第52話 脱皮

「ナイス、ベアっち。迫力満点のプロレス技が見られて、あたしも感激って感じ。ささ、さっさと止めを刺して、他の皆と合流しよ――」


 傷だらけの体を撫でながらルゥナが滝川一益に近付こうとした瞬間、


「クク……この拙者を……織田四天王の一人である滝川一益を……そう簡単に斃せると思ったか……」


 滝川一益がむくりと起き上がった。


「まだ動けたか!」


 ベアタンクが闘気を漲らせ、滝川一益に向けて引っ掻くように攻撃するが――

 直撃する瞬間、その手に「ぬめり」とした物が付着した。


「なんだ、これは……」


 それはベアタンクが初めて味わう不気味な感触だった。木々をも薙ぎ倒せそうなほど強靭な力の塊が、緑色をした不定形の物体に食われているのだ。見る見るうちにベアタンクの体がずぶずぶと、底なし沼に足を踏み入れたようにその物体に侵食されていく。


「……もしかして、スライム……?」


 ルゥナがあんぐりと口を開ける。

 滝川一益の体を守るように、軽自動車サイズはあろうかというスライムが出現していたのである。


「いかにも、これぞ我がジャスコ術〈スライム作ろう〉……我が魔力により作り上げられた巨大なスライム……抗う術は無いでござる……」


 スライムはファンタジー世界やゲームのモンスターとして知られているが、玩具としても有名だ。一九七〇年代にアメリカの玩具メーカーが発売したスライムは一〇〇〇万個以上も売れるヒットを記録し、その後日本にも上陸。テレビ番組での紹介から火が点き子供たちを中心にブームを巻き起こした。現在でもこのスライムを気軽に作ることができるキットが様々なメーカーから発売されており――

 滝川一益の力となってしまったのだ。


「どれだけ鍛え上げられた肉体の持ち主であろうと、これだけの巨大なスライム相手では大海原を相手にしているようなもの。さあ、大人しく喰われるでござる」


 薄ら笑いを浮かべる滝川一益の前で、ベアタンクの体の八割がスライムに飲み込まれていく。ベアタンクは懸命にもがいているようだが、暴れれば暴れるほどかえってスライムの魔の手に絡め取られてしまう。


「ベアっち!」


 ルゥナの悲愴な声がこだました。熊の毛皮を捨てたレスラーの小麦色の肌は全て飲み込まれ、スライムと一体化してしまったのだ。その先に待つのは、窒息死。戦慄の光景を目の当たりにし、ルゥナの肝が冷え切った。


「く……ベアっちを……離して!」


 体に芯を入れ、スライムに捕まったベアタンクを救うべく立ち上がろうとしたが、その足が緑色の粘着物質に覆われる。


「うえっ……ぬめっとしたのはナメクジみたいで……マジ勘弁なんだけど!」


 スライムが徐々に膝からスカートへ向けて侵食開始。まさにヘドロの中へ足を踏み入れたような気持ち悪さにルゥナは顔面蒼白。


「風魔の女子よ。そなたもよく足掻いたが、もはやここまで。その恐怖が、負の想念が我らの力となるのでござる。信長様をより強力な存在とさせるためにも、魂を大人しく渡すでござる」


 ここでルゥナが絶望すれば、命を絶てば、それが魔王の血肉と化す。この世界はより闇が深まり、魔界との繋がりが生まれる。まさに絶望の未来。人間の歴史は西暦二〇〇〇年を迎えることができなくなってしまうだろう。


「……滝川一益……あんたが玩具を使うジャスコ武将ってのは想像していたけど、ここまでの力の持ち主とは完全に想定外だった」


 腹から胸にかけスライムに飲み込まれるルゥナ。全身の力が奪われ、その顔から表情が削ぎ落される。ルゥナらしくない諦念に満ちた顔だった。


〝――ああ、皮肉なものだなー。これじゃあ、蛇に丸呑みにされているみたいじゃん〟


 うっすらと笑みを浮かべる。最後の抵抗のように。最後まで、「ギャル」でいたかったと訴えるように。


「これまでだ。潔く死ぬでござる、風魔の女子よ」


 滝川一益に迫られ、ルゥナは――をした。


「ふふ……あたしは……わたしは……嫌です!」


 首までスライムの魔手が迫った瞬間。ルゥナは風前の灯火のように力強く、顔面に気迫を集中。そして、舌に言葉を乗せる。


「ナウボウアラタンナウ・タラヤヤ・ノウマクシセンダ・マカバサラクロダヤ・トロトロ・チヒッタチヒッタ・マンダマンダ・カナカナ・アミリテイ・ウン・ハッタ・ソワカ」


 力ある言葉。神の領域にアクセスする呪文。強固な檻から怪物を解き放つ、鍵のような言葉を口にする。


「これは……真言……? だが、何の意味があるでござる?」


 ルゥナの謎の行動に怪訝な顔をする滝川一益。

 その直後だった。スライムに飲み込まれかけていたルゥナの体からべろりという生々しい音と共に――

 女が現れたのだった。


「な……!? 何が起きたでござる?」


 目を点のようにして驚愕するジャスコ武将。

 その血走った瞳には、一糸纏わぬ女性の姿が映りこんでいた。

 黒く長い、夜空のように美しい髪を梳かし、峻厳なアルプスの雪も嫉妬を覚えるほどの純白な肌の持ち主。薔薇の花を思わせるような麗しい肉体には、果実のように瑞々しい乳房が並んでいる。

 見る者全てを魅了しそうなほどの芙蓉のかんばせがうっすらと妖しく笑みを浮かべた。


「……今まで戦っていた……女子は……」


 滝川一益が目を剥き、スライムに侵食されていたはずのルゥナに目を遣る。そこには女子の体が確かにある。ただし――中身は空洞。ルゥナだったものは……しか残っていなかった。


「もうこれしか生き残る道はないから脱皮したのです」


 女は慈愛に満ちた声音で滝川一益に語りかける。それと同時に、ずんっと体中から名状し難い気迫――霊力を陽炎のように纏った。黒髪がイソギンチャクの触手のように妖しく蠢き始める。


「脱皮……だと。そなた、まさか……」


 女は艶めかしい唇を動かし、悪戯っぽく微笑んだ。


「わたしをここまで追い込んだんです。お礼はたっぷり、差し上げます!」


 女の美貌が大きく歪む。瞳孔が針のように長細くなり、口が裂け、舌が伸び、顎が大きく割れる。美しい乳房が消え、胴が伸び、華奢な足は一つとなった。


「馬鹿な……これは……人間ではない……っ!」


 滝川一益が天井を仰ぐ。その体が細長く巨大な影に包まれる。圧倒的な質量を持った〝それ〟は体を大きく蠕動させ、滝川一益を威嚇した。

 まさに妖怪変化。

 数十秒までギャルだった女は――巨大なへと変身したのだ。

 蛇が牙を剥き、ちろちろと舌を伸ばすと澄んだ声を響かせる。


「風魔月紫つくし……推して参ります!」


 刹那、大蛇――月紫が咆哮。突風のような衝撃波が迸り、部屋に沼のように広がっていたスライムを弾き飛ばす。カラフルな壁にべちゃりと付着するスライム。その中からベアタンクが吐き出されるように現れた。スライムが剥ぎ取られ、血の気が薄れているものの本人は無事のようだ。その姿を確認してから月紫は力強く滝川一益を睨んだ。身を竦ませ、ぶるぶると極寒の地に放り込まれたかのように体を震わせる甲賀の忍者。


「な……なんだ……この強さは……まさか、この拙者が……恐怖している……?」


 体中から冷や汗を大量に流し、声にも力が入っていない。まさに、蛇に睨まれた蛙のような状態だ。


「だが、拙者は戦神。物の怪相手だろうと、負けはしないでござる……!」


 滝川一益が手に光を宿す。新たなジャスコ術を使うという証だ。閃光が弾け、次の瞬間滝川一益の手には厚紙のようなものが挟まれていた。モンスターのような生物が描き込まれた厚紙。その正体は――


「〈TCG手裏剣〉!」


 子供から大人まで大人気のTCG――カードを滝川一益は手裏剣のように次から次へと月紫に向けて放ち続けたのだ。投げても投げても次から次にカードを生み出し、滝川一益は攻撃を続ける。それはまさに桜吹雪のように鮮やかな技であった。

 だが――


「悲しいですね。わたしを追い込んだジャスコ武将が、【プリクラ手裏剣】の真似事をするなど……」


 月紫は口をがばりと開け、口腔に霊力を集中させる。赤い太陽のような火球が雪玉のごとく生まれ、雪山を転がるように膨らみ続け――


「〈沙羅曼蛇さらまんだ〉……」


 月紫は滝川一益に向けて火球を吐き出した。球は細長く伸びると滝川一益の右腕を焼き切り、部屋を焦がしていく。まさに、怪獣王ゴジラの放射能火炎のような破壊力。月紫は尻尾を鞭のようにしならせると、ジャスコ武将に向けて猛襲を仕掛けるのだった。

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