2話
俺以外には見えていないのか?
落ち着きを取り戻し始めていた鼓動が緊張で再び高鳴り、手の平にじっとりとした嫌な汗が浮かんでくる。
もし、本当に他の人が見えていないのだとしたら、目の前のソレは本物の化け物ということだよな。
つまり、それが見えてる俺はコイツの恰好の餌食ってことにならないか?
だってコイツの歯、完全に肉食だろ。
人間の肉なんていとも簡単に引きちぎれるだろうよ。
あの大きな口に捕食される場面を想像してしまい、俺はゾッと背筋を震わせる。
こんな得体の知れない奴の横を通りたくはない。
通りたくはないが、このままずっと此処で立ち往生しているわけにもいかない。
それに、そろそろ先に進まないと入学式に間に合わなくなってしまう。
大丈夫。これまでに通って行った人たちは何事もなく道を進めたんだ。
絶対に視線を合わせず自然に通り過ぎれば何も問題は起きないはず。
俺は数回深呼吸をすると、意を決して歩き出そうと右足を浮かせる。
その瞬間――――。
摩訶不思議な巨大生首の眼球がギョロリと動き、その焦点が俺へと注がれた。
2つの大きな視線に射竦められ、浮いた右足は力なく元の位置に戻り、身体は金縛りにあったかのように動けなくなる。
今の状況はまさに蛇に睨まれた蛙だ。
俺はこのまま喰われるんだろうか。
短い人生だったな。こんなに早く死ぬんだったらせめて可愛い彼女の1人や2人は欲しかった。
この際、可愛くなくてもいい。愛嬌のある子だったらなんでもいい。
欲を言えば料理と裁縫が上手くて、さらに床上手だったらもう言うことなしなんだが。
唐突に眼前の化け物が小刻みに震え始める。今の馬鹿げた願望が伝わってしまったのだろうか。
「ギ……ギィ……」
ぷるぷると震える生首お化けから妙に甲高い音が発せられ、小刻みだった震えは激しさを増し、大きい眼球がさらに見開き、下卑た笑みはますます口角が上がり始める。
「ギ……ギャギャギャギャギャ!!」
一瞬の間の後、発せられたのは叫び声と笑い声が混ざったつんざくような声。
鼓膜が破れるかというほどの激しさに、思わず耳を塞ぎ蹲ってしまう。
すると突然、地面が揺れた。
鼓膜が揺れてふらつく頭をおさえ何とか顔を上げる。地面の揺れは、先ほどまで置物のごとく動かなかったことが嘘のように跳ねまわるソイツが原因だった。
ヤバい。圧し潰される。すぐに立ち上がってこの場から逃げ出さなければ。
頭では分かっているのに動けない。
身体が恐怖で竦んでしまって膝や腰に力が入らないのだ。
高笑いを続けながら飛び跳ねるソイツを見て、もうだめだと強く目を瞑った。
出来ることなら一瞬であの世へ送ってほしいと切に願う。長く苦しむのだけは御免蒙りたい。
しかし、その最期は一向に訪れてこようとはしない。
それどころか、金切り声や地響きがどんどん遠ざかっていく。
声と地鳴りが遥か彼方に消えた頃、俺はそっと目を開いてみる。
目の前には何もいない。視界に入るのは普段何気なく見ている日常の風景。
化け物がいた痕跡も、ソイツが戻ってくる気配もない。
産まれて初めての経験だった。
今まで霊感の”れ”の字もないような日々を過ごしてきたのだ。
幽霊なんて見えたことはおろか、気配なども感じたことはないし、もちろんさっきのような異次元生物とも出会ったことはない。
これは夢で、本当はまだ俺はベッドの中ですやすやと安眠中なのではないだろうか。
そんなことを考えるのも至極当然の事だと思う。
「……いってぇ」
そしてお決まりのように、自分の頬を思いっきり抓ってみるものの、確かに痛みを感じる。とても痛い。なぜこんなに強く抓ったのかというほど痛い。
痛み治まらない頬をさすりながら砕けた腰になんとか力を入れ立ち上がり、ソイツが消えた方向を眺める。
なんだか嫌な予感がするが、早く大学へ向かわなければ。初日から遅刻なんてもってのほかだ。
胸の中に残る黒い違和感を必死で払いのけながら、俺は足早に大学への道を進み始めた。
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