最終話 最後の聖戦
暗く寒い世界の中を、十児は彷徨っていた。
空には月。地には湖。美しくも静かな空間だった。
「俺は……何を……ジャスコ城で、信長と戦っていたはずだが……」
最後の瞬間を思い出す。信長に翻弄され、その末で〈ジャスコの植樹祭〉というジャスコ術を受け、木の中に埋められてしまったのだ。
「俺は死んだのか……? ここが死後の世界……」
目を見開き、十児は歯を噛み締める。悔恨の念が背中を押し、そのまま圧迫しそうだった。無様だった。情けなかった。連綿と継がれていた明智家の宿命が、運命が、因縁が、十児の代で途切れてしまった。しかも、ジャスコというあり得ない力が加えられて――
「諦めるな、我が子よ。お前はまだ死んではいない」
誰の気配も感じなかった世界で声が響いた。聞いたことのない人物の声。だが、それが誰なのかは、十児の中に流れる血が、魂が知っていた。
「あなたは……もしや……」
ふと正面を向くと、筋骨隆々とした金髪の男が湖面に立っていた。とても若々しく見える男だ。威厳に溢れたその様は、まるで信長と対を成すかのよう。
「光秀公……なのですかっ!」
「そうだ、十児よ。俺は肉体こそ滅んだが、その意思は聖刀に宿り……今までお前を見守っていた。俺だけではない。お前に至るまでの明智家の男は皆、お前と共に戦っていたのだ」
「【近景】と【貞宗】に……光秀公や先祖が……」
聖人の加護を得た聖刀ならば不思議ではないことかもしれない。ならばここは死後の世界ではなく、【近景】と【貞宗】の世界なのだろう。
「だが光秀公……俺は、信長には勝てませんでした。奴の力は想像を絶していた。もう斃す術は……ないんです」
「馬鹿が。その恐れが信長の力になるとわからんか?」
「え……」
「信長は人の恐れや絶望といった負の想念から復活した。ならば、相反する正の想念とはなんだ?」
「それが霊力など退魔の力なのでは……。だが俺の力は……」
「違うな。信長が希望を絶望に変え、魔力を得ようとしたように……絶望を希望に変えればそれが霊力の――森羅の糧となる。希望が、森羅万象の生きとし生ける者の願いが、魔力を打ち破る力になるのだ」
「生きとし生ける者の願い……」
「人間が持つ希望の力こそ森羅だ。魔城がジャスコになったから、敵がジャスコ術を使うからなんだ? そんなくだらないことに恐れるな。最初からわかり切っていたことだろう。『ふざけた真似』だと。奴の奇行など笑い飛ばせ。大うつけなのだからな」
「希望が……森羅に……」
どくんと心臓が胸打つ。光秀に諭されると同時に、夜の世界に光が刺し始める。
夜明けの光が、光秀の背中と重なる。その神々しい姿はまさに、救世主と呼ばれた聖人のようだった。
「迷いを払い、振り返らずに進め、我が子よ。心を散らさずに、夢と願いを抱き、突き進むのだ。光溢れる未来へと、命を燃やし続けろ」
夢と願い。光溢れる未来。十児は想像する。
この世紀末、一九九九年を超えた先にあるべき未来を。
人々が安心して暮らせる未来があるはずだと。
十児と寄り添い合う、相棒の姿を思い浮かべる。彼女もまた、遥かな過去から自分を、明智家を思い続けてきた愛しい存在だ。人の文化を愛し、味方してくれた彼女が笑っていられる世界を築かなければならない。
「いい顔になったな、十児よ。月紫のことでも考えたか?」
そしてその思いは、光秀には筒抜けだったようだ。
「彼女だけではない。お前には、仲間がいる。俺の時代にはなかった存在だ。彼らと共に、生き抜け、十児!」
「光秀公……」
「最後の聖戦だ、十児。意識を外の世界に向ける前に――我が秘術をお前に授けよう」
眩しい光の世界の中で、光秀はその体を大きく輝かせた。
「諦めていては駄目だ。明智殿は、木に変えられたとはいえ……生きているはずなんだ!」
身に纏っていた鎧が全て砕かれてようと、聖騎士フィールはその信念を研ぎ澄まし、魔王信長に立ち向かっていた。彼だけではなく、全身傷だらけのレスラーベアタンクも闘気を手中させ、魔王信長に拳を爆発させている。
「諦めろ。絶望しろ。明智十児は死んだ。貴様らが束になったところで、この事実は変わらぬッ!」
炎が燃え広がり、濃密な死の気配が充満する屋上。魔王信長は〈プレミアム商品剣〉を再び手に取り、フィールとベアタンクの相手をしていた。手首を捻れば次の瞬間にはフィールとベアタンクの体に傷が付き、血が噴き出す。それでも、フィールは剣を振り続け、ベアタンクは拳を向け続けた。
諦めない二人の心は――
有体に言って、この絶望的な状況を覆す要因の一つとなり得た。
「おいおい、ワシも祭に混ぜてもらうで」
そんな声が響き――
地獄の底から這い上がってきたかのような真っ赤なスーツに身を包んだ隻眼の男が信長との死闘に参戦する。
「ハッ、いかにも地獄みたいな光景やな。せやけど、これが男の生き様って感じやな!」
「松田ーッ!」
決戦に馳せ参じた騎兵隊。その正体とは柴田勝家との激闘で負傷し、「休憩」していた六道会の極道松田であった。
「よかった、明智殿の言う通り、休んでいただけだったんだな」
「当たり前やろアホが。なんか、お迎えが来とった気がしたけどな、ワシが死んでないとわかったらふっと消えよったわ。老人は早とちりもするから厄介やなア」
フィールと掛け合いを繰り広げる松田。その両手には二つに分けられた【神梛刀】がそれぞれ握られており、ナイフのように短くなったものの二刀流という形になっている。
「死に損ないが……一人増えたところで、この状況は変わらぬ」
信長が〈プレミアム商品剣〉を振り続け、松田をも巻き込もうとするが、
「では、もっと増えたらどうでしょうネ?」
辮髪を揺らしながら仙術使いが銀の輝きを放つ【水銀棍】を叩き付け、信長の〈プレミアム商品剣〉を弾く。
「さすがに、この数でも。強がれる? 魔王信長!」
《▼松田まで運ぶとは想定外でしたが、アレキサンドリア便は援軍の派遣に成功しました。さあ、本機も参戦します》
ハマが、アンナが、アレキサンドリアが炎の舞台に集結。
「……姫を斃したか。面白い。ならばその膨れ上がった希望――森羅を儂の力としてやるッ!」
魔王信長に、フィールを始め六人の男女が挑み、命を燃やして戦い続けた。
そして――
この場に駆け付けた最後の一人――蛇人間と化した少女風魔ルゥナは――
「十児! そこにいるんだね、十児ーッ!」
木と化した十児に駆け寄った。
「中にいるのはわかっているんだ。ちょっと熱いけど、男なら我慢できるよね?」
ルゥナはすかさず口腔から火線を迸らせ、木を焼き切る。紅蓮の炎に包まれるジャスコの植樹。その中から、灰にならずに人影が幽鬼のように現れる。
明智十児。ルゥナの希望が二振りの聖刀を煌めかせ、木炭と化そうとしている木を分断。信長との決戦に復帰した。
「ルゥナ……それに、皆も……濃姫を斃したようだな」
蛇人間と変化している相棒の姿を素直に受け入れ、十児は戦況を確認。誰もが信長相手に死力を尽くし、奮闘していた。
ルゥナは目尻に涙を浮かべ、うっとりとした表情で告げる。
「十児……様。生きていてよかった。もう一踏ん張りです。さあ、信長に……あの魔に溺れた鬼の魂を、あるべき場所へ……」
ルゥナはそっと十児に唇を重ねた。刹那、十児の体がびくんっと痙攣したかのように跳ね上がり、カッと目を見開く。究極や至高の料理を味わっているような多幸感が体中を包み込み、全身の痛みが和らいだ。
「わたしは……蛇は再生の象徴。これで少しは活力が回復したでしょう?」
「……ありがとう、ルゥナ。この聖刀に誓い、俺はもう負けん!」
十児は【近景】と【貞宗】を携え、屋上を疾風のように駆ける。
「信長ーッ!」
光り輝く聖刀を再戦の挨拶とし、十児は信長に斬りかかった。
「まだ生きていたか、忌々しい明智の血め」
〈プレミアム商品剣〉を鞭のように扱い、【近景】を弾こうとする信長。
そこへ、
「よう、十児! 約束通り来てやったで」
松田が〈六道会キック〉を繰り出し、信長の脇腹に槍の一刺しのような一撃を放った。
「松田の旦那! ありがたい!」
すかさず十児は〈プレミアム商品剣〉の隙間を狙い【貞宗】で信長の心臓を穿つ。
「ぐ……」
常人なら即死であるが、魔王にはただ擦り傷が与えられたようにしか思えないようだ。
しかし、全く効果が無いわけではない。信長は蹈鞴を踏み、怪訝な顔を作った。
「儂の鎧の如き皮膚に傷を付けるとは……力が増幅しているのか?」
魔王を恐れない心が十児に力を与え、信長の闇を穿った瞬間だった。
「世の中にはお前がいなくとも、妖怪や悪鬼の類はごちゃまんといる。負の力があれば正の力もある。魔の陰を滅する善の陽。それこそ森羅。生きとし生ける者の生命力そのもの、希望の力だ!」
聖刀の輝きが増す。信長に傷を付けたことで希望が――森羅が――力が高まったのだ。
「意思を感じる。このジャスコを造った人たちの意思が……魔王の箱庭となるためにこの店を作ったわけではないと、俺に訴えてきている」
十児の中で増幅した霊力が、ジャスコに宿った人の思い――残留思念のようなものを感知した。
「重ねて言おう。ジャスコは、人々の暮らしを豊かにさせるもの。快適に過ごし、笑顔をもたらし、光り輝く未来を造るためのもの。決して人を支配する場所ではない!」
自転車も、室内遊園地も、ペットショップも、フィットネスも、鮮魚など食品も、書物も、玩具も、家電も、家具も寝具も――全て生活文化を潤させるためのものなのだ。決して、魔人たちの魔力を高める道具ではない。
「滅びろ。ここはお前の経営する店ではない!」
【近景】の切っ先を信長に向け、十児は猛然と雄叫びをあげた。
「時は今! 光秀公より直々に託されし、聖十字の光を受けよ!」
先祖から「十」の名と「光」の意思を受け継いだ明智十児。【近景】と【貞宗】を十字に構え、気迫を込めると全霊力を集中。聖刀の刀身がさらに輝きを増し、金の光に包まれる。それと同時に十児は刀を勢いよく振った。
「〈
刹那。信長の周辺で光が炸裂する。それは華が開いたような形をした光。それは十字架の光。悪魔を滅する聖人の力。聖刀に宿る光秀から習得した、明智家の秘奥義。これこそ、対信長専用の切り札であった。
「ぐ……なんだ、この光は……ッ!」
光の十字架の渦に飲み込まれ、信長が怯む。眩い閃光が悪しき衣を剥ぎ取り、瘴気が血のように噴き出し始める。
「皆、力を――森羅を集めるんだ! 力を合わせれば信長に勝てる!」
信長を圧倒し始めた十児が、退魔師――聖戦士たちに呼びかける。
蛇の姿をした少女は、その勇ましい姿の青年を見つめると、「いえっさ」と愛らしい声音で応答した。
「世紀の終わりの向こうには、遥かな未来があるはずだからっ。〈沙羅曼蛇〉!」
「聖騎士道原則『魔には全力で立ち向かえ』……これは未来を造るための力――〈光蜂の一刺し〉!」
「ワシはジャスコとは縁がない。せやけどな、この店が無いと街が困るんや。返してもらうでっ。オラッ……【神梛刀】を喰らえッ!」
「アハハ。ジャスコ城、苦しくも楽しい場所でしたヨ。それでは、そんな場所を提供してくれた魔王にお礼です。〈九天応元雷声普化天尊波〉!」
「……真に強き者、魔王信長。お主との戦いはベアタンク史に刻まれ、永遠に生き続けることだろう。では、試合終了のゴングを鳴らそう。〈ベアバスター〉!」
「お前は、ジャスコ城は、アンを大きく変えた。ドンナの分まで、アンは戦う。神の裁きを、受けろ! 〈リゲムチャの創世〉!」
《▼なんか上手い言葉が見つからないので適当に攻撃します。〈ネメシスカノン〉発射。死ね死ね死ね死ね死ね死ね!》
霊力が、エーテルが、神気が、氣が、闘気が、マナが、プシュケー粒子が――
森羅万象の希望の力が魔王を蹂躙する。魔王の眼が破裂し、口が裂け、腕が千切られ、膝が抉られる。
「あり得ない……こんなことが……儂は……ジャスコの力を得て……強化されたはずだというのに……」
猛攻を受け、ボロ雑巾のような姿に変わり果てた魔王信長。血の涙を流す姿からは殺気と狂気はもはや漂白されており、ただの人間がそこにいるようだった。
肉体と魂を躍動させ、明鏡止水の境地となった十児は相棒に告げた。
「ルゥナ。もう一押し行けるか?」
「あなたとならどこまでも」
頷き合い、十児とルゥナは信長に向けて駆け抜ける。
「木よ火よ土よ金よ水よ……森羅万象よ、俺に力をッ」
光輝く聖刀で連続突きを放ち、信長の体を穿ちながら弾き飛ばす。その先に待っていたのは、体をくねらせストレッチを終えたルゥナの姿。
「あたしの全てをここにっ! ギャルの秘密道具、持ってけ泥棒!」
スクールバッグに残っていた【プリクラ手裏剣】、【ポストカード手裏剣】、【カミソリ手裏剣】を全て投擲。体に深々と突き刺さり、魔王は呻いた。
「十児、パス!」
蛇の尻尾で信長の体を弾き飛ばし、さらに〈沙羅曼蛇〉の火線で追い打ち。火達磨と化した魔王に十児は光の十字架を華のように咲かせてその身を浮かせる。その姿はまさに打ち上げ花火。「たまや~」とルゥナが手拍子するほどである。宙の信長に向けて十児は【金橘】の弾を連射。
十児の体は快感に打ち震えていた。明智家の因縁の敵信長と渡り合えたことに、先祖と同じ位置に立てたことに。これが、生まれた時から宿命付けられていた瞬間、待ち望んでいた瞬間。まさに、「時は今」だった。
【近景】と【貞宗】を手に、十字架を胸に。足を開き、魔王に引導を渡すべく、十児はルゥナと呼吸を合わせる。
「終わりだ、信長!」
「尾張だけにって感じ?」
〈明智流滅却術・陰陽十字斬〉
〈究極封魔キック〉
強烈な閃光と共に二人の退魔の技が交差し、信長に炸裂。ありとあらゆる闇を照らす、天地開闢の光にも似た霊力――森羅の奔流。流れるように放たれたこの技こそ「天地」の中で二人が編み出した連携技。
「〈
二人の絆の証であった。
「ぐっ……儂は…………儂はあああああああ」
「成敗ッ!」
光の渦と十字架に飲み込まれ、信長の体が塵へと変化を始めた。
体が分解される信長の背後には、魔城の象徴天主。
〈天地夢耀〉の光が猛烈な勢いで天主を覆い尽くし、信長ごと吹き飛ばす。
同時に旋風が発生。ジャスコを中心として、近江八幡市を覆っていた霧が全て消失。
振り仰げば、蒼穹が笑顔を見せていた。
まるで、退魔師たちの勝利を祝福しているかのように――
さらにジャスコ全体を覆っていた魔力も消え去り、魔城は卵の殻が剥けるように元のジャスコ近江八幡店へと戻っていく。
この時この瞬間、魔王は消え去り――
聖戦士たちは勝利を果たしたのだった。
「任務……完了」
聖刀【近景】と【貞宗】を鞘に収め、十児は深く瞼を瞑る。
〝――光秀公、俺は使命を果たしました〟
刀に眠る先祖に思いを馳せる十児。
そこへ、
「十児!」「十児サン!」「十児ィ!」
共に信長に立ち向かった退魔師たちが次々と十児に駆け寄り、頭を撫で、体を支え、勝利を祝い合う。まるで優勝を果たした瞬間の野球チームのような盛況っぷりである。
そして――
「十児……お疲れ」
いつも近くで見守っていてくれた少女もまた優しく微笑むと、ノブナガハンター十児を柔らかく抱擁し、労うのだった。
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