第13話行き倒れエルフとモーニングセット・1

 少女は、腹が減っていた。故郷であるラズアハンの森を出てから早半年。森から持ち出した、他の地では珍しい植物や茸を道中で路銀に変えていたが、それも尽き果てた。弱気になり、故郷へ帰ろうかとも思ったが、そんな思考は何度も頭の外へと追いやった。彼女は辛く、苦しい旅路を経てでも『外の世界』を見て回りたかったのだ。


 彼女はエルフと呼ばれる種族である。遥か太古に天界から地上へと降りてきた妖精アールヴを祖先に持ち、優れた魔力と魔法知識、長い寿命と優れた美貌を併せ持つ幻の種族。そんなエルフだが、生まれてまだ数十年と幼い時分の者にはある特有の『悪癖』があった。それは『外の世界への渇望』だ。ある程度成長して情緒も安定してくる頃、若いエルフは好奇心に溢れ、狭い森の中の世界だけて完結してしまう生活に疑問を抱く者が少なくない数現れるのだ。


『森の外には何があるのだろう?』


 その好奇心に負けて森を飛び出す若いエルフ達。そんな物に興味を示さず、森の中の生活で満足する者も居る。が、ほとんどの若者は一度は森の外での生活に憧れを抱く。彼女もまた、そんな思考に囚われたエルフの一人だった。それを両親に告げると、2人ともアッサリと送り出してくれた。てっきり反対されると思っていた彼女だが、随分と拍子抜けさせられたものだ。それもちゃんとした理由があり、ほとんどのエルフは外の世界での生活に見切りを付けて、森へと還ってくるからだ。


 単純に生活に飽きた者、騙されて絶望した者、愛する伴侶を見付けたが、寿命の差で悲しき別れを味わったもの……様々な理由であれ、ほとんどのエルフは森の中の生活で満足出来ると悟り、いずれは帰って来ると解っているからだ。何より、外の世界への渇望はエルフからすれば子供から大人へと精神が成長する為の通過儀礼の様な物だと考えられており、両親もそれを経験しているからこそ暖かい目で見守り、黙って送り出してくれたのだ。しかし今の彼女はそんな事はどうでも良かった。何よりも耐え難い空腹感をどうにかしたいとそればかりが頭の中を支配していた。


「おなか……すいた…………」


 帝国と呼ばれる人間達の築いた国家の中でも、最大の規模を誇る国家の西の端、海に面したこの港町にやって来て何日経ったのかさえ定かではない。それほどの間食事を口にしていない。水は最悪自分で魔法を用いて産み出せる。だが、食事はそうもいかない。そんな時だ。霞む視界の中、フラフラと幽鬼の様にさ迷う彼女のその特徴的な耳が、魔力を鋭敏に感知するアンテナの様な役割を果たしている耳が、とある魔力を感じ取ったのだ。




 故郷の森でも感じた事の無い、澄みきった濃密な魔力。まるでそれは、寝物語に聞いた妖精アールヴの魔力の様で。花に吸い寄せられる蝶さながらに、フラフラとその魔力を感じる方向へと歩いていく。やがて、その魔力の源である裏通りの一角のドアの前で、彼女はバタリと倒れ込んだ。


「た、たす……け…………」


 助けて、という言葉も出ない程に衰弱していた彼女は、そのまま意識を手放した。







「毎度どうも、潔さん」


「いやいや。毎日美味しいパンをありがとうございます」


 潔の朝は割と早い。店を開けるのは10時頃なのだが、6時か7時頃には店に来て、開店の準備をしている。毎日日替わりの『マスターの気まぐれカレー』を仕込みながら、店内をゆっくりと掃除。そんなゆっくりとした朝を過ごしていると毎朝8時に店で使うパンの配達がやって来る。潔の店のある(異世界側ではない方の)商店街にあるパン屋『ベーカリー アンジェリーナ』の店主・白河辰徳しらかわたつのりが焼き立てのパンを届けてくれるのだ。


 『ベーカリー アンジェリーナ』は創業50年以上を数える、近隣の顔的なパン屋だ。街のパン屋らしく食パンや惣菜パン、あんパンやクリームパン等の菓子パン等々、様々なパンを置いている。中でも2代目店主である辰徳の焼くバゲットやクロワッサン等のフランス生まれのパンは絶品で、試食した潔も一発で気に入り、毎日の仕入れの契約をした程だ。何を隠そう昔気質の大工の棟梁の様な見た目の辰徳は、若かりし頃にフランスでパン職人の修業をしたという筋金入りのパン職人だ。


「アンジェリーナは元気かい?」


「それがよぉ。納豆切らしといたってだけでコレよ」


 と、辰徳は両手で角を表すジェスチャーをしてみせた。アンジェリーナと言うのは辰徳が修業中にパリで恋に落ち、そのまま結婚して日本に連れ帰った妻である。見事なシルバーブロンドの髪にサファイアの様な青い瞳のパリジェンヌなのだが、30年以上を日本で過ごしているお陰かフランス語を忘れかけている上に、好物は納豆に塩辛と、何とも見事に畳化していらっしゃるパン屋の女将である。


「あはは、そうやって些細な事でも喧嘩できるだけ、仲が良いって事ですよ」


「そうかぁ?口煩せぇだけだぞ」


「本当に嫌いなら、会話すらしたくなくなりますよ」


「そんなもんかねぇ……まぁいいや、毎度ありぃ」


そう言って辰徳が去った後、潔は辰徳が置いていったパンを確かめる様に匂いを嗅いだ。焼き立てのパンは鼻を近付けるとほんのりと温かく、香ばしい小麦の香りが立ち上って来る。途端に腹がきゅうと鳴るのだから、自分も現金だなぁと一人で苦笑いを浮かべる。辰徳の店からパンを買うようになってから、潔は店で朝食を摂る事にしていた。今日もそのつもりで、残すは店先の掃き掃除位だ。朝食を食べてからにしようかとも思ったのたが、何故だか今日は変な胸騒ぎがして先に店先の掃除を済ませてしまおうと思い立ち、箒と塵取りを手にドアを開けるとそこには、マントを羽織った人が倒れていた。


「ちょ、ちょっと君。大丈夫かい!?」


 見ればちょうど高校生位に見える若い娘のようだ。肌はがさつき、目の回りも落ち窪んでいて、明らかに大丈夫ではない。腹の虫がひっきりなしに鳴いている事から、恐らくではあるが何かの理由で金が無く、食事を出来ずに軽く栄養失調の様な状態であろうと潔は当たりを付けた。


「とりあえず、外では不味いな……」


 と呟き、箒と塵取りを投げ出して娘を抱える。中々に身長が高いのに、酷く軽い。こりゃいかんと潔は店内へと運び込んだ。




 





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