喫茶『デタント』へようこそ~異世界喫茶で始めるセカンドライフ~

ごません

第1話 喫茶店、はじめます。

「部長、定年退職おめでとうございます!」


 部下であった若い女性から、大きな花束とワインのボトルの入った紙袋を手渡される。それと同時に沸き起こる拍手。


「ありがとう。だが、私はもう部長ではないよ」


「あはは、そうでした。でも、私にとっては部長はいつまでも部長ですから!」


 そう言って花束を渡してくれた彼女は眩しい笑顔を向けてくれる。男の名は佐藤 さとう きよし、元営業マン。大学を卒業して入社し、40年近く貿易系の食品会社の営業マンとして働き、60になって退職しようとした時に、後進育成の為に非常勤として残ってくれないかと打診され、5年間だけという条件で会社に残り、そして今日がその5年間の任期満了の日である。一時期は営業部の部長の椅子にも座っていたのだが、定年と同時に部下にその席を譲り、新人を指導する立場に。花束を渡した女性社員は、潔が部長の頃から働いている娘である。


「でも寂しくなるなぁ。佐藤さんが居なくなるなんて」


「ホントよねぇ、皆の先生でありおじいちゃんみたいな人だったのに」


「退職されたらどうするんです?娘さん夫婦の所に?」


 別れを惜しんでいるのか、部署の人間達が話しかけている。潔は若い頃に妻と死別しており、今は独り暮らし。男手一つで育て上げた娘も今は嫁に行き、孫もうまれている。だが、まだ自分は働ける。働ける内はやりたい事をやろうと、退職が近付くにつれて計画していた。


「それなんだがね……退職金で店を持とうと思っているんだよ。喫茶店をね」


 仕事一筋にやってきた潔の数少ない趣味が、音楽鑑賞とコーヒー。レコードでジャズ等を聴きながらコーヒーを啜る一時は至福の時間であると思っており、そんな時間をお客さんと共有したい。そんな第二の人生も楽しそうじゃないか、そう思って半年程前から喫茶店経営のノウハウを教えてくれるという教室に通っていたのである。


「喫茶店のマスターかぁ。似合いそうだなぁ」


「オープンしたら場所教えてくださいね!飲みに行きますから!


「ははは。まぁ、まだ店の場所は決まっていないんだがね」


 技術的な物は教室の講師からも太鼓判を押される程の腕前になっている上に、父子家庭として生活していたお陰で料理は得意分野となっていた潔。軽食も出せる純喫茶のような店をイメージしていたのだが、いかんせん気に入った物件が見つかっていなかった。


「そうかぁ、じゃあ佐藤さんのコーヒーが飲めるのはとうぶん先なんですね……」


「まぁ、なるべく早く見つけられるように頑張るよ」


 潔はそう言って、明日からの新たな生活に思いを馳せていた。

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