第42話 ジャスコ姫
女は十児たちを蠱惑的な眼差しで見つめていた。
膝まで伸びた美しい黒髪が特徴的な女性だった。睫に縁どられた双眸は黒曜石のような輝きを宿し、凛とした顔はあらゆる男の理性を意のままにするほどの麗しさ。艶やかなぷっくりとした唇は花弁、細い首筋は華の茎を連想させる。
まさに美の化身だ。しかし、玉藻前のような、妖狐が化けているのではないかと考えたほうが自然かもしれない。この何もかもが異質なジャスコ城の中に、女が立っていたのだから。
まだ遭遇していなかった退魔師の誰か――というわけではない。退魔師ではないという何よりの証拠として、この女が身に付けているのは白いシャツに黒のベスト。
つまりは、ジャスコの制服を着ていたのだ。
〝――この女は、敵! 信長に連なる魔人!〟
敵意をめらめらと燃やし、女を観察する十児。その額に脂汗が浮かび上がる。
「ねえ、十児。この綺麗なお姉さんは、どこのどなたって感じ?」
「こんなベッピンがおるなんて、聞いてなかったで」
ジャスコ武将ではないイレギュラーの登場に誰もが戸惑っていると、
「いらっしゃいませ」
女は深々と頭を下げ、にこりと笑った。十児は【近景】と【貞宗】を構えながら、鋭い誰何を浴びせた。
「誰だ。信長の仲間のようだが、女がいるなど聞いたことはない」
「あら。光秀の子孫なら、私のことは知っていると思っていたのだけれど、心外ね」
くすくすと妖艶に笑う女。
「そう、知らなくて当然かもしれない。私は歴史の影の存在と言っても過言ではないもの。その影から信長様を、ずっと支えてきたのだけれど」
「信長を支える……?」
ざわっと予感が夜の帳のように胸の中に下り始める。
「私は名無しも同然。だって、『ここ』の人たちには、発音できない名前だから」
花の上で舞う妖精のように嫣然と身を動かす女。扇情的な仕草に惑わされるなと自分に喝を入れながら、十児は女を見つめ続ける。
「けれど――」
少し間を置いてから、女は告げた。
「帰蝶とも、胡蝶とも、鷺山殿とも呼ばれたことがあるわよ。中でも、最も有名な呼び名はこれかしら」
女は核心的な名をぷっくりとした唇に乗せる。
「美濃の姫――濃姫」
「な……!」
十児は愕然とする。
濃姫とは、斉藤道三の娘にして織田信長の正室のことだ。しかし、信長と結ばれた女にも関わらず、歴史的な資料がほとんど残っておらず、詳細不明の人物でもある。
「アハハ。イレギュラーかと思いきや、とんだビッグネームの方が出迎えてくれましたネ」
「うむ。濃姫といえば、織田信長の正妻と言われているが、その生涯には謎が多いと聞く」
女の正体に衝撃を受けながらも、警戒を続ける一同。しかし、十児は動揺を隠せなかった。濃姫もまた、細川忠興同様明智家とは無縁とは言えない存在だったからだ。
「十児。濃姫って、明智光秀と従兄妹って説もあったよね? あれマジなの?」
ルゥナがそう尋ねたように、濃姫の母親は明智家の娘――小見の方であるという説が有力だったからだ。
「……そう言われているが、俺は家から何も聞かされていない。故に、歴史のどこかで光秀公と信長の因縁を強固にしようと、脚色されたのだろうと俺は考えていたんだが……」
真相は十児すら知らないのだ。
【近景】の刀身が鳥の尾のように震える。
「そして、濃姫が今までの魔城にいたという報告も聞かされていなかった。戦う力がないからと思っていたが……」
十児の言葉を聞き、濃姫はまたくすくすと笑う。
「あら、女の私が魔城にいるのがそんなにおかしい? だって、ジャスコは主婦の味方じゃない」
「……あっうん。そだねー……」
ルゥナが頬を搔き、濃姫の言葉に得心する。
「そして、今の私は濃姫でもなく、こう名乗らせてもらうわ……」
客をもてなすように爽やかに笑いながら、女は告げた。
「『ジャスコ姫』と」
ジャスコ姫。それが今この時代に存在している彼女の名。
一同は雷が駆け抜けるような衝撃を受けた。
「……またふざけた真似を……」
フィールが【オズサーベル】を中段に構え、ジャスコ姫を睨みつける。
「女性に手を出したくはないが、その隠しきれていない魔性は獣のよう。ジャスコ武将と変わらぬ力の持ち主なのは、確かだ」
「ワシもここまで悪そうな顔をする女は見たことないわ。魔王の嫁はんっちゅーなら、それもそうなんやろうな。けどなァ、いくらワシでも女に暴力振るう気にはなれんわ」
「……敵、ならば、アンたちが斃す!」
《▼本機に迎撃の覚悟あり。男性陣が躊躇するなら、本機たちがボコりますよ》
「渋谷一のギャルと相手してくれるんなら、あたしも超光栄だよ。グラマーなお姫サマ!」
「朕も大変気になりますヨ。明智家でも語られなかったという、歴史的人物との邂逅。間違いなく、ジャスコ武将のようにジャスコ術を使えるんでしょうネ。さ、手合せ願いますヨ」
男性陣よりも、女性陣のほうが身を乗り出し、戦意を爆発させた。
「うし、ドリアっちの活躍を見たあとだし、あたしだって暴れたい!」
先陣を切ったのはルゥナだった。勢いよく駆け抜けると、スカートを翻しながら宙に飛び上がり、右脚を槍のように突き出す。
「〈究極封魔キック〉!」
ルゥナの右脚のルーズソックスが霊力を纏い、淡く輝いた。その渾身の蹴りが、ジャスコ姫の胸を穿つ!
かに見えた瞬間――
「ふふ、乱暴な子。でも、嫌いじゃないわ」
ゆらりとジャスコ姫が振り子のように体を揺らしてルゥナの飛び蹴りを回避。空振りに終わり、床に着地し、体勢を整えている彼女へ向け、
「〈サービスカウンター〉!」
頭突きをお見舞いした。
「がっ……」
除夜の鐘が突かれたような鈍い音が響き、渋谷最強のギャルは呻いた。怯んだルゥナの体をジャスコ姫はがっしと掴む。そして、獲物を前にした猛獣のように舌舐めずりで唇を潤わせる。
「ふうん、可愛い子。だけど、あなたも私と同類。化粧が上手なのね」
「あんた……あたしのこと……」
ぎりぎりと女とは思えないほどの力で締め付けられ、目を剥くルゥナ。
そこへ、一発の銃声が響いた。
「ルゥナを放せ! 濃姫」
十児が手にしていた【金橘】から放たれた弾丸が、的確にジャスコ姫の手の甲に命中。しかし、弾丸が手を貫いたわけでもなく、甲に当たると弾丸のほうがぐしゃりと歪んでしまったようだった。
「……ジャスコ姫と呼びなさい、ボウヤ」
目を剥きながら、ルゥナを地面へと叩き付けるジャスコ姫。恐るべき膂力により、ジャスコ城の床が割れるが、ルゥナは受け身を取ると、彼我の距離を確保すべくバックステップ。
「……こいつ……超強いじゃん……」
どんな時でも余裕の表情を浮かべていたルゥナだったが、無様な姿を晒してしまい、その目は真剣だ。
「あなたたちと遊びたいのもやまやまなのだけれど、それは私の役目じゃないの」
ジャスコ姫がそう言うと、もくもくと周囲に煙が立ち込める。どこにも火の気がないというのに、不可思議な現象。つまりは、これもジャスコ姫の魔力が齎した奇跡――〈ジャスコ術〉の一端。
分厚い白い煙が壁のように十児に迫った。まるでホワイトアウトだ。完全に前後不覚となり、ジャスコ姫はおろか味方の位置すらわからなくなってしまった。
「なンや? 目くらましか?」
「この程度の煙など、僕の剣圧で……! 〈六枚翼竜の竜巻〉!」
声だけは聞こえる。フィールがエーテルを纏った剣技で煙を吹き飛ばそうと試みたようだが、少し風が吹いただけで煙は健在だ。
「ふふふ……無駄よ。これは私のジャスコ術〈防災訓練〉……。ジャスコの防災訓練は本格的。本物の煙を体験できる施設を用意して訓練するのよ。このジャスコ術が、それを再現。さらに私の魔力が加われば、ご覧の有様ね……。うふふ、私がどこにいるかもわからないでしょう」
「やはりジャスコ術か……!」
信長の正室。そしてジャスコ姫と名乗る以上、ジャスコ術の使い手であるとは覚悟した十児だったが、その系統は読めなかった。
「くっ……闘気すら感じられない……。これでは吾輩も手を出せない」
《▼本機の攻撃では、皆さんを巻き込む可能性大。おのれ、ジャスコ姫。卑怯、狡猾、魔女、おばさん!》
アレキサンドリアが罵倒するが、ジャスコ姫はそれらを無視し、
「あなたたち細川忠興も斃したようね。それじゃあ、ご褒美にあなたたちを地獄へ案内してあげるわ。これはさしずめ、『ジャスコトラベルモール』のジャスコ術〈日帰りで逝ける。戦国武将を学ぶツアー〉ってところね」
「何だ、その、ふざけた名前は……!」
「うふふ……すぐにわかるわ。それでは、ごきげんよう……退魔師の皆さん……」
ジャスコ姫が高らかに笑い続けていたが、次第に声が小さくなっていく。
どうやら、彼女は戦線から離脱したようだ。
「ルゥナ! 皆、近くにいるのか!?」
憔悴に胸を焦がされながら、十児は叫んだ。
「……十児……! あたしは……!」
ルゥナの声が聞こえる。ただし、遠くから。それも、小さな声。
「まさか……俺たちは……分散されているのか……」
これもまたジャスコ姫のジャスコ術〈日帰りで逝ける。戦国武将を学ぶツアー〉とやらの力なのだろう。十児は顔を引き攣らせた。
ジャスコ姫は、複数の店のジャスコ術を使うことができる。それどころか、「防災訓練」といったジャスコの取り組みも扱うことができるようだ。その力は完全に想定外だった。まるで北欧神話のロキのようなトリックスター。集まった退魔師で団結し、残りのジャスコ武将を撃破するという十児の目論見はあっけなくご破算となってしまったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます