第14話行き倒れエルフとモーニングセット・2

「さて、どうしたものかな……」


 とりあえず、店内のソファに寝かせたものの、砂埃まみれの薄汚れた格好に潔は眉根を寄せる。床やテーブル、ソファ等は掃除し直せば問題は無いだろう。しかし、緊急時とは言え年頃の娘さんを裸に剥いて着替えさせるというのは、還暦を越えてそういう情欲等とは程遠くなった潔だとしても避けるべきだろうと考えた。


「とりあえず、見えてる所だけでも綺麗にしておこうかな?」


 そう言い訳するように独り言を呟いて、おしぼりで顔を拭う。すると土気色だった顔は色白の肌を見せ、長い睫毛や整った鼻筋でかなりの美人だと判る。


「綺麗な娘だなぁ……っと、耳も拭いた方がいいか」


 砂まみれで少し動かすだけでパラパラと砂粒が落ちる髪を掻き分け、耳を露にすると、明らかに人間の耳とは違う。笹穂の様な尖った長い耳。


「まさか……この娘、エルフ?」


 つい先日、獣人というザ・ファンタジーな人種との邂逅を果たしたばかりの潔の下に、今度はエルフというファンタジー人種代表格がやって来たのだ。それも、行き倒れというトラブル満載の形で。潔が驚きを通り越して狼狽えるのも無理はない話だろう。それでもエルフだろうが行き倒れは行き倒れ、助けるのは人として当然と考えたのは平和で道徳的な日本人的思考のお陰と言えるだろう。大概の場合、行き倒れは見捨てられるのがオチだ。敏感な場所であろう両耳を丁寧に拭いた後、潔はキッチンの冷蔵庫へと向かう。取り出したのは小さなガラス瓶。鷲のマークのファイト一発!な栄養ドリンク剤だ。最近少しずつ忙しくなってきた店で、たまに疲れを感じた時に飲もうとドラッグストアで箱買いしてストックしてあった物だ。潔はエルフ娘の上半身を抱き支える様にして起こし、半ば無理矢理瓶を口に捩じ込んだ。気を失っていれば誤嚥の可能性もあったが、こくん、こくんと喉を鳴らして飲み込んだのを確認して潔はホッと胸を撫で下ろした。


「さて、2人分の朝食を準備しますか……」


 そう言って、潔は再びキッチンへと向かった。





「う………ここは?」


「おや、気が付きましたか」


 行き倒れになっていたエルフの娘は、どうにか意識を取り戻した。寝かされていたのは、王候貴族のベッドかと思える位に柔らかい椅子の様な物。最初はベッドかとも思ったのだが、背もたれらしきフカフカがあったので恐らくは椅子で間違いないだろう。しかしここは何処だろう?と首を傾げる。とても濃密な魔力を感じて、そこに吸い寄せられる様に移動した所までは覚えている。しかし、そこから先の記憶がない。


「いやぁ、驚きましたよ。店の前を掃除しようとしたら貴女が倒れていたんですから」


「店……?ここは、何かの商店なのですか?」


 声の主は、温厚そうな白髪の男性。恐らくは人間ヒューマン……確信が持てないのは、先程感じたハズの濃密な魔力を全く感じないからだ。


『魔力を隠蔽している……?でも魔力の残滓も漏れも全く無いなんて!』


 エルフ娘は勝手に愕然としている。高位の魔導師の中には、敵対者の油断を誘う為や、市井の生活に溶け込む為に身体から自然と発散される魔力を抑え込み、実力を隠蔽する者も少なからず居る。だが、自然の摂理を無理矢理ねじ曲げようとしているのだから当然完璧ではない。僅かに隠蔽の跡を感じたり、発散される魔力にムラが出たりして、隠蔽している事がバレる事が大概だ。しかし、目の前の老人に見えるこの男からは魔力の残滓も、それどころか漏れ出す魔力の一片すらも感じ取れない。初めて目の当たりにする完全な魔力隠蔽。エルフ娘は警戒レベルを最大に引き上げた。


『この男……魔導師ウィザード?いや、大魔導師アークウィザード級……いいえ、もしかしたら伝説の賢者セージ級かも!』


 と、勝手に恐れ慄く。魔力を感じないのは当然である。何しろ魔力を発していたのは大家が持ってきたあの不思議なドアベルで、潔には魔力の魔の字も無いのだから。無い袖は振れないならぬ、無い魔力は感じ取れないである。


 そんな風にビビられているとは露知らず、潔はエルフ娘が意識を取り戻した事にホッとした。何しろ、潔はこの数ヶ月(異世界側の)店の外に出た事は無いのだ。正確には店先の掃除の為に出てはいるのだが、街の探索や市場調査の様な事はしたことが無い。『異世界』という単語に魅力を感じないでは無いのだが、命を脅かす危険を冒してまで冒険をしたいとは思っていなかった。従って医者の知り合いは居ないし、知らないのだ。衛兵のロベルトが来たら保護を頼む(押し付けるとも言う)事も考えたが、今はまだ開店前の時間帯。彼がやって来るまで最低でも3時間はあっただろう。ならば此方の世界の医者に見せるか?とも考えたがそれも不味い。何しろ彼女は異世界人。保険証もなければそもそも自分達と同じ身体の構造をしているかさえ判らないエルフである。そんな存在を病院に担ぎ込めば、厄介事が列を為してやって来るだろう。なので潔に出来たのは、とりあえず寝かせて栄養を摂らせる位の物だった。それが幸を奏したようだ。


「ここは、何かの商店なのですか?まさか、魔導商店!?」


「何ですかそのファンタジー丸出しの商店は」


 魔導商店とは、その名の通り魔法に関わる品を店主である魔導師自らが製作し、商う商店の総称である。扱われる商品は多岐に渡り、魔法薬ポーションや魔道具、魔法を封じた使い捨ての巻物スクロール、魔法を付与エンチャントした武器や防具等々。専門的に一分野に絞って作る店もあるが、大抵の場合研究者に近い思考の魔導師達は作りたい物を作りたいだけ作り、その在庫処分の為に売っているパターンが多いという、ファンタジーなんだか世知辛い現実的な店なのかよく判らない店舗である。勿論、潔の店は違う。


「ウチは喫茶店……まぁ、平たく言えば食事を楽しむ店ですよ」


「しょ、食事……」


 その言葉を聞いただけで、エルフ娘の腹がグゥグゥとけたたましい音を出し始めた。既に何日も摂っていないそれを、想像させられただけで頭の中身はそれで一杯になり、逆に空っぽの腹は早く何か寄越せと抗議を始めた。何とも辛い状況だ。


「さて、お嬢さん。これから私は朝食をたべます」


 ゴクリ、とエルフ娘の喉が鳴る。今飲み込んだ唾液は何処から出てきたのだろう、空腹のせいで魔力切れを起こしたせいで水を出す魔法も使えず、水分もほとんど消え失せて干からびかけていたというのに。


「私の店の前で倒れていたのも何かの縁です、宜しければ食事をご一緒しませんか?」


 先程まで警戒していた相手からの思わぬ誘いに、エルフ娘は一も二もなく飛び付いた。

 

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