第3話喫茶『デタント』、開店します

 店を借り受ける話がまとまってからは、話がとんとん拍子に進んでいった。カップやソーサー等の食器類はもとより、サイフォン等のコーヒーを淹れる為の道具も一式揃っていた上にキッチンも立派な物だったので、潔が新しく揃えた物と言えばエスプレッソマシンと店内でBGMを流す為のレコードプレイヤー、それに家に置いていた蔵書を収める為の書棚位のものである。


「しかし……窓のない喫茶店ってのも珍しいですねぇ」


 エスプレッソマシンを納入しに来た業者の若い男が世間話的なノリで潔に疑問をぶつける。そう、駅に面した通りだと言うのに、この喫茶店の建物には窓が無かった。多くの喫茶店は客を呼び込む意味も込めて、通りに面した方角の壁は大きな窓ガラスになっている所が多いのに、である。無論、店内が薄暗い訳ではなく、しっかりと照明設備が整えられていて、窓がないとは思えない程には明るい店内にはなっているのだ。


「まぁ、私はここを借り受けた身ですから。詳しい事は何とも……」


 そう言って苦笑いで返す潔だが、本人は存外窓のないこの店の作りを気に入っていた。窓がないという事は逆に言えば、外からの情報も入ってこないという事でもある。外の喧騒に邪魔される事なく、コーヒーを片手に自分だけの時間を楽しむ……そんな隠れ家というか、秘密基地的な雰囲気が自分の目指す店の方向には向いていると、そう思ったからである。


「では、何かしら機材にトラブルがありましたらご連絡下さい」


「どうも、ご苦労様」


 エスプレッソマシンの設置も終わり、業者を見送った潔は一旦店の外に出る。店のドアの上には、『café détente』と飾り文字で書かれた看板が掲げられている。喫茶店を始めようと決意した時から、店名だけは決めていた。そんな看板を眺めながら潔は満足げに頷き、ポケットに入れていたスマホを手に取った。





「やぁ、随分と店らしくなったじゃないか」


「どうも。……と言っても、看板をかけただけですがね」


 潔が電話をかけた相手は、この店舗の大家である例の老人だった。潔も騙されているのではと個人的に調べたのだが、特に怪しい所もなく、この辺りの地主だという事も事実だった。元々人を疑ってかかる様な質ではない事も相俟って、潔はこの老人を『今時珍しい奇特な人』だと評して信頼を寄せていた。


「して……これは何と書いてあるんじゃ?」


 すまんが外国語はからっきしでのぅ、と老人はカラカラと笑う。


「これは『カフェ デタント』……日本語にすると『喫茶 くつろぎ』といった所でしょうか」


 デタント、と聞くと米ソの冷戦の時代を知る人からすれば緊張緩和の意味で覚えている人間も多いだろうが、元々の意味は寛ぎとか安らぎという意味の言葉である。潔は新婚旅行でフランスを訪れており、その時に訪れたホテルの壁に『lieu de détente』と書かれた飾りを見つけ、意味を訪ねると『くつろげる場所』という意味だったのだ。その言葉の響きを気に入っていた潔は、喫茶店をそんなくつろげる場所にしたいとの願いを込めて、この名前を付けたのである。


「寛ぎの場所、か……中々良いではないか」


「はぁ、ありがとうございます」


「おぉそうじゃ、お前さんに開店祝いのプレゼントがあったんじゃ」


 そう言って老人は肩掛けの鞄から古ぼけた紙袋を取り出した。


「中を見ても?」


 潔が受け取って開けてみると、そこには銀色のドアベルが入っていた。見事な装飾で、ベルには妖精が停まっている。


「昔知人から貰った物なんじゃがな。儂には使い道が無いのでお前さんの店ででも使ってくれ」


「いや、しかし、こんな高そうな物……」


 使わないにしても、このデザインだけでちょっとした美術品ではなかろうか。そんな風に思えた潔は、老人に返そうとした。しかし老人は、


「よいよい。使われん道具ほど哀れな物はない。使ってもらえた方が、儂にこれを寄越した知人も喜ぶじゃろうて」


「そ、そうですか?では遠慮なく……」


 老人から受け取った潔は早速、店のドアの内側のフックにドアベルを吊るした。そのベルは済んだ綺麗な音を出し、BGMの流れる店内でも聞き逃す事は無さそうだった。


「うむ。では精々頑張って稼ぐんじゃぞ?ではな」


 ドアベルを満足げに眺めた老人は、そそくさと帰っていってしまった。


「しまった、コーヒーの1杯でもお出しするんだったな……」


 うっかりしていた、と潔は反省しつつも、これで店の準備は万端とばかりに、ドアにかけられた『CLOSE』の札を返して『OPEN』に変えた。『喫茶 デタント』オープンの時である。






~???~


 男はこの街で生まれ、育ち、そして所帯を持った。男は街中を革の防具を纏って闊歩し、目を光らせる。男の仕事は衛兵ーー悪を捕らえて街を、否、己の家族と街を護る事が仕事であった。15の時に衛兵隊に入隊し、以来15年。真面目な勤務態度と強い正義感によって、男は中隊長を任されるまでに出世していた。そして今は、日課の警ら中である。本来ならば街中の巡回などは新入りの仕事であり、中隊長である彼がやるような仕事では無い。しかし、彼は己の生まれ育った街を誰よりも熟知していると自負していた。異常があれば、誰よりも先に気付くことが出来ると。そんな彼の自負が早くも試されようとしていた。


「ん?」


 違和感に気付いたのは大通りから1本入った通りに差し掛かった辺りの事だった。この辺りは大通りの隣の通りにあるにも関わらず、仕事にあぶれた破落戸ごろつきや、昼間から飲んだくれている酔っ払いが居るなどあまり治安の宜しい場所ではない。そんな通りにポツンと真新しいドアがあった。高そうな樫の木材で作られた、高級感溢れるドア。その上には見慣れぬ文字で『café détente』と書かれている。


『何と読むのだろうか……?いや、それ以前にこんな所にドア等あっただろうか?』


 ここ一月程、書類仕事が忙しくて街中の巡回が出来ていなかったが、一月やそこらで自分の把握できていない店が出来るとは思えなかった。それに、言っては悪いがこんな通りでまともな商売人が店を開くとは思えない。男の直感が怪しいと囁く。


「よし、調べてやるか」


 誰に言うでもなくそう呟いて、気合いを入れ直す男。そうしてドアを開けると、涼やかなチリンチリンという音が鳴る。そうして、中へ一歩足を踏み入れると


「いらっしゃいませ」


 中では銀髪の老人が、柔和な笑みを浮かべて男を出迎えていた。

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