第12話洒落者ウサギと悪魔の実・3

 炒め合わせた具材の入ったフライパンの上で、トマトを握り潰す。本当はボウル等の中で潰した方が綺麗に潰せるし飛び散ったりもしないのだが、多少この可愛らしいウサギのお客を驚かしてみたいと思ってしまった、潔の茶目っ気である。狙い通り、ウサギは目を見開いて口をあんぐりと開けていた。


「な、何をしているのかね!?」


「あぁ、これはトマトを使ったソースなんですよ。煮込みやすくするために、潰しています」


「な、成る程……何かの魔術的な儀式なのかと思ったよ」


 ウサギは安堵した様にホッと息を吐き出している。さて、トマトを加えて焦げないように混ぜつつ、潔は別の作業に取り掛かる。キッチンの足下の収納スペースから大きな鍋を取り出し、水を張って火にかける。水が沸騰したら塩を加え、そこに細長い黄色味掛かった細長い棒の束を加えていく。


「それはもしや……パスタ、かね?」


「えぇ、スパゲティーです」





   ~クローリク視点~


 パスタならばよく知っている。帝国より南方、海を挟んだ宗教国家『法国』でよく親しまれている主食だ。我が商会の主力商品である酒を用いて貿易する時に輸入した事もあるが、正直な所美味いとはお世辞にも言えなかった。塩茹でにしてパンの代わりに食べるのだが、素材の味を活かしたシンプルな味わいというか、清貧を是とする法国の坊主共がいかにも好みそうな味というか……ハッキリ言って、味気無かった。しかし、たっぷりの野菜にパスタか。今更ながらに頼んだのを後悔し始めている自分がいる。その内に店主はパスタの茹で具合を確かめると、パスタを鍋から揚げて湯を切っている。今度はフライパンの中身を味見して、そこにこれまた赤いドロドロした物と茶色いキューブを砕いて入れている。かき混ぜてから再び味見して、仕上げに塩・胡椒を加えてからそこに茹で上げたパスタを投入。手早く絡めて皿に盛り付けている。


「お待たせしました、『ミートソーススパゲティ』です」


 漸くやって来たぞ、悪魔の実を使った料理が。調理行程を眺めている会田は注文を後悔したが、目の前に出された皿から漂うこの芳醇な香り!間違いなく美味しい物だと確信できる。さぁ、食べるとしようじゃないか。逸る気持ちを抑えつつフォークに手を伸ばすが、それを左に座っていたガリーラが制した。


「いけません、クローリクさん。まずは私が毒味を」


 何だと!?この期に及んで私におあずけをしようというのかこのサルは!見ればこいつの口の端に光る跡が見える。涎だ。こいつは部下として毒味をしないといけないという建前を悪用し、私より先にこの未知の美味を味わおうとしている。


「いやいや、それには及ばないさガリーラ。私はこの店主を信用している、彼はお客と自分の作品を貶める様な真似はしまいさ」


「ですが万が一の為です」


 えぇい、忌々しい。この分からず屋のゴリラめが。食べさせろ、いや待って下さいの押し問答を暫く続けていたが、ハタと気が付いた。そう言えばリエーフの奴はどうした?先程から黙り込んだままだが……。恐る恐る私の席の右手をみると、そこには黙々とミートソースなる料理をガツガツと猛烈な勢いで食べ続けるリエーフの姿があった。


「「ああっ!?」」


 思わず私とガリーラの声が重なる。私が真っ先に食べたかったのに!





『いやぁ、予想以上の食い付きだなぁ』


 ミートソースにがっついているライオンさん(リエーフさん、というらしい)に微笑ましい支線を送りつつ、ウサギのクローリクとゴリラのガリーラの2人にも視線を送ると、先に食べ始めたライオンさんに怨めしそうな視線を送ってはいたものの、出遅れはすまいと2人も食べ始めた。一口目は恐る恐る、その味を確かめて目を驚愕でくわっ!と開かせた後は2人共ライオンさんに負けず劣らずの勢いで食べていく。ただ、ゴリラさんの方はガツガツとライオンさん同様に食べているが、ウサギのクローリクは一口一口、味わうというよりも何か分析するかの様に味わっている。さもありなん、とは潔も思う。最近はカルボナーラやらペペロンチーノやらジェノベーゼやら、やたらとオシャレなパスタを出す喫茶店もあるが、喫茶店のスパゲティといえばナポリタンかミートソースだろうというのが潔の持論だ。とてつもなく美味い訳ではないが、何処か懐かしくてクセになり、ついついまた食べたくなる。そんな不思議な魅力があると思っている。


『そう言えば、アレを出してなかったな』


 うっかりしていた、と潔は戸棚から細長い円筒を出してクローリクの前に置く。


「これは?」


「粉チーズです。ミートソースにかけると、味が変わって美味しいですよ」


「成る程、粉末にしたチーズか……」


 クローリクは早速粉チーズのボトルを手に取ると、サッサッとミートソースにかける。


「いえ、遠慮せずにもっとかけて下さい」


「こうかね?」


 潔に促されるまま、ミートソースの赤の上に雪が積もった様に見えるほどたっぷりとチーズをかけるクローリク。それをかき混ぜ、チーズを全体に絡ませてから再び口に運ぶ。すると、クローリクの目から一筋の雫が流れる。


「う、美味い……!感動的だ」


『泣くほど!?』


 潔も思わずギョッとしたが、そこは営業マン時代に鍛えたポーカーフェイスでやり過ごす。そこからはクローリクも他の2人と同様にガツガツと食べ始め、口の周りを真っ赤に染め上げた。


「ふぅ……美味しかった」


「ふふ、お粗末様です」


 そう言って潔は紙おしぼりを差し出した。


「これは?」


「とても勢い良く召し上がられておりましたので」


チョイチョイと口の周りを指差すと、クローリク達は顔を見合わせ、あっという顔をして口の周りを拭い始めた。


「いや、お恥ずかしい。年甲斐もなくがっついてしまいました」


「いえいえ。それだけ味を気に入って頂けたという事ですから」


 これは嘘偽り無い潔の本音である。食後のコーヒーを淹れつつ、クローリクと雑談を交わしていく。


「あの悪魔の実……トマト、というのでしたか?あれがこれほど美味しいとは」


「えぇ、私の暮らしていた土地では生で食べても加熱して食べても美味しい野菜として人気がありましたよ」


「ほう、生でもいけるのですか」


「丸かじりでも良いですし、少し洒落た食べ方ならチーズやオリーブオイル等と組み合わせて食べるのもオススメです」


 生のトマトを使った料理として、潔はカプレーゼの作り方をクローリクにレクチャーしてみせた。あれならば切って皿に並べて、調味したオリーブオイルをかけるだけの簡単なレシピだ。真似もしやすいだろう。


「成る程……それはまたワイン等に合いそうですな」


「そうですね。コースの前菜としてとても良いかと」


「成る程、成る程……。いやはや、これは参りましたな」


「どうしたんです?クローリクさん」


「いや、実を言いますと私はこの店をあわよくば乗っ取る心積もりで来たのですよ」


「えっ……」


「しかし、貴方の腕を見て気が変わった。この店を乗っ取っても私にはこの味を出せそうにない」


 初めて飲むであろうコーヒーを、香ばしくて美味いと語ったこの白兎は、降参だと言わんばかりに頭を振った。そう聞いてホッと胸を撫で下ろす潔。手に入れたばかりの自分の城を、奪われては大家のお爺さんにも申し訳がたたない。


「代わりと言っては何ですが、これを受け取って頂きたい」


 そうクローリクが言うと、ライオンさんが1枚のレリーフを差し出した。ブドウの横に兎の横顔が彫られている。どことなくクローリクに似ている気がするが、気のせいだろうという事にした。


「これは?」


「私の商会の手の者で、自警団の様な物を結成しておりまして。このレリーフをドアに提げておけば、彼らもそれとなくこの店を気にしてくれるでしょう」


「はぁ……」


 いまいち腑に落ちなかったが、潔はありがたく受け取る事にした。


「さて、そろそろお暇するとしましょう」


 クローリクは懐の袋から3人分の食事代を支払い、ピョンと椅子から飛び降りた。


「では、近い内にまた」


「は、はい。またどうぞ」


 頭に載せた帽子をヒョイと掲げ、クローリクは供の2人を引き連れて店を出ていった。


「不思議な雰囲気の人だったなぁ……」


 元営業マンであり、企業の重役等とも会う機会の多かった潔は、何となくだがその役職の人が醸し出す雰囲気を感じる事が出来るようになっていた。が、クローリクというあの小柄な兎は商会の長……つまりは社長というよりも、もっと大きな組織の上に立つような貫禄と迫力を放っていたのである。


 翌日、早速クローリクから貰ったレリーフをドアに提げておくと、衛兵のロベルトが慌てた様子でやって来た。


「おいっ、表のアレ!一体どうしたんだ!?」


「何の話です?」


「ドアに提げてあったマークだよ!あれをどうしたと聞いてるんだ!」


 物凄い剣幕で怒鳴るロベルト。まるで取り調べでも受けてるようだ、と潔は呑気に考える。


「アレがどうかしたんですか?」


「アレはなぁ、ジヴォートナイのマークだ。アレを提げておくと、奴等の息のかかった店だと疑われるぞ!?」


 ジヴォートナイ?と言われて、漸く潔は昨日のロベルトが言っていたマフィアの様な組織の名前だと思い出した。


「あぁ、もしかしてあの人が」


「なにっ!?誰か組織のお偉方と会ったのか!誰だ、誰にあった?」


「それは、言えません」


 喫茶店のマスターとして、お客様の秘密は守るもの。万が一犯罪を犯していると言うのであれば協力も吝かでは無いが、潔はそうでなければ口を割るつもりはなかった。


「そうか……なら仕方ない」


 大人しく引き下がったロベルトは、いつものようにサンドイッチと紅茶を頼み、少しおっかないという恋女房の為に土産のサンドイッチを注文した。ロベルトが去った後、ドアベルが来客を告げる。


「いらっしゃいませ、クローリクさん」


 潔は朗らかな笑顔で、客を出迎えた。

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