第21話わがままお嬢様の無茶な注文・3
プリン・ア・ラ・モードというお菓子は実は日本発祥だったりする。横浜のとあるホテル内に在る喫茶コーナーで提供されたのが元祖と言われており、プリンに色とりどりのフルーツやクリーム、店によってはアイスクリーム等を彩りよく華やかに盛り付けた見た目にも舌にも楽しい一品である。ア・ラ・モードというのはフランス語で、『斬新な』や『洗練された』という意味がある。まぁ、こんな雑学は兎も角としてだ。
「さぁお嬢さん。遠慮せずに召し上がれ」
「ですが、こんな美しい見た目を崩してしまうのは……その」
「勿体無い?」
シャルロットはスプーンを握り締めたまま、こくこくと頷いた。
「ははは、そう言って下さるのは有難いですが、それは絵画や彫刻等の美術品ではなく料理。見て愛でる物ではなく味わって堪能する物ですよ?それに……」
「それに?」
「口にしないと貴女の注文に添えたかが解らないでしょう?」
「た、確かにそうですわね。では……」
そう言って彼女はゴクリと喉を鳴らし、震える手でスプーンをプリンに差し込んだ。
まずは中央に鎮座する黄色と黒の柔らかそうな塊。中央に据えられているという事はこの料理の主役であろうそれをスプーンで掬い取る。
『まずは本体のみの味を確かめましょう』
と、山で言えば中腹辺りにスプーンを差し込む。あっさりとスプーンの刺さったそれは、柔らかくもプルンとした弾力をスプーン越しに手に伝えてくる。こんな感触の食べ物等見たことが無い。その黄色く柔らかな物体を恐る恐る口に運び、パクンと頬張る。
『何ですのコレは!?』
舌が最初に感じたのは濃厚なまでの甘味。舌にざらつく物は当たらず、どこまでも滑らか。噛まずに口の中で溶けてしまうのではなかろうか?そんな気さえする。そして食べた事のある馴染みのある気がするこの濃厚な味を、シャルロットは必死に思い出そうとするが思い出せない。
「店主、これは何ですの!?柔らかくて甘くて、濃厚なのに甘くて、滑らかで冷たくて甘くて美味しくて……!!」
あまりの衝撃に我を忘れて何度も甘いお繰り返すシャルロットに、店主の老人は朗らかに笑みを返す。
「それがプリン・ア・ラ・モードの主役、カスタードプリンです。卵と牛乳、それに砂糖を混ぜ合わせた物を蒸して作る菓子ですよ」
「た、卵!?コレが!?」
「えぇ、お嬢さんのリクエストは卵料理でしたでしょう?」
シャルロットは愕然としていた。自分の知る卵料理と言えば、そのまま焼くか茹でるかした物か、溶いて味付けして焼いたオムレツ位の物だ。そんな卵がどうしたらこんなにプルプルで冷たくて甘い菓子になるというのか。この老人、実は大魔導師だったりするのだろうか?魔法でも使わなければ、こんな調理が出来るとは思えない。
「あぁ、カラメルソースと一緒に食べるとより美味しいですよ?」
「カラメルソース……とは、この上に掛けられた黒いソースですの?」
「そうです。砂糖を程好く焦がして苦味を加えたソースです」
「さ、砂糖を焦がしますの!?なんと贅沢な……」
南方からの交易船が着くこの街でさえ、砂糖は高級品の類いだ。それを態々《わざわざ》焦がしてソースに使う。なんという贅沢かつ斬新な発想か。とは言えその焦がした砂糖の苦味と元々の砂糖の甘味がしっかりと混在しており、ただ苦いだけのソースではない所がまた凄い。そして、甘いプリンと苦味のあるカラメルソースを同時に頬張る。瞬間、彼女は真理を見た気がした。
「お父様、私判ったのだわ」
「何をだい?」
「この世の全ての卵は、プリンにする為に存在しているのですわね!?」
「そんな訳が無いだろう!?」
この日のヴェルナーの日誌にはこう書かれている。
『異世界の料理とはかくも恐ろしい物なのか。あれ程賢かった娘が、一瞬にしてアホにされてしまった……』
と。
その後もシャルロットはプリン・ア・ラ・モードを堪能していた。甘味の濃厚なプリンに、苦味と甘味の調和のとれたカラメルソース。そこに酸味のあるフルーツと、邪魔にならずに角度の違う甘味を加えてくるホイップクリーム。それらが渾然一体となったその器の上は正に、彼女にとっての
「御馳走様でしたわ」
ポケットからハンカチを取り出して、口元を拭う。付いていないとは思うが、念の為だ。本当なら唇周りを嘗め回して付いていたらその残りを食べたいとも一瞬思ったが、流石にそれは貴族令嬢としての意識がはしたないからと待ったをかけた。
「お粗末様でした。さて、ご満足頂けましたか?お嬢さん」
「ま、まぁ……」
「シャルロット?」
「まぁまぁでしたわ」と見栄を張ろうとした瞬間、父親から冷ややかな視線と言葉が飛んできた。称賛は率直に、と言うのも父からの教えであった。
「と、とても満足致しました。あのプリンというのはとても素晴らしい菓子でした。出来る事なら毎日食べたい物ですわ」
「あぁ、それでしたら持ち帰り用のプリンがございますよ?」
「も、持ち帰りっ!?家に帰ってもあのプリンが食べられますのっ!?」
「えぇまぁ。ただ、あまり日持ちのしないお菓子ですし、保存は冷蔵でないと難しいのですが」
「それなら大丈夫ですわ!お父様はこれからも此方で昼食を召し上がるのでしょう?」
「あ~……まぁ、そうだろうな」
「それなら毎日お土産にプリンを買ってきて頂きましょう。そうですね、一回に4……いや6つ程買ってきて頂ければ十分かと」
「おいおい、そんなに食べるのかい?」
「わ、私だって独り占めはしませんわよ!?お母様と使用人達、そして私の分ですわ」
「そもそもシャルロット、お前はもうすぐ帝都に帰るんだろう?どうやってプリンを食べるつもりだい?」
「あっ……」
そう。シャルロットは未だ学生。今も親元を離れ帝都にある学園に通っており、いまの時期は長期休暇の為に一時的な帰省をしているだけだった。そんな折に持ち上がった父親の浮気疑惑。まぁそれは義憤に駆られた娘の勇み足ではあったのだが、結果シャルロットはプリンと出会い、その虜となってしまった。帰省中はプリンは食べられても帝都に戻ってからは不可能である。そんな苦痛は今のシャルロットには耐え難い物であった。
「あの……宜しければレシピをお渡ししましょうか?」
「「!?」」
老マスターの提案に親娘は愕然とした。料理人にとってレシピとは、自らの努力の結晶であり、人生の歩みそのものであり、時には生命よりも大事な物である。それをあっさりと渡してしまうとは。とても正気の沙汰とは思えなかった。
「良いのかね?これ程の菓子のレシピともなれば、間違いなく一財産築けるぞ?」
貴族が好む高級な菓子と言えば、そのまま使われた砂糖の量に直結しており、帝都の菓子店などふんだんに砂糖を練り込んだ焼き菓子の上から更に砂糖を振りかけてまるで砂の塊を齧っている様な食感の上に、素材の味を殺してしまっていてとても料理と呼びたくない代物だとヴェルナーは常々思っていた。しかし、娘から一口味見をさせてもらったこのプリンは違う。甘味もしっかりとありながら素材の味を感じる。国中でセンセーションが起きても可笑しくなかった。
「構いませんよ。そもそも、プリンは私の考えた料理ではありませんしね。昔から在る伝統菓子とでも言いましょうか」
伝統菓子。国中の菓子職人が卒倒しそうなこの斬新な菓子が昔からある料理。
「まぁ、もう400年近くも前の話らしいですから正確な出自は……おや、どうしました?」
親娘は2人揃ってカウンターに突っ伏していた。衝撃的な事が多すぎて。
「マスター、どうしましょうか」
「……今の内にレシピ、書き出しておきましょうかね」
2人が衝撃から立ち直って復活するまで大分掛かりそうだと判断した潔は、奥の作業スペースに引っ込んだ。
30分後、どうにか正気を取り戻した親娘は、店員達に見送られていた。父親の手にはプリンの収まった箱が、そして娘の手にはプリンの製法が書かれた紙片が握られている。
「では、またのお越しを」
「勿論です!また絶対来るのだわ!」
「まぁ、次の機会は数ヶ月後だろうけどね」
親娘はそう言って店を去る。父親は娘に、あの不思議な店の正体を聞かせながら。異世界と繋がる料理店、それも、数百年前に魔王を討ち果たした勇者の故郷の味が出てくる店。そんな店の事を迂闊に誰かに話せば、どんな不都合があの店に降り掛かるか解らない。そうなった時、未だ存命の勇者が敵に回る可能性すらある。そんな恐ろしい想定の下、ヴェルナーは誰にも告げずにあの店に通っていたのだ、と。しかし、
「それってお父様があの店の事を知られたくなかっただけなのでは?」
と物の見事に娘に看破され、その口止め料として帰省中は毎日あの店に連れていけとねだられた。そして数ヶ月後、帝都である菓子が流行する。今までに無かったその新しい味わいの菓子は、貴族……果ては皇族までも虜にしたという。しかし、その流行の発信源となったとある貴族令嬢は一口食べるといつも不満げで、
「やはり『あの店』の味には及ばないのだわ」
と文句を垂れていた。つまりこの斬新な菓子を産み出した職人は別におり、その店の味はこの菓子よりも数段美味いという事か。そう勘付いた多くの貴族が血眼になって捜したが、どうにも見つからない。ならば彼の令嬢に聞こうと詰め寄ったが、頑として口を割らなかった。
「だって、教えてしまったら私のプリンが無くなってしまうのだわ!」
喫茶『デタント』へようこそ~異世界喫茶で始めるセカンドライフ~ ごません @kazu2909
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