第5話マスターと妙なお客・2

「貴様、よくも私に毒を盛ったな!」


 (自称)衛兵の中隊長ロベルトが、剣を抜いた。室内の照明の光を受けて、ギラリと鋼が輝く。


「ちょっとちょっと、こんな所でそんな物を振り回さないで下さいよ!」


「五月蝿い!大体こんな治安の悪い通りで怪しげな店を出している貴様は不審者だ、来い!詰め所で取り調べてやる!」


 そう言ってロベルトは潔に剣を突き付ける。潔はてっきりコスプレ用の模造刀か何かかと思っていたのだが、その金属の輝き等から見てもどうやらちゃんとした刃物らしい。そもそも日本でそんな物を携帯している時点で銃刀法違反じゃないのかとか、色んな疑問が湧いてくるが今はこの頭に血が昇った男を刺激しない方が良いと潔は判断した。


「とりあえず、落ち着いて下さいよロベルトさん。私がどうして初対面の貴方に毒を盛らなくてはならないのです?」


「む、それは貴様が怪しげな商売をしているから、私を口封じに……」


「そんな事をしたら逆に目立ってしまうではないですか。そもそも、先程飲んだ物が毒薬なら、何故何の影響もないんです?」


「む?言われてみれば、確かに……」


「ですから、コーヒーというのは何も入れなければ苦味の強い物なんです」


「そ、そうなのか?」


 ロベルトが困惑したような表情になる。まさかコーヒーを知らないのだろうか?などと潔は考えたが、流石にそれは有り得ないだろうと演技だと思う事にした。


「はい。ブラック……何も入れないで飲む事を好む方もおりますから、まずはその形でお出ししました。甘い方がお好みでしたら、ミルクと砂糖を加えさせていただきます」


「そっ、そうか?では頼む」


 途端に大人しくなったロベルトを不審に思いながらも、潔はミルクと砂糖を支度しつつ軽食の準備に戻った。




~ロベルト視点~


 我ながら現金な物だ、とロベルトは己の短慮を反省している。あのコーヒーとやら……最初に飲んだ時には苦味ばかりを感じて咄嗟に毒薬の類いかとも思ったが、言われてみれば確かに、毒を飲んだのにあれだけ軽快に動けるのはおかしな話だった。その後、コーヒーに搾った牛の乳とこれまた高級品の砂糖を加えた物(カフェオレと言うらしい)は甘さとコーヒーの苦味が程よく両方感じられて、そこに牛の乳のまろやかさが加わって大変に美味かった。これまで飲み物と言えば酒が至高だと信じて疑わなかったロベルトだが、もしもこれが毎日飲めるのなら酒など飲んでいる場合ではない。それほど美味かった。そして今、目の前には皿に盛られた三角形の白い食べ物が鎮座している。


「これは?」


「サンドイッチです。知らないんですか?」


 老人(確かキヨシと言ったか)に怪訝な表情をされてしまう。しかしロベルトはこんな食べ物は見た事が無かった。1つ手に取って匂いを嗅いでみた。


「安心してください、毒なんか入っちゃいませんよ」


 キヨシはそう言って苦笑いだ。先程の無礼な振る舞いは気にしていないようで一安心。だが、この手に取った食べ物の白い部分の正体は理解した。白パンだ。ロベルト達庶民が食べるパンと言えば、もっと全体的に茶色くて、堅くて、ボソボソしているのだが、年に2回街の有力者を集めて催される新年の宴と秋の収穫祭の時には領主の計らいで白くて柔らかく、上質な小麦粉を使ったパンが振る舞われるのだ。だが、今手にしているパンはその白パンよりも更に白くて柔らかく、そして美味かった。


「具材はハムとチーズ、ツナとキュウリに、タマゴサンドです」


 ロベルトが最初に食べたのは、タマゴサンドという奴らしい。キヨシの説明を聞く限り、茹でた鶏の玉子を潰して、何かで味付けをしたものらしい。後から思い出してみるとマヨネィズとか言っていた気がするが、あまりよく覚えていない。食べるのに夢中になっていたからだ。のこり2種類も夢を見ているんじゃないかと思うほどに美味かった。実際、気付いたら皿が空になってしまっていた。寂しさと切なさが込み上げて来ると同時に、何でもっと味わって食べなかったのかと後悔して涙が出そうだった。


「お代わり、作りましょうか?」


 という、キヨシの言葉は天啓にすら聞こえた。物凄い勢いで首を縦に振り、応える。どうせならタマゴサンドだけの皿にしてくれと頼み、それを2回も食べてしまった。夕食が入るか不安だが、後悔はない。浮気を疑われて妻は不機嫌になるかも知れないが、今度この店に連れてくれば機嫌は直るだろう。そしてカフェオレの残りを飲み干した今、ロベルトは現実の問題に立ち戻って来た。支払いである。何しろ聞いた事も無かったコーヒーなる飲み物に、これまた高級品の白い砂糖。そこに領主の館でも祭りの時などにしか出てこない物よりも高級そうな白パンに、どう調理されたかも解らないがとにかく美味かったサンドイッチの具材。この食事にどれだけの価値があることか。


「キヨシ、いやキヨシ殿!」


「ど、どの?」


「すまないが、今は持ち合わせが無い。足りない分は後日、必ず払いに来る。だから今日はこれだけでご容赦願いたい!」


 そう言ってロベルトは、懐の巾着袋からなけなしの今月の小遣い全額ーー金貨1枚を、潔の手に握らせた。


「え、いや、あの」


「すまんな、衛兵隊の中隊長といえど自由に出来る金は少ないのだ。金は妻の管理なのでな。どうにか交渉して足りない分は必ず払いに来る。ではな!」


「いや、ちょっとーー」


 後ろの方でキヨシが呼び止めようと叫んでいるが、振り返らない。あれだけ高級な物を食べたいだけ食べたのに、払いが足らなかったのだ。食い逃げと同罪だと問われれば言い逃れは出来ない。そうなれば自分は元より、妻と子供が路頭に迷う事になってしまう。その事態だけはなんとしても避けなければ。そんな悲壮な決意をして、ロベルトは衛兵隊の詰め所へと急ぐ。無駄遣いした時の妻はどんな強敵よりも恐ろしいが、何としても小遣いの追加を獲得しなければ。





~潔視点~


「……行っちゃった」


 何だか忙しない人だったなぁ、と潔はさっきのお客を思い返していた。お会計の時になったらいきなり泣きそうな顔になったので、支払いが足りないのかと思っていたのだが、いきなり金貨(本物かは疑わしいが)を握らされ、足りないかも知れないがと断りを入れられ、逃げるように帰られてしまった。自国のお金を換金していなかったのだろうか?それともコスプレまでした手の込んだ食い逃げ?今思い出しても疑問は尽きないが、それよりも潔の心には満足感が沸き起こっていた。


「ふふっ、本当に美味しそうに食べるんだもんなぁ」


 思い出されるのは、中隊長ロベルトが夢中になってタマゴサンドをがっつく姿。そしてカフェオレを飲んで浮かべていた笑顔だった。それを思い出すだけで、潔はこの店を開いて良かったと思いを新たにしていた。


「それにしても……」


 潔の手の中にあるのは、ロベルトの置いていった金貨。デジタルの量りで量ってみたが、重さは大体20g。これが18金のコインだと仮定して、今日時点での買い取り価格を調べてみたら、1gあたり5,670円。つまりこのコイン1枚で大体11万円とちょっとの価値があるという事だ。対して、潔が提供したのはカフェオレ1杯にサンドイッチの盛り合わせとタマゴサンドを2人前。どんなに高く見積もっても2000円位。


「明らかに貰いすぎなんだよなぁ」


 さてどうしたものか、と真剣に悩む潔であった。

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