1話

 季節は春。


 淡く桃色に染まった花びらが満開を迎え、降り注ぐ朝日は眩しいながらも優しく、近所の猫は塀の上で眠たそうにあくびをし、道行く人はどことなく陽気な雰囲気を漂わせる。春はそんな季節。


 かくいう俺、柳田晴光やなぎだはるみつも先月高校を卒業し、これから始まるであろう華やかな大学生活に期待を膨らませながら、一人親元を離れ上京してきた。

 そして本日行われる入学式へ参加するべく、会場へ向かうために鼻歌混じりで家を出た。


 そう、上機嫌だったのだ。十分前までは。


 しかしながら、現在俺は道のど真ん中で硬直している。いや、現状を把握できず脳内処理が追いついていないと言った方がいいかもしれない。


 とにかく十分前には想像もしていないような事態に陥ってしまっている。


 一体何故か。


 それは目の前に生首が転がっているから。しかも特大の。


 意気揚々と家から大学への道を進み始めた俺は、輝かしい薔薇色のキャンパスライフに胸をときめかせ、これから運命の出会いをするであろう未だ見ぬ彼女との青春の日々に思いを馳せていた。


 ただそれだけだ。


 それなのに、突き当たりの角を曲がったすぐ先には食パンを口に慌ただしく走る美少女――


 ではなく、デカい顔の生首。


 自分の背丈ほどはあるだろうその顔はどす黒い緑色をしており、さらに飛び出しだ眼球は右目と左目それぞれが明後日の方を向き、ニタリと笑っている口からは犬歯のような鋭い歯がずらりと並んでいる。


 人は本当に吃驚した時には声が出ないというのは本当らしい。

 餌をねだる金魚のようにパクパクと口を開閉させながら、俺は明らかにこの世のものとは言えない異形のソレを見つめるしかなかった。


 意味が分からない……。

 なんなんだこいつは。そもそも生きているのか?

 先ほどから一寸たりとも動かないが、映画かなにかで使うセット道具を忘れていってしまいました。なんてオチじゃないだろうな。

 もしそうだとしたらその制作会社に思いつく限りの暴言と非難中傷を浴びせてやる。


 そんな馬鹿げた思考を巡らせてるうちに生首との遭遇で急上昇していた心拍数もようやく落ち着いてきた。


 そうだ。こんな非現実的な、そう、妖怪じみた化け物なんてこの世に存在するはずがない。

 現にこんなデカい生首があっても道を歩く人たちは全く驚く素振りすら見せず、平然と横を通り過ぎてるじゃないか。


 平然と……。


 いや、いやいやいやいや、おかしいだろ。


 例え映画の小道具だとしても何かしら反応くらいするだろう。

 まじまじと眺めるまではしないにしても、少なからず怪訝そうな表情を向ける人はいるはずだ。

 それなのに、その表情はおろか視線すら向けている通行人が一人としていない。


 急ぎ足のサラリーマンも、友達とのお喋りに興じている女子高生たちも、のんびりと朝の散歩を楽しむ老夫婦も、好奇心旺盛そうな男子小学生たちでさえ道を阻むソレに一瞥も送らない。


 まるで、其処には最初から何も存在していないかのように。

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