第18話パティ、驚く・2

「んぐ………はっ!?」


 風呂の中で寝てしまって居たパティは、天井から落ちてきた水滴が顔に当たった事で目を覚ました。


「や、ヤバい……寝ちゃってた?」


 急いで浴槽から上がる。が、頭がぼ~っとして足元がふらつく。まるで熱病にでも冒された時のようだ、と思いながらフラフラと潔のいる居間へ戻る。


「おやパティさん、随分長風呂でしたね……って、ちょっと!?」


「ほぇ?」


 別の方向を向いていた潔が、パティの気配を感じて振り向くとそこには、一糸纏わぬ姿の女性が立っていた。そのままグラリと体勢を崩すと、そのまま倒れ込んでしまったのでその身体を観察する余裕は無かったが。その倒れたパティを観察すれば、上気した顔に白磁の様だった肌は真っ赤に染まっている。要するにだ。


「湯中り《ゆあた》、ですか」


 人生初に近い風呂の上に、どのくらい浸かっていたら良いか解らない状況で湯船で爆睡。これでのぼせない方がおかしいだろう。


「やれやれ、日常生活させるのも大変そうだ」


 採用したのは早まったかな?と少し後悔しつつ、潔はパティの介抱を始めた。





「あれ、ここは……?」


 パティが目を覚ますと、そこは床の上。しかも程好い固さに良く乾いた干し草の様ないい匂いの場所に、彼女は寝かされていた。


「落ち着くなぁ、この匂い」


 好奇心旺盛で、故郷の森を飛び出したとはいえ彼女もエルフ。自然を感じる匂いや光景は好ましい。パティは俯せになると、芳ばしい香りの床に鼻先を押し付け、たっぷりとその香りを堪能した。


「それにしても……」


額には呪符の様な物が貼られており、それが冷気を発していた。やっぱり魔道具も扱ってるんじゃないか、とあの人の良さそうな老人店主に心の中で不満を漏らす。そもそも、自分よりも年下の癖に言葉巧みに自分を言いくるめてしまったあの手管。実は人に化けた悪魔なのでは?とパティは少し疑っている。


「目が覚めましたか?パティさん」


「ひぅっ!?ててて、店主さん!」


 先程まで悪魔なのでは、と疑惑を向けていた相手がぬっと現れたのでビクリと身体を震わせるパティ。


「ハイ、確かに私は店主ですが仕事中ではない時にはちゃんと潔と呼んで欲しいですね」


「キ、キヨシさん」


「はい、それでいいです。湯中りは大丈夫そうですね」


 潔の見る限り、倒れた直後よりも顔や身体の赤みは引いている。


「湯中り……ですか?」


「そうです。熱いお湯に長く浸かっていると、身体が温まりすぎて体調を崩す事があるのです。砂漠や荒野を、昼間に休み無く歩き続けると起きる症状に近いですね」


 潔の説明を聞いて、あぁと納得した様な顔をするパティ。確かにジリジリと太陽の照り付ける所で長時間歩いていると、意識が朦朧としてきて倒れたり、最悪の場合死んだりすると聞いていた。


「どうぞ、飲んで下さい」


「……これは?」


 潔に差し出されたのは、ガラスよりも透明なのに軽く丈夫そうな瓶。中には少し濁った液体が入っている。


「あ~……まぁ、身体の熱を逃がす為のポーション?のような物、ですか、ね?」


 何とも歯切れの悪い発言だが、パティの体調を慮って出してくれた物らしい。


「じゃあ……遠慮なく」


 蓋を開けてもらい、瓶に口をつける。


『あ……何これ、甘いのと、酸っぱいのと、ちょっとだけ……しょっぱい?』


 ほんのりと果実の風味を感じさせるそれは、甘味と酸味、それに僅かな塩気を含んだ液体で。その味のお陰か喉の渇きを訴えていた身体はゴクゴクと喉を鳴らして飲んでしまった。はしたないと頭の隅で思いつつも、身体の欲求には逆らえない。パティは瓶の中身を一息に飲み干してしまった。


「ははは、よっぽど喉が渇いてたんですね」


「あ……いえ、その」


 飲み干してしまったのが後の祭り。パティは恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。


「まぁ、それだけ元気があれば大丈夫ですね。そろそろその魅力的な身体を隠してもらわないと目に毒ですし」


「え……?ひゃあぁっ!」


 ボンヤリしていたせいで、パティは自分が裸であるのを失念していたのである。






「うぅぅ~……やっぱり悪魔だぁ」


 恥ずかしいやら情けないやらで涙が出てくるパティ。自分の着ていた服は洗濯をしているらしく、店の給仕のセイフク?を着ていて下さいと店主に手渡された。しかも上等な手触りの下着まで。これだけで何ヵ月分の生活費になるだろうか?と改めて店主は何者なんだろうと思い悩む。そんな事を考えつつも着替えを進める。


「うわぁ……可愛いなぁこれ」


 店主から渡されたのは、黒のロングスカートに白いエプロンが目立つ所謂メイド服という奴だった。勿論、潔の世界にあるメイド喫茶の制服の様なミニスカメイド服ではなく、落ち着いた雰囲気のクラシカルなタイプである。それでもパティ達のいる世界の基準からすれば仕立ても布の質も大変に上等な物で、住み込みで働かせて貰う立場となった彼女からすれば恐縮してしまいそうな高級品だ。


「着替え終わりましたか?」


「あ、はい!すみません。こんな高そうな衣装を……」


「いやいや、その内忙しくなったら従業員は雇うつもりだったので。どこかキツかったりはしませんか?」


「大丈夫です」


「うん、下着も伸縮性のあるスポーツタイプですからね。少しは余裕がありそうだ」


「? はぁ……」


 潔の言葉に今一要領を得ないが、パティは取り敢えずその辺の話は置いておく事にした。


「取り敢えず、今の所の仕事は4つ。掃除に皿洗い、お客様からの注文取り、それと料理や飲み物の給仕です。その内料理の手伝いもお願いするかも知れませんが」


「だ、大丈夫です!がんばります!」


 ふんす、と鼻息荒く応えるパティに潔は苦笑いを浮かべる。


「さて、今日はもう遅いですからね。夕飯にしましょう」


「お、お仕事してないのにご飯を頂いていいんですか!?」


「まぁ、暫くは食べるのも仕事になりますしね」


「どういう事ですか?」


「ウチの店はこの世界では大変に珍しい料理を出します。料理の名前だけではどんな物か解らない……そんなお客様が大半です」


「ほうほう」


「なので、給仕係はその料理がどんな物か把握して、お客様に説明をして差し上げなくてはいけませんね」


「成る程成る程」


「ですから、暫くはパティさんの食事は店に出しているメニューを食べて覚えて貰います」


「そ、そんな贅沢な!?」


「ははは、そんなに高いメニューは出してませんよ。せいぜい……そうですね、高くても銀貨1枚位の物です」


 信じられない、とパティは今日何度目かの驚きを味わう。今思い出すだけでも幸せな気分になれるあの食事が銀貨1枚以下?パティの中の常識が粉砕されて、風に飛ばされてしまいそうだった。


「パティさん?大丈夫ですか」


「あ、はい!驚き過ぎて……」


「まぁ、いいでしょう。今夜はパスタにしましょうか」


「はい!なんでもいいです!」


 取り敢えず、クビにならない様に全力で頑張ろう。とパティは改めて心に誓った。


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