狂人

平崎芥郎

狂人

「おぅら、殺しちまえよぉ」

 その声が俺に手を差し伸べるかのように、のそりのそりと手招きしているようであった。やめろ、やめろやめろ。

 「その方が気が楽だぞぉ?そうすりゃぁ、お前はきぃっと良いところに行けるぞぉ?おらぁ、やっちまえよぉぉ」

 何がいいところだ。そもそも、この世界にそんな場所はひとつもない。お前に何がわかる。声は少しずつ大きくなっていく。それはスピーカーの音量を上げていくように、徐々に段階を踏んで大きくなる。


 

 夏になると俺の寝付きがどうにも悪く、今日も胸くそ悪い夢で起きてしまった。

 人が幸福感より喪失感を多く感じやすいという。なんて面倒な生き物なのだろうか。一体誰がこんな化け物を作り出したのだろうか。神様が存在するならば、きっと俺はそいつに中指でも立てて宣戦布告した挙句、途方もない不毛戦争に身を置くのだろう。だが、生憎そんなものなんているはずもないと思っているが、そんなことはどうだっていい。私は洗面台に向かい、両の手で掬った水を顔に叩きつけた。

 清々しい気分で非常に気持ち良いのだが、あの声が頭の中を走馬灯のように駆け巡っていた。 

 おぅら、殺しちまえよぉおぉぉ……やっちまえよぉぉ……気が楽に楽に……。

 おかしくなりそうな頭を掻き毟りながら、俺は鞄を片手に部屋を出た。

 

 大通りは人で溢れていた。道路の一部は閉鎖され、車道も歩道も隔てなく歩いている。多くは浴衣を着ている浮かれた連中ばかりだ。その奥では神輿担ぎなんかがやっているが、俺には全く何が楽しいのだか分からなかった。その上に乗っかって、「わっせ、わっせ、おらおらぁ!もっとあげろい!」なんて言っている自惚れ野郎のことは、もはや考えたくもなかった。

 十分ほど歩くと、右に大きな広場が見えた。奥には何百と続いていそうな大階段があり、階段の脇には、神社の名前が書かれた大きな看板が立てかけてあった。看板の横には飲んだくれの男が寄りかかっていて、「おれぁいつもがんばってぇだぁ……」とひたすら言葉と一緒に吐いている。

 広場では屋台が所狭しと並ぶ。煙をこれでもかとひけらかし、発電機の轟音がヴゥゥンンンン……と響いている。俺はそいつが気になり凝視した。そうしていると、発電機の中が何やら騒がしい。よくよくそいつ―――まぁ今となってはそいつらを見ていると、バタバタと動き回っている――――恐らく電子とやらの中の一つと目が合った。立っている視点からでも見える一つの丸い目はやがて細くなり、

 「こっち見んなよ」

 と言ってきた。

 俺は大人だがカッとなり、

 「お前に指図される覚えはない」

 「ほら、あそこに海軍の展示がしてあるだろ?あそこでも見て、うわぁカッコイイなぁなんて言ってなよ」

 「初対面の人間にいう事じゃないな」

 「当たり前じゃないか。僕達は一生懸命働いている真上で、ただ僕達をぼぉっと見ている、無精髭生やしたお兄さんがいるんだから」

 俺は何だか皮肉を言われているようで嫌だった。そもそも、俺は皮肉めいたことを言われることを嫌っていたので、俺はそいつらを蹴ろうとした。

 「ちょっと、お兄さん。何しようとしてるんだい?!」

 横の屋台の男が突進してきたせいで、あいつはニヤニヤと笑い、俺を指さしていた。決してそいつに口がある訳では無い。だが、一つしかないその目は、三日月の尖った部分を下にしたような形をしている。明らかに嘲笑している様子だった。俺はなぜだか知らないが、視界が黒くなっていくのを感じた。身体の右半身は地面と接しているようだが、目の前は深い闇に包まれている。

 おぅらぁ……殺しちまえよぉおぉぉぉ……気が楽に楽に……。

 またあの声、あの手招きをするような声だ。すると、視界が若干晴れ、僅かに誰かが座っているような影が見える。俺はそいつに話しかけようと試みるが、口が動こうとはしない。

 「おぅら、腹立ってんだろぅ?悩むことはねぇから、やっちまえよぉぉ……」

 誰がお前の言う通りに従うか。

 「いぃやぁ?お前はきっと殺っちまうんだよぉ。お前みたいなやつが狂気じみた快楽魔みたいになるんだぁ」

 随分と偏った考えを持っているんだな、お前は……いやいや、そんなことはどうでもいい。お前は誰なんだ。

 「俺かぁ?何言ってんだお前ぇ?俺はお前で、お前は俺なんだよなぁ。だから分かってんだよぉ」

 容姿も話し方も違うよくわからないやつに言われても、俺には理解が出来なかった。なんて面倒なやつだ。こんなやつが俺だというのがどうにも信じられない。そしてなぜお前は俺と会話しているんだ。

 「はぁ?そりゃお前、さっき言ったろぉ?お前は俺で、俺はお前なんだぞぉ?そんくらいわかんだろぉ、なぁ?」

 そう言うと俺の視界は暗くなり、あいつの影すら見えない闇と化した。

 

 

 「…………ら、こんなことが出来るんだ!!」

 目を開けると、目の前には警官が鬼の形相で問いつめていた。その状況に困惑し、俺は周囲を見回す。

 灰色の石壁と横長の鏡が一枚、窓が一つが俺と警官を囲んでいる。机からは睨まれているような冷徹感を感じた。部屋の角には監視カメラがあり、俺を逃がさんとする警察の正義を絵の具で固めたような思考が分かる。

 「…………俺は、何をしたんですか?」

 「そんなことは、お前が一番わかっているだろ。」

 「……?」

 「……これを見ろ」

 警官は机のどこかから電子端末を取り出し、いくつかの操作をした後、画面を俺に見せてきた。

 

 画面には俺が見た祭りの様子が映る。屋台が画面の上下にに隙間なくあり、多くの人がすれ違っている。するとそこに、左端からふらふらとした足取りで男が歩いてきた。整っていない髪型、無精髭、だらしない服装。紛れもなく俺だった。俺は真ん中らへんで止まると、下の方をじっと見始めた。このあたりの記憶は覚えているのだ。あの生意気な電子と大人気なく口喧嘩をしたのだから。

 そうしているうちに、俺は発電機を蹴る後に訪れる、ラガーマンを彷彿とさせる屋台の男のタックルが俺に押し寄せる。問題はその後である。俺は現実の記憶がそこで途切れているからだ。

 

 「おい……なんだそれは……やめろ……やめろぉぉぉおおおお!!」

 「きゃぁああああ!!!!」

 ━━━━━━━待っていたのは、地獄絵図だった。

 俺はなぜか鞄から鉈を取りだし、周囲の人を手当り次第に攻撃している……。

 あれが果たして俺なのか、それとも俺ではない俺だと言っていたあいつなのか……それすら考える暇がなかった。

 (一体……何が起こっているんだ……)

 人は突拍子もない状況に陥ると、視界に入った情報を処理できない時がある。おそらく今、俺に来ている。

 そうしている間にも、状況はますます劣悪な方向へ向かっていく。

 「あぁ……あ、アアア……あっ……。」

 「お、お願いやめて……まだ、死にたくない……助け……あぁあぁあっ」

 人間の骨肉が飛び交い、叫び声が止まることなく響きわたる。先程俺にタックルしていた店の男は、もはや見る影がないほどに悲惨な姿を画面に晒した。俺は服に着いた鮮やかな何かを

、自分から浴びに行くように狂気的な犯行を重ねていく。鉈を振り回し、人の片足を掴み、引きずっていきながら屋台の列の中を歩いている。

 

 「俺が……笑っている……」

 ここまで正気の沙汰ではない行動をしている俺は、周囲の誰よりも目を見開き、ゆっくりと歩き……大口を開けて笑っていた……。

 

 映像はその直後、俺の鉈によって止まる。 

 

 「どうだ……これがお前のしたことだ。一体なぜこんなことが出来るんだ……。あそこには大人だけじゃなく、子供もいたんだぞ!!それをまるでごみのように……ましてや、あんな鉈で襲うなんて……お前には理性というものは無いのか!!」

 「…………」

 ━━━━━━━━━━言葉が、出なかった。

 俺があいつと話していた間に、無差別殺傷をしていたなんて……ましてやこの人通りの多い通りで。祭りをしていた最中に。信じたくはない。だが、あれは紛れもなく俺だ。俺だった。

 「おい……いい加減に何か言ったらどうだ!」

 「やめろぉぉ!俺はこんなの知らない!!知らないんだぁあ!」

 「何を言ってるんだ!あれはどう見てもお前じゃないか!」

 「違う……俺はあの時男と話してて……」

 「その男はお前が殺したんじゃないか!」

 「違う!!店の男じゃない!あいつにタックルされた後、俺は気を失ってたんだ!違うんだ……あれは俺じゃないんだ……」

 信じたくはない……もう…………分からなかった。

 分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からないワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイ。

 

 「う、うぁ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 「おい、こいつを取り押さえろ!!」

 俺が人を殺した。俺は人を殺した。俺は人を襲った。俺が人を襲った。人が俺を見て逃げた。それを俺が殺した。顔を俺が切りつけた。身体を俺が切りつけた、引き摺った身体を俺が投げつけた。俺が俺が俺が俺がオレガオレガオレガ…………。

 

 

 俺は、そこに狂気を見た。

 取調室は張り詰めた空気が漂っているが、依然としてこの男は、何を言っても聞いていない様子であった。目は開いている。だが、俯いた頭には脱力感を感じるものがあり、視線は俺から見て左側の床に向いている。

 

 監視カメラの映像を見たとき、俺はぞっとした。警察署に連行されていく時から、こいつは空気を抜いた風船のように、身体の力が抜けている様子だ。今もそれは変わらない。その様子が、俺には警察を嘲笑っているかのように感じた。

 「一体……どうしたら、こんなことが出来るんだ!」

 すると、目の前にいる犯罪者が突然、生気を取り戻したように前を向く。

 「…………俺は、何をしたんですか?」

 ……何を言っているんだ?こいつはあんな残酷なことをしたにもかかわらず、今になってしらを切るのか?ありえない。

 「そんなことは、お前が一番わかっているだろ」

 「……?」

 男は首を傾げている。まるで自分が何もしていない一般人かのように。

 どういうことだ……?あの映像で人を虐殺していたのは、紛れもなくこの男のはずだ。

 だが、そいつは今俺の目の前で、自分が何をしていたのか分からないような素振りをしている。周囲を見回しては、怪訝な顔をした。

 …………覚えていないのか?こいつはあれほどのことをしたにもかかわらず、なぜこんな行動が出来るんだ……?

 そう考えていくうちに、俺はある単語が浮かんだ。

 ━━━━━━━━━━━記憶喪失。

 (……あの時の記憶だけが……ないのか?だとしたら……)

 「……これを見ろ」

 映像を見た男は、あっという間に顔を真っ青にしていく。目は泳ぎ、身体は震え、歯をガチガチと鳴らしている。

 映像は終わった後も、男は恐ろしいものを見たような目をしていた。自分が犯行を起こした張本人であるにも関わらずだ。なぜあれほどの殺人をした男が、あたかも被害者のような態度を取れるんだ。それが俺には許せなかった。

 「どうだ……これがお前のしたことだ。一体なぜこんなことが出来るんだ……。あそこには大人だけじゃなく、子供もいたんだぞ!!それをまるでごみのように……ましてや、あんな鉈で襲うなんて……お前には理性というものは無いのか!!」

 「…………」

 男は開いた口が塞がらない様子だが、俺は憤りを感じずにはいられなかった。

 「おい……いい加減に何か言ったらどうだ!」

 「やめろぉぉ!俺はこんなの知らない!!知らないんだぁあ!」

 突然、男は叫び声を出し、椅子から落ちた。この白々しい態度が俺の感情を表に出させた。

 「何を言ってるんだ!あれはどう見てもお前じゃないか!」

 「違う……俺はあの時男と話してて……」

 「その男はお前が殺したんじゃないか!」

 「違う!!店の男じゃない!あいつにタックルされた後、俺は気を失ってたんだ!違うんだ……あれは俺じゃないんだ……」

 (何を言っているんだ……?こいつはさっきから何を怯えているんだ……?殺したのはこいつだ。これは……演技ではないのか……?)

 

 その時だった。

 「う、うぁ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 男は急に暴れ出し、何かを目の前から退かすような素振りをし始めた。

 「おい!!こいつを取り押さえろ!!」

 取調室の前に待機させていた部下を使い、男は取り押さえられ、その日の取り調べは終わった。その後、男は精神状態に異常がある可能性があるとされ、警察病院へと送られた。

 

 

 「……あれは、おそらくずっと前からだろうねぇ……」

 翌日、病院を訪れた俺は、白衣を着たショートヘアの女に頬杖をしながらそう言われた。

 「……というと、それはどういう事ですか?」

 「統合失調症……多分重度のね」

 「統合……失調症?」

 「言っちゃえば……うつ病やらなにやら色んな精神病を合わせた感じ。幻覚、幻聴、思い込みが激しくなったり、奇声を発したりするとか……そういう行動を取り出しちゃったりする」

 女は窓の外を見ながら、俺に言った。

 「つまり……あの男はもともと統合失調症を患っていた……ということですか?」

 「これはあくまでも私の推測に過ぎないからあれだけど、行動や思考は、間違いなく統合失調症に当てはまってる。あの子からしたら、なんでも自分を否定するような存在に見えてるのかもね……」

 「……そうですか……」

 女はこちらを鋭い目で俺を見つめた。

 「……あの子、もう人間やめちゃったかもしれないねぇ……」

 「……え?」

 「まぁ、私は医者だから、最善は尽くすけど。あまり期待しないで欲しいわねぇ。ほら、私もうおばさんだからさっ」

 そう言うと女は立ち上がり、部屋の扉に手をかけると、

 「……全く。誰があんな人間を作り上げてしまったんだか」

 とため息をつき、扉を開けた。

 「あ、そうそう。適当にくつろいでていいわよっ、刑事さん。どうせ戻っても仕事なんでしょ?」

 「あぁ……じゃあ、お言葉に甘えて」

 「そんじゃあねぇ」

 そう言って、女は部屋を後にした。

 

 窓からの風が一瞬、少し冷たく感じる。何か生命が居た堪れなくなるような、虚しさだけが俺の心に残った。

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狂人 平崎芥郎 @musehasn0talent

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