第17話パティ、驚く・1

 正式に店員となったパトリシアことパティを伴い、潔は厨房の奥にある階段を上がる。そこは住居スペースになっており、作りは若干古いが独り暮らしするには必要最低限な設備が揃っていた。


「あ、靴はここで脱いで下さいね」


「は、はい」


 元々店舗を経営する店主とその家族が住む様に作られた住居スペースだ。2階だというのにしっかりとした玄関がある。上がってすぐ右側にドアがあり、そこはトイレ。〇ォシュレットは付いていないが、水洗式の洋式トイレだ。更に小さめではあるがしっかりとした風呂場に、リビングダイニングキッチン。そして潔が帰りが遅くなった時に仮眠室にしている和室がある、1LDKの間取り。家具や家電は粗方揃っていて、今すぐにでも独り暮らしが始められそうな状態である。


 大家のお爺さんが契約して時に『もし引っ越して来たくなった時の為に』と、家具やら家電を入れてくれたのだ。潔はその代金を払うと言ったのだが、


『なに、気にするな。これから迷惑をかけるかも知れんしな』


 とニヤリと笑っていた。その時は首を傾げたが、まさか店が異世界に繋がるとは思っていなかった。今は迷惑料(?)として安い家賃共々有り難く使わせて貰っているが。


「どうです?綺麗な物でしょう」


 一通り家の中を見せた潔がパティにそう尋ねると、彼女は口をパクパクとさせながら固まっている。


「こっ、こここ……」


「鶏の真似ですか?」


「こここ、こんな豪勢な部屋に住んでも良いんですか!?」


 と、目と口を目一杯開いたパティが悲鳴じみた声を上げる。潔の感覚で独り暮らしには必要最低限とは言ったが、それはあくまでも『日本での』感覚に基づいての話である。異世界の住人であるパティからすれば、部屋の狭さは兎も角設備だけ見ればここは貴族か、或いは豪商の別宅だろうかと思う程の豪華さだ。


「お風呂!綺麗で臭くないトイレ!綺麗なお部屋!高級そうな家具!こんな所で独り暮らししてたら、気が休まりませんよぉ……」


「そうですかねぇ?割と普通な気が……」


「やっぱり店主さんはお貴族様なんですか!?」


「いや、違いますけど」


 実際、家電も型落ち品だし家具もお値段以上でお馴染みの量販店の奴だ。そこは日本と異世界の技術の差だと思うのだが、潔は気にしない事にした。


「まずはお風呂ですね。身体を綺麗にしてから具体的な話をしましょう」


「は、はひっ」


 潔はパティを風呂場に案内し、シャワーやシャンプー、ボディソープ等の使い方を説明して風呂場を出た。


「これを、捻るんだよね……?うわっ!」


 潔に教わった通りに赤い取っ手を捻ると、上からお湯が降ってきた。


「き、気持ちいい……!お湯を作るだけの魔道具なんて贅沢だなぁ」


森にいた当時は森を流れる小川で沐浴、旅に出た後もほとんどが井戸水での水浴びだった。高級な宿屋等なら追加料金を払えばお湯を使えたらしいが、せいぜいがたらい一杯。お湯を沸かすのにも薪もしくは魔力が必要なのだから、こんな風に浴びる程お湯が使えるなんていうのは贅沢の極みである。


「えぇと、確かこの上を押すと……うわっ!」


 たっぷりとお湯を浴びたパティは、店主が言っていた『しゃんぷー』とかいう不思議な形の瓶の上を押す。すると穴からトロリとした液体が飛び出す。慌てて手に掬い取ると、爽やかなフルーツの香りが漂う。


「良い香り……♪香油、なのかなぁ?」


 すんすんと匂いを嗅ぎ、ペロリと味見をしようと舌を伸ばす。しかし、その液体が舌に触れた瞬間--……


「うぇっ!?ペッペッ!に、にがぁ~い……」


 パティは涙目になりながら、店主の言っていたのを思い出した。


『シャンプーとボディソープは身体を洗うための薬液です。良い香りがしても食べられませんからね?』


ちゃんと説明されていたにも関わらず、好奇心が勝って舐めてみたのである。文字通りにナメてかかったら酷い目に遭った訳だが。





「えっと、頭に垂らしてゴシゴシと指を立てて……あ、泡が立ってきた!」


 『しゃんぷー』も『ぼでぃそーぷ』も塗り付けて擦れば泡が立ち、その泡が汚れを落とすのだと聞いてはいた。だが、そんな代物はついぞ聞いた事が無かった。


「これで本当に綺麗になるのかなぁ……?」


 頭をワシャワシャと洗いながら、しきりに首を傾げるパティ。だが、そんな疑問はお湯で泡を洗い流すのと一緒に消え去っていた。


「凄い……!髪がサラサラ……」


 砂と埃でくすんでいた髪が、かつての艶と滑らかさを取り戻していた。頭と同時に洗っていた身体も、まるで薄皮を剥いた様につるりとしている。そして身体と髪を包んでいた泡から香りが移り、香水でも付けたかの様に仄かに香る。


「次は、お風呂ね……」


 ゴクリ、と唾を飲み込む。お湯を浴びただけでも至福の気持ち良さだった。それが全身くまなく包み込む様にお湯に浸かってしまったらどうなるのか。ちゃぷ、と爪先を浸けた瞬間にその疑問の答えは出た。出てしまった。


「ふあああぁぁぁ……」


 思わず漏れる歓喜の声。温かい液体に身体を包まれる事の何と心地好い事か。森や旅路の途中では沐浴ばかりで、それでも汚れや汗を流すだけサッパリとして気持ちが良かったが、これは別格だ。爪先だけでなく全身を浸けると、このまま身体が湯に蕩けてしまうのではないか?と錯覚する程気持ちいい。疲れと眠気、それに漠然とした不安から解放されたパティは、その身を湯船に沈めたままうつらうつらと夢の世界へと旅立った。

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