3話
「――これからの君たちの成長を心より楽しみにしています」
そう締めくくられた祝辞。
三十分にも及ぶありがたいお言葉をくれたのは、俺が今日から通う大学、関東八雲大学の理事長だ。
因みに理事長の前には学長による祝辞が十五分ほどあった。
約四十五分の仮眠時間をくれるなんて本当にありがたい。
なにせ朝から訳の分からん不思議体験をしたせいか、百メートル走を全力疾走で五セットしたくらいには疲れていたんだ。
同じような話を言葉を替え、言い回しを替え、時には同じ文言で長々と抑揚のない声で喋るものだから、式に参列している人たちの約半数は微睡みの世界へ誘われてこっくらこっくら舟を漕ぐのもうなずける。
大学の入学式というのは必ずしも強制参加なわけではないらしい。
出席するに越したことはないのは間違いないが、現に用意されている椅子に空席が目立つということはつまりそういうことなのだろう。
確かにこんなに入眠作用のある言葉の羅列を拷問のように聞かされるくらいならば、一足先に大学を散策したり、朝の珈琲でも飲んでからゆっくり登校したりと、それぞれの時間を過ごした方がよっぽど有意義だと思う。
だいたい要約したら三分にも満たない内容を、難しい言葉回しで時間をいくら延ばしたところで聞いてる方は右から左へ流しているのだから、いっそこんな祝辞だのなんだのという堅苦しい項目は今後廃止してしまったほうが、式へ参加する新入生も増えるのではないだろうか。
その後も粛々と行事は進み、来賓祝辞、新入生挨拶、校歌斉唱と続き、ようやく入学式が閉会した。
長時間の着席により固まった背筋を思い切り伸ばすと、パキッと乾いた音と共に爽快感が湧き上がってくる。それに伴って靄がかかったようにぼんやりとしていた頭の中が晴れ渡り、眠気もすっかり解消したようだ。
事前に郵送されてきた大学の日程表によれば、今日の主だった行事は入学式のみとのこと。
この後の予定も特に決まっていないし、少し大学を見学してから帰ろうか。
入学式の会場から一駅のところに大学はあった。
この大学一番の見どころといえば、満場一致でこう答えるだろう。
「和洋折衷で歴史溢れる景観」だ、と。
四階建てのうち、一・二階が赤レンガ造り、三・四階部分がゴシック様式で建てられている本館。
今年が大学創立125周年というだけあり、かなり趣のある外観になっている。
下半部のレンガ壁がどっしりとした重厚感と風格を兼ね備え、百年以上という経年劣化でレトロな雰囲気も漂わせる一方、上半部の様は一気に変わる。
白く塗られた白亜の壁に、ステンドグラスがはめ込まれた大きなバラ窓。
それは重厚感とは正反対に、明るく軽やかな印象を抱かせた。
そして、その壮観に引けを取らないほどの存在感を放っているのが、本館をぐるっと囲むように造られた庭園だ。
松や楓、モチノキといった日本庭園には定番の樹木に加え、紅葉や椿といった季節感溢れる樹木も植えられている。四季折々で学園を彩る景色を楽しめるのもウリのひとつというわけだ。
今の季節はもちろん桜。
視界が桃色一色になるほどに立ち並ぶ桜並木の奥に異国情緒溢れる建物が見えるというのはとても感慨深い。
時折、庭園の池からピチャン、と錦鯉が跳ねて水面を揺らすのもまた良い。
建築や造形には詳しくない俺だが、それでもこの風景には心打たれるものがある。
春の暖かな陽射しと幻想的な景色が相まって意識が浮いてくる感覚がした。
歩いているのに地に足がついていないような、重力がなくなってしまったような感覚。
ふわふわと漂っているようで妙に心地良い。
突然、一陣の風が吹いた。
風に煽られ巻き上げられた花弁は、桜吹雪となって俺の視界を遮っていく。
目の前に被さる桃色、薄紅色、撫子色、薔薇色。
濃淡さまざまな花弁がゆっくりと時間をかけて地面へ舞い落ちる。
「桜は散り際が一番美しい」と誰かが言っていたが、何となく分かるような気がする。
哀愁漂う地面いっぱい広がった桜を見てそう思った。
そこに、背後からまた一筋の風。
頬を撫でる程度の緩やかなそよ風だが、足元の花弁たちは前方へとゆるゆると舞い転がる。
落ちていた俺の視線も、徐々に上がりながらそれを追っていく。
ふ、と池に架かる橋の中央へ意識が留まった。目線の先には一人の人影。
ただ池を眺めているだけかと思ったものの、よくよく見ると両の手を前方へ差し出しているように見えた。
少し湧いた好奇心に身を任せ、相手を確認できる位置まで石畳みの道を歩みを進める。
一歩一歩、地面を踏みしめるうちに相手の姿がハッキリと視認出来るようになってくる。
女性だった。横顔だけでも分かるほど端正な顔立ちをしている。
凛とした表情、嫋やかで流れるような所作、珠のような肌。艶やかな漆黒の髪はまるで絹糸のようで、その姿は大和撫子を体現するかのよう。
その印象を後押しするのが彼女の服装だ。純白の小袖に菖蒲色の袴、そして白木の下駄という巫女さながらの様相であり、その袴には円を重ねて連ねていったような文様が施されている。
「綺麗な人だ……」
無意識に声を発していたらしい。
その声は彼女にも届いたらしく、青を帯びた美しい濡羽色の髪をゆっくりと揺らしながらこちらを振り向いた。
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