第7話伯爵様とマスターの気まぐれカレー・1

 不思議な店と謎の大家の秘密に触れてから、数日が経っていた。


「……うん、こんな物かな」


 作っていた料理の味見をして、納得した様子の潔はコンロの火を切った。彼は相変わらず喫茶店のマスターとして働いている。しかし、この店の『入口』がある通りは街のメインストリートから外れた所にあるらしく、店は閑古鳥の大群が毎日屯している。唯一と言っていい客は衛兵のロベルトで、あの日以来、毎日の様に昼食を食べに来る。注文するのはミックスサンドに玉子サンドを追加で2人前。そしてカフェオレだ。貰いすぎだと返そうとしていた金貨は、潔が預かってその分昼食を食べさせるという話で決着した。あと2ヶ月は金を払わずに食べられるとロベルトが聞いて子供のようにはしゃいでいたのは、少し面白かったなぁと思い出し笑いをする潔。壁掛けの時計を見れば間もなく昼飯時。今日もそろそろロベルトが来る頃合いだろうか?とサンドイッチの支度を始める。と、いつもロベルトがやって来る時間よりも早く、ドアベルが来客を告げた。


「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」


 ドアの方を見ていなかった潔はおや?と思った。唯一と言っていい常連客のロベルトではない。ドアの前には見知らぬ若い男性が立っていた。





典型的な中肉中背の潔に対して、その男はヒョロリと背が高い。ロベルトは背が高い上に筋肉質なので横にもデカいのだが、この男は細身の優男といった風情だ。顔立ちはかなり整っていて、プラチナブロンドにルビーの様に紅い瞳が特徴的だ。ハリウッド俳優と言われても遜色ない、格好良さと色気を含んでいた。服装は非番の日にロベルトが着ていた麻のズボンにシャツと一般市民が着ている服と何ら変わらない物だったのだが、所々に仕立ての良さが垣間見える。繕いや解れだらけだったロベルトの私服とは大違いである。男は潔に薦められるがまま、カウンター席に腰を降ろした。その所作にも気品のような物を感じる。


『貴族のお忍び……?なんでまた』


 潔はそう、目の前のお客の正体を推論した。長年営業マンとして活躍していた潔から見ても、所作や着ている物の上品さ、そして何より大企業の重役……いや、それ以上の『オーラ』の様な物を感じさせられたからだ。


『まぁ、関係無いけれどね』


 誰であろうが、店に来て金を払えばお客様だ。そこに差別をするような潔ではない。


「いらっしゃいませ、ご注文は何に致しましょう?」





       ~伯爵視点~


 ウィシュト帝国の一二を争う港町を皇帝陛下より預かる領主ーーヴェルナー・フォン・メンヒペリ伯爵は、朝から己の執務室に籠って街の運営に関するあれやこれやを処理していた。御歳四十七歳、ただの人間であれば既に壮年と言っていい歳ではあるのだが、ハーフエルフの母という特殊な血を持つ彼は未だ若々しい見た目を保っていた。そんな彼は今、一枚の報告書に目を止めている。それは街の衛兵の中隊長の一人から上げられた、裏路地に突然現れたとある店に関する報告書である。曰く、

『かつてこの世界に召喚され魔王を討った勇者と同郷の者が店主』


『その勇者自身の庇護下にあるらしい』


『勇者の世界に存在する食事や飲み物を供される』


とのこと。


「本当だろうか?」


「その件に関しまして、勇者様ご本人からの書状が届いておりまする」


「ふむ……爺、その書状を持て」


「はい、ただ今」


 伯爵に仕える老年の執事が、書状を持ってくる。帝国の王公貴族が使うよりも上等な、純白の紙である。


「やはり、勇者様の使われる紙の質は素晴らしいな。是非とも売ってもらいたい物だ」


「旦那様、それは帝国と勇者様との約定に反しまする」


「解っておる。独り言だ」


 そうぼやきながら書状に目を通せば、確かに勇者自身の庇護下に置いて店を開きたい、とある。店の業種は喫茶店ーー聞きなれない業種だが、書状によれば茶や軽食を出す店らしい。


「喫茶店、というのはサロンのような物か?」


「書状の文面から察するに、恐らくは」


「ふぅむ……」


 伯爵は書状を睨み付ける様に眺めたまま、まんじりとも動かない。


「爺よ、その店に行くぞ」


「はぁ。ではお供を」


「必要ない」


「は?しかし、旦那様の御身に何かありましては……」


「あの勇者様が庇護下にあると仰せだ、何かあるようでは営業の許可など出せん。違うか?」


「……仰る通りかと」


「では、行って参るぞ。町民の服の支度をせよ」


 そうして、伯爵は街へと繰り出したのだった。




 伯爵は普段から街へと繰り出し、その様子を確認する事を業務の一環としている。街中を己の目で確認することで、報告書からは見えてこない住民の『生』の声や、些細ながらも放っておけば厄介な事態になりそうな問題点などを洗い出し易くなるからだ。それに、特に宛もなく街中を散策するのは普段領主館に籠って仕事をしている伯爵にとってはよい気分転換にもなる。


『異世界の料理か……ふふふ、食指が動く』


 何より、伯爵は食道楽で名を知られた貴族であった。


 父は仕事人間で、母は社交の華。貴族らしい貴族と言えば聞こえはいいが、幼いヴェルナー少年としては両親には家に居て自分と接して欲しかった。しかし、そこは貴族としての教養を学ぶ内に仕方の無い事だと悟る。そうして寂しい少年期を過ごす内に、ヴェルナー少年は他の貴族の子弟と同様に自分の寂しさを紛らわす為の『趣味』を見つける。それは貴族の嗜みである武術や、それで身代を立てられる音楽や美術といった芸事ではなく、『美食』だった。孤独をより一層感じる食事の時間を華やかにーー……そう思うようになったのもごく自然な事なのかも知れない。ヴェルナー少年は大陸中の美味や珍味と言われる食材を味わった。そこで肥え太っては折角の料理を味わえないと、嗜む程度であった武術の稽古に励み、また食材の出所についても学ぶ為に勉学にも熱を上げる。その姿は他人から見れば勤勉実直な貴族の姿に映ったらしく、王宮に文官として召し上げられた。そこでも自分の趣味に没頭する為の努力を怠らずにいたら、伯爵家に婿入りという形で美しい妻と伯爵位を得た。そうして今、皇帝陛下より港町を管理する領主としての地位を賜っている。


 港町はヴェルナーにとって正に理想的と言うべき任地であった。他国や他の大陸と交易をするが故に珍しい食材が容易に手に入る。その上商売を円滑に進めたい商人等は、『付け届け』として領主であるヴェルナーに珍味や名品を持ってくるのだ。賄賂ではなく、あくまでも挨拶の品として。なのでヴェルナーは美味い物が食べられるし、商人は円滑な商売が出来る。そしてコニアの街は更なる発展を遂げる。良いこと尽くしである。そんな街に突如現れた料理店……しかも、異世界の料理店!これを僥幸と呼ばずして何と呼ぶのか。ヴェルナーは鼻唄でも唄いそうな足取りで、大通りを進んでいく。やがて、衛兵の中隊長(確かロベルトという名だった)が報告書に上げてきた辺りへと辿り着く。


「おお……正に怪しげな佇まいの扉」


 大通りを1本外れた裏通りにて、更に怪しげな雰囲気を漂わせる黒い重厚な扉。鉄などの金属ではなく、何年も使い込まれたかのような見事な木目の扉である。意を決して扉を開ければ、涼やかなドアベルの音がヴェルナーを出迎えた。


「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」


 店内には灯り取りの窓すらないのに驚くほど明るい。照明の魔道具かとも思ったが、魔法の灯りの光ではない。更に、楽隊もいないのに何処からか聞こえる音楽。見たことの無い装飾品が店内を飾る。


『成る程、凡そ普通の店ではないな』


 ヴェルナーは衛兵の報告書に得心がいった、と一人で何度も頷く。


「あの……お客様?どうかされましたか」


「え、あぁいや。何でもない。友人に珍しい料理屋が出来たと聞いたのでね、試しに来てみたのだ」


「はぁ。……ロベルトさんのお友達でしたか」


「そう、そのロベルトから聞いたのだ。なんでもここでは紅茶が飲めるそうだね?」


「えぇ、メインはコーヒーですが紅茶もお出し出来ますよ」


「では、紅茶を貰おう。それと食事をしたいのだが……」


 そこでヴェルナーは、先程から気になっていた事を店主に尋ねた。


「この店内に漂う刺激的な香り……香辛料の香りだと思うのだが、違うかね?」

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