか申し訳ない気もするが、ヴィスタへのお詫びもあるのでここはご厚意に甘える事とする。


「いえいえ、大丈夫ですよ、私たちにとっても勉強になりますし、新たな発見もできますしね」

「そうですよ。私なんてこの前教えていただいたマヨネーズのおかげで、一気にレパートリーが増えましたよ」

「あぁ、あれは凄かったわね。旦那にマヨネーズを使った料理を出したら美味い美味いって喜んでくれたのよ。普段はぶっきらぼうにしているのに、マヨネーズを使った料理には反応するんだから」

「二人にそう言って貰えると助かるわ」

 このお屋敷の料理場スタッフさんって、クランベット以外はご結婚されているのよね。二人とも職場恋愛の末のご結婚らしいので、夫婦揃ってこのお屋敷で働かれている。

 この前もスタッフさんの一人が、旦那が食事に不満を漏らすんだといって愚痴っておられたので、調味料のひとつしてマヨネーズの作り方を教えた事があった。


 マヨネーズは卵と塩、お酢と油、そしてレモン汁とマスタードがあれば、比較的誰にでも作れるお手軽な調味料。必要な材料も少なく、混ぜ合わせるだけで出来上るうえに、使用用途は多種多様。

 ただこの世界にはお酢とマスタードが存在しなかったため、マスタードは香辛料のカラシナをすり潰して『和からし』を作り出し、お酢は柑橘系の絞り汁で代用させてもらった。


 そもそもこの世界ってちょい足し系のソースや調味料が少なすぎるのよね。お肉にしろお野菜にしろ、前世であったようなソースやドレッシング類が数多く存在するわけじゃないので、素材の美味しさと限られた調味料だけで味付けるのが基本となってしまっている。

 サラダなんてオリーブオイルしか存在しないのだから、リアの野菜嫌いを治すのに苦労したんだから。

 

 元日本人の私としてはお醤油やお味噌があれば嬉しいのだけれど、熟成やら発酵やらの工程があるから、完成するまでに時間がかかっちゃうのよね。作り方は大体わかっているが、麹を見つけないといけないし、さすがにこればかりは私一人じゃ難しいだろう。

 

「大丈夫だとは思うんだけれど、くれぐれも安全面には配慮しておいてね。その都度その都度でお料理に入れるのはいいけれど、作り置きは絶対に禁止で」

 気持ち的には多少の作り置きは認めてあげたいが、いきなり前世のレシピをそのままこの世界に適応させるのは流石に抵抗がある。

 この世界にある冷蔵庫は精々氷や地下を利用した簡単なものしかなく、そのうえ賞味期限という概念が存在しないので、最後は調理する人の判断に委ねられてしまう。

 もし何も知らずに作り置きしていた物を使って食中毒、なんてことがあればそれこそ大問題となってしまうだろう。せめてある程度の準備を整えるか、それなりの商会にレシピを売りつけるかしたほうが、安全面から考えればよほど適正というもの。


 私は調理師の免許は持っていたが、食品衛生管理者の資格を持っていたわけではないので、その辺りのところは慎重に動いたほうがいいだろう。

 この世界の医療機関がどこまで発展しているかは知らないが、食中毒で命を落としてしまうことは前世でもよくあったことなので、調理に関わるものとしてこのあたりの対応は妥協するわけにはいかないのだ。


「わかっていますよお嬢様。お屋敷の中でしか使用しませんし、作り置きもしませんから」

「そうですよ、私たちもプロの料理人ですからね。お嬢様がおっしゃるように安全面に配慮するのは当然のことです」

「ありがとう。それと出来ればなんだけれど……」

「わかってますって。旦那様や奥様には内緒なんでしょ?」

「ええ、普通に食事として堪能してもらう分にはいいのだけれど、商売の道具として使われちゃうのはね」

 叔父が手がけている事業は鉱山でとれる鉱石や宝石といった畑違いのもの。もちろんそれなりの知識がある人物を雇い入れればいいのだろうが、そこまで食の安全を確保してくれるかもわからないし、これで一儲けされるのも正直癪だ。

 もし私の知らないところで商品化なんてされていたら、下手をすればその後に起こった問題はすべて私の方へと責任がかかってくるかもしれない。だから私は三人にお願いして、調理済みとしてテーブルに並べるのは構わないが、ちょい足し、ちょい付けの調味料としての使用は控えるようにお願いした。


「その辺りのことも理解しております。それにマヨネーズだけに頼るのも料理人としてはどうかと思いますし、栄養面とのバランスを考えますと余り多用するのもどうかと思いますしね」

「ありがとうグランベット、あなたの言う通りね」

 マヨネーズが美味しいからといって、そればかりに頼るのはやはり料理人としてはダメだろう。

 叔父はともかく、叔母と義姉は料理は素材が高ければ高いほど美味しいと勘違いしているような人だし、料理が気になったとしてもメインで使われる素材が目に映り、使われている調味料までは気にもしないだろう。

 唯一商才に関しては叔父の知識と発案は警戒するべきなのだろうが、すでに料理の一部となってしまった素材の利用価値までは見いだせないだろう。


「それじゃ、いちごのタルトを作ってしまいましょう。少し多めにいちごを買ってきたから、明日の休憩にでも皆んなにタルトを振舞ってあげて」

 その後、四人で和気藹々しながらいちごのタルトを完成させる。

 ノヴィアが笑い、リアが喜ぶ、食べる皆んなの笑顔を思い浮かべ、私は再び料理人としての喜びを感じるのだった。

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