第59話 眠気覚ましの悪夢
《▼目が覚めたところで簡単に状況を説明しますが、あのセンスの悪いカーテンを纏っている男がジャスコ武将「家具・寝具売場」責任者池田恒興です。いきなりですが、アンナ。あなたに本機を援護してもらいます》
「……なんだっていい。あのジャスコ武将、斃せるなら。何をすればいい?」
不機嫌なオーラを纏いながらアンナはアレキサンドリアに尋ねた。
《▼あのカーテンと、その下に隠れているマットが攻撃を防いでいます。本機があの男に近付き、それらを剥ぎ取りますから、その隙にアンナは攻撃を》
「……わかった」
アンナは敵をしっかりと見つめ、ドレッドヘアを揺らしながら頷いた。
「おお……まさか、余の〈快適夢空間ベッド〉から抜け出すとは。ありえない。それほどまでの意思を、そのアンナという少女は秘めていたというのですな。これは気になる。捕えて研究し、より深い眠りにつけるベッドを開発しなければ」
《▼そんな未来はありません、池田恒興。ここで本機たちがあなたを斃しますから》
アレキサンドリアは身を屈め、目を輝かせる。
《▼アキレスのような俊足を本機に。〈A・SPEED〉》
プシュケー粒子がアレキサンドリアの両足に集中し、淡く輝き出す。
刹那。アレキサンドリアの姿が消失。いや、それは残像すら残さない超高速移動だった。
「見、見えない……まるで、佐々成政殿のバイクの如き神速! しかし恐れるに足りず。どんな攻撃が来ようと、余を傷付けることはできないのですぞ!」
《▼本機は攻撃するとは言っていないんですが、これが》
ビュッっと風を切り、アレキサンドリアが池田恒興の背後に回り込んだ。そして、その両手で池田恒興の体を挟み、後ろからカーテンごとマットを剥ぎ取ろうとする。
「ぐっ……だが、これしき、余のドリルで!」
しかし、黙ってそれを許す池田恒興ではなかった。必死の形相で腕を動かし、アレキサンドリアの両腕にドリルを向けたのだ。ドリルの先端がアレキサンドリアの腕に接触し、彫刻刀で刻んだかのように表面が削れていく。人間ならば、大量に出血する場面だが、アレキサンドリアは怯むことなく自分の役目に集中していた。
《▼ヘラクレスのような怪力で……〈H・POWER〉》
アレキサンドリアがプシュケー粒子を両腕に集中。すると、力が増幅し――
《▼ファイト、一発!》
がばっと池田恒興の胸元を覆っていたマットを破り裂いたのだった。
「な……余のマットが……!」
《▼アンナ、今です》
池田恒興を羽交い絞めにしたまま、アレキサンドリアは合図を送る。彼女の目的はもう一つ。池田恒興の身動きを封じることだった。
「わかった」
アンナはマナを【リゲムチャ】に乗せ、演奏を開始。
悪夢を見せた憎き相手。兄の死ぬ様を何度も何度も何度も見せられ、アンナは怒り心頭だった。激情を上乗せし、アンナは【リゲムチャ】同士を叩き、ジャグリングを交えながらメラネシアの神々の力を顕現させる。
「〈ゴガの火杖〉!」
演奏を終えた瞬間。アンナの目の前から突如細く長い木の枝のようなものが出現。これこそがメラネシアで火の起源として知られている老婆神ゴガの杖だ。
「ごふっ……」
杖の先端が池田恒興の胸を突いた。そして、次の瞬間には杖が発火。激しい炎が池田恒興を包み込もうとする。
《▼ようやく攻撃が通りましたね》
巻き込まれまいとアレキサンドリアが池田恒興から離れ、再びアンナと肩を揃える。
「おおっ……悪夢だ。余が攻撃を受けるなど、燃え上がるなどありえないのですぞ!」
血泡を吹きながら、燃え滾る胸元を凝視する池田恒興。
「これが現実、思い知ったか!」
アンナはジャスコ武将にダメージを与え、胸がすくような思いだった。隣のアレキサンドリアも悪戯小僧のような笑みを浮かべ、
《▼ベッドとマットとカーテンを過信しすぎて、攻撃手段が乏しいのが仇になりましたね。武器がドリルだけとは、お粗末すぎます。いえーいいえーい》
さらには池田恒興を煽り始める始末である。
池田恒興は炎を消すべく、ベッドに飛び込み転がり始める。やがて炎が消えたものの、上半身は裸同然という武将でありながら情けない姿になってしまった。
そこへ、
「アンが受けた苦しみ、百倍にして返す。とどめ!」
アンナは眦を吊り上げたまま、さらに【リゲムチャ】を鳴らす。マナを使い、新たな奇跡をこの場に起こす。二の間を置かず、「家具・寝具売場」にずどんっと地鳴りのようなものが響いた。〈ゴガの火杖〉の次に登場したのは――
「〈マタビリの暴食〉!」
沼の悪霊――マタビリであった。
《▼これはこれは。アンナの音響術にはこんな召喚のような力もあったのですね》
マナと【リゲムチャ】を使った奇跡は、神々の力を借りるだけでなく、悪霊や怪物などを使役することも可能だったのだ。三メートルほどのカエルに似た巨大な悪霊は大きな口を開くとボールが弾むように跳躍し、
「ひっ……。く、来るなあっ!」
狼狽する池田恒興を――
丸呑みにした。
まさにアンナが見た悪夢の再現である。
咀嚼音も鳴らさず、ごくりと胃の中に池田恒興を収めたマタビリ。満足気に舌で口元を潤すと、粒子となって消滅した。もうどこにもジャスコ武将の邪悪な気は感じられない。
アンナとアレキサンドリアの悪夢のような時間は終わったのだ。
「……終わった。ジャスコ武将、斃せた……」
マナを消費し、その場にぺたんと座り込むアンナ。大量に汗を掻き、シャツはびっしょりと濡れてしまっている。
《▼なかなかエグい絵面でしたが、終わり良ければ総て良し、でしょうか。お疲れさまでした、アンナ》
アレキサンドリアがよしよしとアンナの頭を撫でた。まるで母親のように優しく。
「ちょ。馴れ合うつもりはない」
その手をさっと退けるアンナ。しかし、池田恒興の反撃を受け、その手は傷だらけで痛々しい。アンナは小さく、「でも、本当に助かった」とだけ呟いた。
「……ゆっくりしていられない。早く皆と合流しないと。熊さんも、無事かわからない」
《▼はい。恐らく、本機たちはジャスコ姫のジャスコ術によって、織田四天王と会敵するよう仕向けられていたと思います。他の退魔師たちも交戦中。あわよくば勝利し、本機たちと合流することを望んでいるでしょう。最悪の場合は、ジャスコ武将に敗れているでしょうが》
「……急ごう」
顔を合わせ、アンナとアレキサンドリアは頷く。休むことなく「家具・寝具売場」の床を蹴り、通路へと飛び出すのだった。
またも迷路のように入り組んだジャスコ城の二階を疾走するアンナたち。道中もジャスコの店員に扮した魔物が百鬼夜行となって襲い掛かってきたが、その悉くを二人は退け、他の退魔師たちとの合流を目指した。
やがて――
通路の奥から二人の人物が肩を並べて姿を現した。
明らかに異質で場違いな二人組だった。そこに立っていたのは、黒髪が美しい水着姿の少女と、パンツとマスクとブーツのみを着用した男だったのだ。二人組がアンナたちを見つめて「わあっ」と感嘆の息を吐く。
しかし、アンナは硬直し、【リゲムチャ】を構えると、
「敵!?」
と攻撃態勢に移行。
「待ってください! わたしですよ、アンナさん、ドリアさん!」
水着の少女があわあわと手を振り、敵ではないと主張。
だが、「だから、誰!?」と目を見開き、誰何を飛ばすアンナだ。
「落ち着け、アンナよ。信じられないかもしれないが、吾輩たちだ」
逞しい筋肉の持ち主がアンナを宥める。その紳士的な野太い声を聞き、アンナは「熊さん!」と目を輝かせて【リゲムチャ】の構えを解いた。
「そしてわたしは風魔ルゥナ……と名乗っていた風魔月紫です。今後ともよしなに!」
ベアタンクの隣の水着少女――ルゥナこと月紫がぺこりと頭を下げて挨拶。アンナはまたも驚愕した。
「え……ル、ルゥナ? 髪形も、服も、口調も、何もかも違う……。どういうこと……?」
「えと、簡単に言うと今までのギャル姿は見せかけで、『脱皮』したんです。今のわたしが、本当のルゥナなんです」
「脱皮? まさか、ルゥナは、カイアのような蛇の神様だった?」
衝撃の告白を聞き、アンナはまたも混乱する。実は今も夢の中にいるんじゃないかと疑いたくなるほどだ。
その最中――
「アハハ、ようやく正体を現しましたね、ルゥナサン!」
「よかった、四人とも無事だったか」
ひょこりと別の通路から道着姿の少女と、騎士が姿を現した。
「ハマさん、フィールさん! こちらこそ、二人が無事で安心しました!」
黒髪を揺らして月紫はハマとフィールとの再会を喜ぶ。そのはしゃぐ様を目にし、フィールは少し頬を染め得心する。
「……ハマ殿の言った通り、ルゥナ殿はギャルじゃなかったのか……」
「あう、ハマさんにはもうお見通しだったんですね……」
口を尖らせ、上目遣いを見せて照れ顔を浮かべる月紫。そんな彼女をフォローするかのように、
「では、ルゥナサンが秘密を明かしたところで朕も告白しますが、実は二千年以上前から生きているんですヨ!」
ハマもまた爆弾を投下するのだった。
「次から次に、どういうこと?」ともう目を回し始めるアンナだ。
さらにそこへ追い打ちのように――
「……皆、生きていたか……」
傷だらけの男が登場。二振りの刀を腰に据えた金髪の青年だ。その胸の十字架がきらりと輝くと、月紫はぱあっと花が咲いたような顔を見せ、
「十児様! ああっ、本当によかった……」
と目尻に涙をわずかに浮かべながら、その胸に飛び込んだ。
明智十児。明智光秀の子孫にしてノブナガハンターであり、「天地」のエージェント。そして、風魔月紫のパートナーである。相棒の突然のスキンシップに十児は目を瞬かせるが、やがて優しくその背中に手を回す。
「おま……ルゥナか? そうか……とうとう真の姿を見せたのか。まさか、お前をそこまで追い詰めるジャスコ武将と戦っていたとはな……」
「はい……滝川一益は、恐るべきジャスコ武将でした。まあ、焼き尽くして捻り潰してやりましたが……」
十児の体から離れ、胸に手を置き月紫は激闘を報告する。
「とにかく、これで七人は無事だと判明したか。あとは、松田だけだ。彼もジャスコ姫の力で、ジャスコ城のどこかを彷徨っているのだろうか?」
顎に手を添え、残りの一人である極道松田の身を案じるフィール。その言葉を耳にし、月紫たちとの再会に表情を和らげていた十児が一気に神妙になる。
フィールは訝しむように尋ねた。
「明智殿? 何か知っているのか?」
重苦しい空気がジャスコ城の中で漂い始める。十児は口を噤んだまま松田のことを何も話さなかったが、退魔師の何人かは彼の安否に察しがついたようだった。
「ハイハイ。皆サン、気になるコトは神仙の山々のようにあるようですネ!」
そんな状況の中でハマが手を叩き、耳目を集めると、
「では、情報交換をしましょう!」
そう提案するのだった。
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