第2話 不思議な大家さん

 なるべく早く物件を見つける、と意気込んで不動産屋巡りを始めたのが1ヶ月前。しかし納得のいく物件が見つからず、潔は途方に暮れていた。


「はぁ……」


 徒労感と疲労感から、思わず溜め息が漏れる。潔が座り込んでいたのは、自宅の近所にある稲荷神社の境内。その境内の中にある御神木の側にはベンチが設置されており、青々と生い茂った御神木の葉が陽射しを柔らかな物にしてくれている。そんな木陰は一息入れるのに非常に丁度良く、潔は鬱々とした気分を抱えながらもベンチに腰掛けて休憩していた。


「どうしたものですかねぇ……」


 俯き加減に思わず呟いた弱音。粘り強い交渉と巧みな話術で数多の契約を勝ち取ってきた潔にしては、少しばかり手こずっていた。とは言ってもそこは人気のない神社の境内、誰かに聞かれる訳でもなくーー


「何を悩んでおる?お若いの」


 まさか返ってくるとは思っていなかった返事に、潔は肝を潰しかけた。弾かれたようにキョロキョロと周りを見渡すと、いつの間にやら潔の目の前には1人の老人が立っていた。まぁ、60を半ばまで過ぎた潔が老人と呼ぶには語弊があるかもしれないが。




 目の前の老人は腰が曲がるでもなく、かといって杖を突いているわけでもない。正に矍鑠かくしゃくといった言葉がピッタリの元気そうな年老いた男性である。頭はつるりと禿げ上がっているが、立派なフサフサとした口髭が生えており、なんとなく仙人の様な顔立ちをしている。しかし仙人の様な服装ではなく、カーディガンにスラックスとどこにでもいそうな老人の服装だ。


「隣、宜しいかな?」


「あぁ、どうぞどうぞ」


 どっこいしょ、と腰掛ける老人。その目はじぃっと潔の顔を凝視しており、何やら心の奥底まで見透かされているような気分になってきた潔は居心地の悪さを感じていた。


「それで?何を悩んでおる」


「い、いやぁ。見ず知らずの方にお話しするような悩みでは……」


 随分とグイグイ来る人だなぁ、と少したじろぎながら潔が口ごもる。


「『袖触れ合うも他生の縁』と言うじゃろう?悩みは人に話す事で思わぬ糸口が掴める事もある。ほれ、遠慮せずに話してみぃ」


 数多の皺に覆われた顔の奥にある眼は、『理由を聞くまで梃子でも動かんぞ』と雄弁に物語っていた。流石に根負けした潔は、訥々と老人に語りはじめた。長年勤めていた会社を退職した事、次の仕事として喫茶店を開く事を計画している事、そしてその場所が見つからない事。洗いざらい全てを話してしまっていた。その間、老人は相槌を打つ事もなく黙って潔の話を聞いていた。


「ふむ……お前さんは店を捜している。そういう事かの?」


「はぁ、まぁ……シンプルに言えばそうですが」


 これでもこの近辺だけでなく、少し離れた場所の不動産屋等もあたって、それでも見つからずに途方に暮れているのが現状だ。


「その店は、賃貸でも構わんのか?」


「今時賃貸契約で店を開いているのも珍しくはないでしょう」


 潔はその辺の拘りは薄かった。言ってしまえば半分趣味のような店になる予定だし、賃貸ならば家賃を払いつつ赤字にならなければいいか位の腹積もりである。幸いにも、独居老人としては十分な蓄えもある。


「ふむ……ならば、儂が力になれるやも知れん」


 そう言うと老人は立ち上がり、スタスタと鳥居の方に歩いていく。


「え?えぇ?」


 呆気に取られる潔に対して、


「早くついてこんか!全く、これだから最近の若いモンは……」


 等と、ぶつぶつ文句を垂れている。確かに60代半ばの潔に対して、この老人は80代……下手すると90歳を超えているのでは?という見た目ながら、不思議とバイタリティに溢れた年齢不詳の老人なのだが。





 謎の老人の後について暫く歩いていたが、老人は駅の近くの建物の前で立ち止まった。そこは2階建ての上に、地下には収納用の倉庫もあり、その上元々喫茶店として建てられたという理想的な建物だった。この物件は潔も目を付けてはいたのだが、不動産屋に売りに出されてはいないと聞かされてガックリと落ち込んだ場所でもある。


「どうじゃ?」


「いやぁ、いい場所ですよね。駅も近いし、人通りも多い」


「そうじゃろそうじゃろ」


「……でも、ここは売りに出されてはいないと聞きましたよ?」


「当然じゃ、儂が『これぞ』と思った者にしか声を掛けんからな」


 まさか、と潔の心臓がドキリと跳ねる。


「じゃあ、まさか……!」


「この建物……というかこの辺りの土地は儂の持ち物じゃよ、小僧。してお前さん、ここで喫茶店をやる気はないか?」


 目の前の老人はしてやったりと、ニヤリと笑っていた。


「いいんですか?」


「勿論。ただ、備え付けの設備はちと古いがの」


 老人の言葉は既に、潔の耳には届いていなかった。自分の目を付けていた理想の物件で喫茶店が開けるーーその事で頭が一杯になってしまっていたからだ。


「中を確認しても?」


 老人は黙ったまま、コクリと頷く。潔は小刻みに震える手で、オーク材で出来たドアを開けた。




 中は潔が予想していたよりも、大分広かった。カウンター席が10、向い合わせのテーブル席が4つ。最大で30人程度のお客さんを迎え入れる事が出来るだろう。1人で切り盛りするには少し多すぎる気もするが、後々大変になってきたらバイトでも雇えばいいか、とその問題を棚上げする。コーヒーカップやサイフォン等は今時の物よりも少しデザインが古かったが、よく手入れされていてそのまま使えそうな程だった。後は潔が置こうと思っていた調度品を置けば、今すぐにでも開店出来そうな状態である。


「今ここに置いてある物はそのまま使って良いぞ。それと2階は住まいになっとるが……まぁ、無理にここに住む必要はないじゃろう」


「それで、家賃の事なんですが……」


「ん?あぁ、とりあえず店を開けて半年は家賃を取るつもりはない。その後も店の利益の5%を家賃として納めてくれればそれでエエぞ」


「ご、5%ですか?だけどそれだとあまりに……」


「儲からないのでは、か?」


 潔の心配は尤もである。利益の5%、という事は繁盛すればそれなりの額を納める事になるが、逆に儲からなければ家賃収入はほとんど望めないという事になる。寧ろ美味しい話すぎて詐欺を疑うレベルだ。


「心配するな。儂はそこまで金に困っておらんのでな、たまに来た時にでも美味いコーヒーと甘い物でも食わせてくれるだけでお前さんに店を持たせた甲斐があるんじゃよ」


「はぁ……」


「さて、ではお前さんにこの店を任せるという話は受けてもらえるのかの?」


「それは、願ってもない事ですが……」


「では、よろしくな。他に必要な設備やらは自分で揃えてくれ。開店準備が整い次第、儂に連絡をするようにな」


 そう言うと老人は潔の右手と握手を交わし、その際にメモ用紙を握らせた。そこには老人の名前と住所、携帯電話の番号が記されていた。こうして潔はあれよあれよと言う間に店を手に入れてしまった。



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