第19話わがままお嬢様の無茶な注文・1

 この日、シャルロット・フォン・メンヒペリはとある男の不貞の証拠を掴まんとして、こそこそと後を尾けていた。


「まったく、お母様もお母様なのだわっ」


 頬をぷくっと膨らませて、小さく不機嫌そうに呟くその姿は実に愛らしい。が、しているのは下世話な尾行とあってか多少の後ろめたさもあった。しかし、このトウムの街の領主たるメンヒペリ家の一人娘としては父であり領主であるヴェルナーの不貞など捨て置けるはずもなかった。そう、尾行している相手は実父である。


 普段は貴族令嬢としての礼儀作法や知識などを学ぶために帝都にある全寮制の『学園』に通う彼女。長期休暇に入って実家へと帰省した彼女を待ち受けていたのは、屋敷の女中達から漏れ聞こえる噂話であった。曰く、


『領主であるヴェルナーが夫人に隠れて浮気をしている』


『白昼堂々妾の所に通っている』


『それも毎日、昼食時に出かけては戻ってくるとだらしない笑みを浮かべている』


と。母にも尋ねてはみたものの、『そんなのは単なる噂だから放っておけ』と気にすらしていない。確かにシャルロットから見ても両親の仲は睦まじい物で、時々は見ているのも恥ずかしい位であった。が、学園に居た数ヵ月の間に劇的な変化が起きたのは間違いない。ならば自分がその不貞の証拠を掴んでやる!と鼻息荒く意気込んだ彼女は、早速昼食時に館を抜け出した父の後を尾けているのである。


「お父様ったらあんなに嬉しそうに……は、はしたないのだわっ」


 領主の館を出た父の足取りはとても軽やかで、なんなら鼻唄混じりにスキップでもしだしそうな雰囲気だ。そんなにも浮気相手が良いのだろうか?学園で読んだ愛憎劇を題材にした小説では、妻から愛されない男性が包容力のある女性に惹かれ、そのまま恋に落ちて泥沼の三角関係に……という本があったのを思い出し、ぶるりと震えるシャルロット。確かあの物語のラストは、嫉妬に狂った男の妻が、浮気相手諸共男を刺し殺して家に火を放ってその中で嗤いながら灰になるという内容だった。


「そ、そんな事にはさせないのだわっ!」


 やはり不貞の証拠を掴み、こんな事は止めさせなければ!と決意を新たにするシャルロット。そんな想像……否、妄想を繰り広げている間にも父であるヴェルナーの歩みは進み、大通りから裏路地の方へと入っていく。その後を、一抹の不安を覚えながらもシャルロットは追いかけていく。





 やがてヴェルナーは裏路地の店へと入っていく。まるで通い慣れた料理店にでも入るような気安さで。


『あそこが浮気相手のハウスなのだわっ……!』


 ゴクリ、と喉を鳴らすシャルロット。周りを窺いつつ、そろりそろりと扉に近付く。見た目はなんの変哲も無いドア。しかし見事な装飾の施されたドアベルと、提げられたレリーフがその存在を際立たせている。ブドウの横に兎の横顔の意匠。


『これは……確か、ジヴォートナイのマークなのだわ?でも、なんでこんな所に』


 ジヴォートナイの事はシャルロットも知っている。父が治めるこの街の裏の顔役。本人達は『獣人の権利と権益を守る為の自衛組織』を謳ってはいるが、その実態は酒の密造や密輸、店のみかじめ料の徴収等後ろ暗い商売をしている連中だ。このマークがドアに掲げられているという事は、ここは連中の息の掛かった店、という事になる。


『まさか……お父様は脅されているのでは?いえ、そうに違いないのだわっ!』


シャルロットはそう確信して、一刻も早く父を助けんとドアを勢い良く開けた。


「お父様っ、助けにきたの……だ、わ?」


「しゃ、シャルロット?どうしてお前がここに……」


 そこに居たのは、不貞をやらかしているでもなく、凶悪な獣人達にいたぶられているでもなく、何やら見た事のない料理を口に運ぼうとして、闖入者ちんにゅうしゃであるシャルロットに視線を向けたままあんぐりと口を開けて固まる父の姿であった。


「おや、そちらの可愛らしいお嬢さんはヴェルナーさんの娘さんですか?」


 白髪に髭をたくわえた執事のような服装の男が、にこやかに父に話しかけている。


「えぇ、娘のシャルロットです。シャルロット、こちらに」


 父に呼び寄せられ、隣にちょこんと座る。


「はじめまして、ヴェルナー・フォン・メンヒペリが娘、シャルロットですわっ。以後お見知りおきを」


「これはご丁寧に。私はこの店の店主でキヨシと申します」


 お互いに頭を下げて挨拶を交わす。


「ところで、お父様は何を召し上がってるのだわ?」


「これか?これはカレーと言ってな、多種多様な香辛料スパイスをふんだんに使って野菜や肉を煮込んだ世界一の料理だ」


 確かに、父の目の前にある深めの皿からは香辛料の刺激的な香りがする。しかしながら、入っている具材を一瞥したシャルロットはふん、と鼻を鳴らし


「確かに香辛料は多量に使っている様ですが、要するに香辛料入りのシチューではございませんこと?」


入っているのは鶏肉にじゃがいも、人参に玉ねぎと、一般的な煮込み料理のシチューと何ら代わり映えのしない物だった。それが世界一の料理だ等と、食道楽を気取る父も食べ過ぎて頭がイカれたのだろうか?


「ははは、これは手厳しい。ではどうでしょう?お嬢様が食べたい物を注文し、私がそれを作る。そしてそれを召し上がってから、その評価を下して頂くというのは」


 そう言ってにこやかに微笑む店主。実は店主こと潔も笑ってはいるが内心少しムッとしていたのである。それなりに料理の腕には自信があったし、特にもカレーは拘りがある料理の1つだ。それを食べたこともない人間に貶されては、腹も立とうと言うものである。


「ふん、面白い趣向なのだわ。では注文します」


「辛くなくて苦くなくて酸っぱくなくて、冷たくて柔らかく、喉越しが良くかといってしつこくない。そして、そう……卵を使った料理をお願いするのだわ。あぁそれと、出来るだけ見映えも良くして下さいまし?」


 そう言ってシャルロットは意地の悪い笑みを顔一杯に浮かべて見せた。

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