第38話 炎纏う龍
明智家に生まれ落ちた時から、十児は織田信長とその配下の武将についての知識を父十聖や祖父十護から叩き込まれていた。それはまさに普通の子が桃太郎や金太郎といった童謡を就寝間際に聞かされるがごとく。
その数ある武将の中でも、特に怒りと憎しみを込め語られた武将がいた。
それが細川忠興。
なぜそうも明智家から恨みを持つようになったのか。それは単に信長の配下だったという理由だけではなく、明智光秀と煕子の娘である玉子――ガラシャの夫だったからだ。
光秀は信長との決戦――〈本能寺の変〉において細川忠興に協力を仰いでいた。しかし、細川忠興はその誘いを拒否。それどころかガラシャを幽閉し、信長の味方となり、その残忍さに磨きをかけたのである。
〝――つまりは、聖戦士の仲間だったのに闇落ちした……スター・ウォーズみたいな話って感じ?〟
いつかルゥナに彼のことを話したとき、そんな風に返されたのを十児はしっかりと覚えている。
信長の配下にして、明智家の裏切り者――細川忠興。
そして現在は、ジャスコ武将「鮮魚コーナー」責任者細川忠興。
その男が今、時空を超えて目の前に立っている。
有名人と出会い、握手やサインをねだるように、十児は刀で会釈をかわす。
因縁の一つを終わらせるために、漲る霊力を燃やし続ける。
「……十児。大丈夫?」
鮮烈な光景を目にしてしまい、吐き気を堪えているアンナが呟く。加勢したいようだが、【リゲムチャ】を掴む手は恐怖と寒気で震えているようだった。
「大丈夫ですヨ。十児サンには、何か策があるようですから……」
アンナの肩に優しく手を置き、その恐怖を解そうとするハマ。
「さあ、行くぜ……明智……十児……!」
細川忠興の体から魔力が迸る。不気味で禍々しい負のオーラは色を変え、形を変え、空気に溶け込み始める。すると、次第にラウンジの気温が低下していき――
「はっくしょい!」
ルゥナが豪快にくしゃみをした。
そう、まるで北国に放り込まれたかのように周囲から熱が奪われていくのだ。
その力を解放させた細川忠興がくっくと笑みを浮かべる。
「くく……寒いだろう、凍えるだろう……」
まさに冷酷さを具現化させたような術。これもまた細川忠興が「鮮魚コーナー」担当となり得たジャスコ的奇跡。
「これが俺のジャスコ術――〈冷凍保存〉だ……」
ジャスコの魚は鮮度が命。釣り上げられた魚は急速に冷凍され、食卓まで届くよう心掛けられている。その取り組みがジャスコ術としてこの細川忠興に備わった。細川忠興は極寒の世界を操るアイスマンとして生まれ変わったのだ。
〈冷凍保存〉された獲物を待つのは、〈解体ショー〉。終わらない悪夢のような連撃に加え、細川忠興自身も戦闘能力は高いだろう。有体に言って一筋縄ではいかない相手。今までの佐々成政や森兄弟が可愛く見えるほどの強敵に違いない。
「さあ……凍れ凍れ……明智……十児ッ!」
冷気が迸り、十児の足下から氷柱が生じ始める。
細川忠興の表情に愉悦が満ちていた。
「お前の肉はどんな切れ味だ? その血はどんな味だ? 早く俺に確かめさせろっ!」
「…………」
十児の顔が仮面のように固まり始める。
「さあ、その心臓ごと凍り付けい!」
哀れな獲物に向けて冷たい瞳を向けた、その刹那。
細川忠興の鼻が削げた。
「が……っ……?」
さっきまで体の一部だった鼻が鮮血と共に宙を舞い、凍り付いた床の上にべちゃりと音を立てて落下する。
余裕の表情はどこへやら。細川忠興の顔が一瞬にして凍り付いた。
趨勢が反転した原因は言うまでもない。
「どうした。俺を凍らせるんじゃなかったのか?」
十児はこの凍える世界の中で何食わぬ顔で動き、【近景】の切っ先で鼻を斬り飛ばしたのだ。
「馬鹿な……俺の〈冷凍保存〉が効いていない……?」
「お前が相手を凍らせる術の使い手だというのは、あのネメシスを見る前から、いや、お前が『鮮魚コーナー』担当だということから想像していた」
鼻を削ぎ落した【近景】の切っ先には熱が篭っており、その刀身を輝かせていた。まさに、燃え盛る炎のように、霊力が纏われていたのである。
「霊力は自然の力を操る力でもある……俺はその中から火の気を纏い、お前の極寒の世界に耐えたんだ」
「俺の術を読み……すでに対策していただと……?」
「なるほど、それが十児サンの策でしたか」
ラウンジの端で鼻水を垂らしながらハマが得心の声を漏らした。
「ジャスコ術は確かに脅威だが、ジャスコである以上攻撃は予想できる! さあ、反撃させてもらうぞ!」
十児がめらめらと闘志を燃やし、それは霊力を得て具現化された。【近景】と【貞宗】に炎が宿り、ラウンジに春が来たかのような暖かさを到来させる。やがてそれは燦々と輝く太陽のような熱気と化した。
「十児……貴様!」
ジャスコ術を封じられ、細川忠興は戦術を変更。凶刃を縦横無尽に振り続け、そのまま十児を切り刻もうという算段だ。
「それを万策尽きたと言うんだ、細川忠興。我が太刀を見よ!」
炎の霊力を爆発させ、十児は【近景】と【貞宗】を煌めかせる。刀身から鞭のようにしなって迸る炎。それは意思を持ち咆哮する龍のような形となった。
「〈明智流滅却術・
それは炎の霊力を龍の形と変え、敵に直撃させる十児のオリジナル剣技。本能と研鑽から生み出された炎の龍の熱気が細川忠興の割烹着を焦がし、その身を炎上させる。さらに十児は疾駆し、渾身の力を込めて十字の斬撃を放った。
「がはっ……」
鋭い剣閃が細川忠興の四肢を切断。それは皮肉にも、数分前のネメシスと同じ状況であった。
「ルゥナ、お前の霊力も貸せ!」
「ほいほい、誘われたからには、あたしもガチで行くよ!」
仕上げとばかりに十児は相棒の名を呼ぶ。ルゥナはスクールバッグから忍び道具を取り出し、炎上している細川忠興に向けて放った。
忍び道具が点火。それはぼんっと音を放ち続けながら、細川忠興を爆風と衝撃で蹂躙していく。
「ぐっ……これは、爆弾かッ!」
ルゥナの攻撃を受け続け、細川忠興が呻く。
「うん、まあ、ソニプラで買った何の変哲もない鼠花火だけどね。だけどあたしがこうして踊れば、その力は増大!」
ルゥナは手や腕を振り、下半身はツーステップを繰り返すダンスを開始。手を閉じたり開いたりする所作に合わせ、その爆発の威力が増大していく。
「【パラパラ花火】ってね」
「ぐうっ……熱い、熱い熱い熱い……こんな、こんなことがあってたまるか……!」
瘴気を口から吐き出す細川忠興の絶叫が鼓膜を激しく掻き毟った。
「これで、終わりだ。成敗ッ!」
新鮮な魚のように上半身をばたばたと動かし、悶える因縁の相手を介錯するように――
十児は【近景】でその首を弾き飛ばした。
残虐な力を持ったジャスコ武将細川忠興。その体が灰とも塵とも呼べる物となり、空気に溶けるように消失。因果応報という四字熟語が浮かぶように、その末路は余りにも残酷極まりないものであった。
一仕事終えて体を大きく伸ばしたルゥナ。しかし、一瞬でぶるっとその身を震わせてしまう。
「ふう、それにしても〈冷凍保存〉とやらで、湯冷めしちゃったって感じ。ねえ、十児。もう一回お風呂に入ってもいい?」
「駄目だ」
父から祖父から先祖から。聞かされていた敵を自ら討ち取り、感慨に耽ろうとしたが能天気な相棒の声が邪魔をした。なので十児はほんの少し苛立ちを込めて、ルゥナの髪の上にグローブを置き、くしゃりと掴むのだった。
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