第9話伯爵様とマスターの気まぐれカレー・3
単品で食べるには少々スパイスが効きすぎていた、カレー。しかしその刺激的とも言える辛さが、甘味のある柔らかな白パンと合わさって絶妙な辛さへと変化する。いやむしろ、パンの甘味とカレーの辛さという対極にある味をお互いが引き立てて更なる美味しさを引き出している。カレーという料理はそれ単品で食べる物ではなく、パン等の主食と共に食べる為に作られた料理だったのだと、伯爵は理解した。そこからはもう、怒濤の如く食べていく。普段ならばテーブルマナーだの味をどの様に表現するかだのと余計な事を考えがちな伯爵だが、今はただ、未知なる『かれー』との遭遇にひたすらに感謝しつつ腹が満たされるまで食べ続ける。途中、パンも『かれー』も足りなくなって何度もお代わりをしつつ、最終的には『かれー』をスープ皿で3杯、パンを5回もお代わりした所で漸く伯爵は匙を置いた。
「ふぅ……些か食べ過ぎたな」
満腹を通り越してはち切れそうな気さえする腹を擦りながら、伯爵は食後に出された紅茶を楽しんでいた。その馥郁たる香りの良さにも驚いたが、カップの横に添えられた小さな小瓶と水差しの様な物にも驚かされた。小瓶の中身はーー砂糖。それも、南方から送られてくる黒や茶色みがかった塊ではなく、白い粉雪の様な粉末状の砂糖!店主(キヨシという名前らしい)によると、砂糖から不純物を取り除いていくとこのような白い砂糖が出来るらしい。紅茶の渋味を抑えて飲みやすくする為に出したらしいが、普段紅茶に砂糖など入れた事がない。確かに黒や茶色の砂糖では甘味だけでない雑味の様な物があるから、紅茶の味を楽しむには甘味を加えるなど邪道とされる。甘味が欲しいならば口直しの茶菓子を食べれば良いのだから。
ところがどうだ、この白い砂糖を加えた紅茶は!雑味の無い甘さが紅茶の味を寧ろ引き立て、新しい飲み物であるかの様にさえ感じさせる。
『どうにかこれを再現出来ぬものか……』
ヴェルナーは先程までの食後の満足感を楽しむ幸せな頭を、メンヒペリ伯爵としての仕事をする頭に切り替える。南方から送られてくる砂糖をそのまま他領に流してやるだけでもある程度は儲かる。しかし、その砂糖を買い上げて白い砂糖へと加工して輸出出来れば、珍しい物や目新しい物に目がない貴族達は大変に興味を示す事だろう。そうなればこの街は更なる繁栄を見せる。
「お客様、どうかされましたか?何か難しい顔をされておりましたが……」
「ん、あぁいや。少し仕事の事を考えていてな」
店主に要らぬ心配をかけてしまったと、少し反省するヴェルナー。今は息抜きの時間なのだ、仕事の事は館に戻ってから考えれば良い。今はこの幸福感を、少しでも長く味わっていたいと、そう思うのだ。
「カレーはお口に合いましたか?」
「あぁ、初めて食べたが大変に美味であった。店主、礼を言うぞ」
「いえいえ、ご満足頂けたなら何よりです」
ロベルトの友人を名乗るお客と言葉を交わしながら、内心クスリと笑ってしまう潔。言葉の端々から身分の高さが窺えてしまい、必死に町民に化けようとしている姿が尚の事滑稽に思えてしまうからだ。
「店主よ、また明日も『かれー』を食べに来ようと思うのだが……明日も『かれー』は出せるのであろうな?」
「はい、カレーは毎日仕込んでおりますから。ただ……」
「ただ?何か懸念でもあるのか?」
「今日と同じ味のカレーかは保証出来かねます」
さもありなん、とヴェルナーは思う。あれだけ香辛料を組み合わせて複雑な味を作り出すのだ、仕入れの状況によっては足りない香辛料等も出てきて、味が落ちる事もあろうと。
「何、今日程の味を出せとは言わぬ。多少味の落ちるのは気にならぬ程美味であったからな」
「いえ、そうではなく」
「何だと?」
「ウチのカレーは正式なメニュー名を『マスターの気まぐれカレー』と申しまして、店主である私の気分で毎日微妙に香辛料の配合が変わるのです」
「ほほぅ」
「更に、カレーという料理は中に入れる具材もこれといった決まりがなく、私の気まぐれで中の具材も変わります」
「なんと」
「そしてカレーには煮込んである具材の他に、更なる具材を乗せて食べる事も出来るのです」
「ま、まさかそれも……」
「はい、私の気分で変わります。なので、毎日違う味のカレーになってしまいますので、同じ味のカレーを所望されましてもご用意出来かねるという事です」
「なんと……『かれー』とはそれほど奥深き料理であったか」
あのドロリとした茶色い刺激的なスープ。それも毎日違う味わいで出てくる。先程腹が苦しくなる程食べたというのに、口の中には既に唾液が泉の湧き水の様に溢れて来ていた。
『ふふふ……そんな事を聞いては、毎日通わなくてはならなくなるではないか!』
「店主よ!」
「はい、何でしょうか?」
「明日も来るぞ、美味い『かれー』を支度しておけ!」
「はい、お待ちしております」
そう言い残して颯爽と去っていくヴェルナー。その後ろ姿を見送りながら、
「…………あ、お会計忘れてた」
と、少し反省する潔ではあったが、明日も来ると言ってたしその時に請求しようと心に決めた潔であった。
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