第35話 裸の語らい

 波打つ湯船に身を沈めて、少女はお約束的な台詞を吐いた。


「ふ~極楽極楽。地獄で仏、ジャスコ城でお風呂。これは同じ意味って感じだね~」


 ルゥナは辺りを見回す。

 ほかほかの湯気で溢れるタイル張りの壁や床はまさに銭湯の中と変わらない。

 ここはスポーツクラブのアメニティの一つである風呂である。スポーツクラブで汗を流した利用者をリフレッシュさせるための設備だ。ルゥナはスポーツクラブの壁に貼られていたポスターから、風呂があることを知ると、「信長を討つため……体力を万全にするためにも、休息は必要っしょ」と十児に力説し、渋々許可を得たのだ。


「あいや、まさかこんな店の中にお風呂があるとは思っていませんでしたヨ」

「ジャスコ、恐るべし」


 ルゥナと肩を並べて入浴しているのは、ハマとアンナだ。彼女たちも体をリラックスさせるために、一糸纏わぬ姿となって癒しの湯に身を委ねている。ここが敵地ジャスコの中だというのを忘れているかのようにその表情は蕩けていた。


「やっぱ、ボールよりお湯の方が落ち着くね~。う~ん骨身に沁みる心地!」


 湯船から腕を伸ばし、手で撫でるとその白い肌の光沢がよりつやつやになる。

 その気持ちよさに思わず目に涙を浮かべるルゥナであった。


「アハハ、なんだかお婆さんが言っているみたいですヨ、ルゥナさん」


 辮髪を頭の上でターバンのように巻いて入浴しているハマに悪態を吐かれ、ルゥナは潤った唇をへの字に曲げる。


「む、あたしをバーさん扱いしたな。チョベリ婆って感じ。ハマっちの体をタオルの鞭で洗う刑にしてやるから、今すぐ湯船から出なさい!」

「あいや~」


 怒ったルゥナがハマの体を捕まえ、湯船から引き摺り出すと洗い場へ連行しようとした。


「にしてもハマっち。女だとはわかっていたけど、本当にムキムキだねー。胸もちっさいし」


 普段は道着を身に付けているので気付けないが、ハマの体にはびっしりと筋肉の繊維が重なり合っていたのだ。まさにカンフー映画の主演のような筋肉美。これほどの肉体を手に入れるために、彼女はどれだけの修練――功夫を積み上げたのか。険しい道のりだったに違いない。


「目には目を、悪口には悪口ですか?」

「いんや褒めてるんですけどー」


 無邪気に笑うと、ルゥナは石鹸を染み込ませたタオルでハマの体をごしごしと洗い始めた。体を洗えばその筋肉に磨きがかかる。思わず溜め息が出るほどだ。


「おや、鞭にするんじゃなかったんですか?」

「ギャルは夏の夕方の天気のように気まぐれなのだ~」


 と口には出しつつも、ルゥナはハマの力を探ろうとしていた。

 あっさりと仲間になってくれたハマだが、その心の底は海溝のように未知で満ちている。

 ジャスコ武将の一人である森長氏を圧倒したことからも、その実力は確かなのだが。


「朕の体の秘密、知りたいですか?」


 心を読んだかのように、ハマが答えた。


「これもまた功夫の賜物。氣の祝福ですヨ」

「氣……そっか、ハマっちの仙術の源のことね」


 ハマが臍の下に手をあて、瞑目しながら答えた。


「ハイ。丹田に力を込め、氣を血液のように体内で循環させる。そうするコトでこの物質界……大自然と溶け合い、その力を高めるコトができるのですヨ。氣を極めれば、空を飛んだり、体を霞にしたり、まさに仙人のような力を得ることができますネ」

「ふうん。ま、あたしには霊力があるから、嫉妬しないけどさ」

「皆、様々な力を使っている。けど、それはどれも似ている。アンのマナも同じ」


 湯船の中からルゥナとハマを眺めながらアンナがぽつりと呟いた。


「そうだねー。霊力って言っても、大自然の中にある超自然的な力……つまりは、木火土金水の力を引き出す力だから、氣とはほとんど同じだろうね。そして、アンナっちのマナも……」


 湯船の中に浮かぶ自分の顔を眺めながら、アンナは頷く。


「そう。アンはマナを使って、自然の神の力を借りているから」


 泡の付いた人差し指を立てながら、ルゥナはジャスコ城に集った残りの勇士を思い浮かべる。


「フィールっちはエーテルってのを使うし、ベアっちは闘気を使う。松田っちのは何だろ。あの武器に神気が宿ってるって感じかな」

「そしてどれも魔を祓う力があります。大本は同じ力なんでしょうネ」


 泡だらけな泡ダルマとなったハマが声を弾ませた直後、彼女に向けてルゥナが洗面器いっぱいのお湯をぶちまけた。


「はい、ピッカピカのハマっち新生!」

「謝謝。ルゥナサン。では次は朕の番ですネ!」


 手を合わせて律儀にお辞儀するハマ。次の瞬間には彼女の手にタオルと石鹸が握られ、ルゥナを瞬く間に洗い始めた。


「う、うん! 気持ちいいー! そこそこ、肩甲骨を挟んで左側!」


 マッサージを受けているかのようで、ハマの奉仕にうっとり笑顔を作るルゥナ。やがてルゥナもその白い肌に磨きがかかり、生まれ変わったかのような姿を晒した。その無垢な姿はまるで、羽のない天使である。


「ふー、なんだか脱皮した気分。サンキュ、ハマっち!」


 二人は再び風呂の中に入り、極楽の時間を満喫する。


「さて、せっかくなので朕たち、もっと親睦を深めてみませんか?」

「なになに、ガールズトークでもやろうっての?」


 るんるんっとハマに向かって体を寄せ、ルゥナはにやけ顔。


「ええ、絆を深めたほうが、後の戦いでより助け合いができるようになるでしょう?」

「アンも興味ある。この奇妙な魔城の中で、ルゥナは底抜けに明るいから」

「それもそうだねー。んじゃ、何話す?」

「では、ギャル忍者なルゥナサンはなぜ『天地』に? それだけの実力があれば、もっと裏の仕事もできたでしょうに」


 ハマの言う裏の仕事とは、要人暗殺や機密情報の奪取などのことだろう。まさに、本来の忍びの仕事だとも言える。


「うーん、あたしね。小さかったころに明智家に助けられたことがあったんだよねー。そこから恩を感じて、明智家の助けになろうとしたってわけ。それで、明智家も近代じゃみんな『天地』入りしているから、あたしも追うようにってね。風魔の技術も活かせるし、めちゃイケなあたしを見せることができるからオールオッケーって感じ」


 瞳に懐旧の色を乗せて、ルゥナは「天地」入りの経緯を話した。ほんの少しギャルのメイクが落ち、ただの少女としての顔を見せながら。


「十児と会ったのはそれからすぐだねー。最初は今以上にムッツリしていて、機械のような男だった。けど、あたしが色々教えて、ちょっとは丸くなったんだけどね」


 風呂の縁に両手を預け、ばしゃばしゃと足を動かしながらルゥナは語り続けた。


「なるほどなるほど。二人の絆がなんとなく伝わった気がしますネ」

「十児は……明智家はあたしが絶対に支えるんだ。これから、何があっても……」


 いつになく深刻な顔をするルゥナ。しかし、それも束の間、


「だって、信長を野放しにしたら、渋谷で遊べなくなっちゃうしねー」


 再びギャルの顔を取り戻し、けらけらと笑うのだった。


「それじゃ、次はあたしが聞くターン。ハマっちとアンナっち、今までどんな修行していたとか、聞かせてよ」

「わかった。ルゥナと話していると、面白い。アンとドンナの絆の話、嫉妬させるほどしてみせる」

「朕の修行の話はそんなに面白くないですヨ。丸一週間、お堂の中で飲まず食わず瞑想したとか、幻覚を見続けたとか……」


 ジャスコの中での束の間の休息だった。

 ジャスコ武将との激闘を潜り抜けた少女たちは、未来を切り開くために絆を深めていく。

 この先どんな苦難が待っていようとも、闘い抜けると誓い合うように――




 少女たちが風呂で親睦を深めていたころ、残った男性陣も会話の花を咲かせていた。


「……というわけだ。明智光秀公、真名十兵衛の子孫である、明智十門じゅうもんが最初に復活した魔王信長を斃した。これが西暦一六七九年のころだ。このときも、数名の武将が信長と共に蘇り、配下となっていたらしい」

「ほう……」


 十児が語っていたのは魔王信長と明智家との因縁の歴史だった。フィールは汗を流しながら、真剣に耳を傾けている。


「次に魔王信長が蘇ったのはさらに約百年後、明智十郎太じゅうろうたの代だ。信長は各地から女子を攫い、魔力を補おうとしていたらしいが、十郎太がその野望を喰い止めた。攫った女子の中には十郎太の婚約者もいたようだ」

「なるほど……」

「そして、さらに約百年後、俺の曽祖父である明智十遠じゅうおんの代に信長は三度目の復活を果たした。西暦一八九四年のことだ。明治時代に突入し、日清戦争中のころだな。信長は世紀の変わり目に人々の不安や恐れといった負の想念を糧として復活するが、この戦争が引き金になった可能性もある」

「……ふむ」


 フィールはゆっくりと相槌を打った。その動作に応じて玉のような汗が弾ける。

 話している十児も、鍛え上げられた肉体には汗が貼り付いていた。

 汗の原因は、決して信長との因縁を語っているからでも、恐怖からでもない。


 ここはスポーツクラブのアメニティの一つであるサウナ。少女たちが風呂を利用したように、十児たちもサウナによって汗を流し、これからの戦いに向けて気分転換していたのだ。


「ちなみにだが、明智家の男は代々『十』の名を継ぐ。もちろんその意味は悪魔祓いの十字架クロスだ。そして、悪魔と敵対したときには必ず名乗る。そうすることで、相手の頭の中に十の字――十字架を浮かべさせることができる。それだけで、少しは魔の力を弱める効果があるからな。まあ、陰陽師がよく使う低級の呪術……一種の言霊だな。俺の祖父の名は十護じゅうごだったし、父の名は十聖じゅうせいだ」


 十児が語り終えた時、壮大な溜め息が対面から吐き出された。


「おおきに、十児。ジブンらの家のことも、信長がしつこい野郎ってのもようわかったで」


 龍が玉を掴んだ刺青を全身に施した裸体を晒しながら、松田が口端を歪める。

 十児、フィール、松田。裸となった三人はまさに水入らずな会話を続け、自ら体を苛め抜いていたのだ。


「ふう、あの熊男も入ったらええのになァ」

「見張り役を志願していたけど、素顔を見せないためだろうか。彼らしいとも思えるが」

「……ふっ」


 玉のような汗を流しながら、十児は笑みを浮かべた。


「どうしたんだい、明智殿」

「いや、俺の代になってから、信長討伐の任務も大きく変わったと思ってな」

「どういう意味や?」

「俺の先祖は皆、一人で魔城に挑み、全ての敵を討ち滅ぼし、信長をも斃したという。しかし、今回は魔城がジャスコになり、そして集う者たちも生まれた」


 フィールと松田の顔を交互に眺めたあと、十児は呟く。


「騎士に極道に、島国の少女に仙術使い……そして、レスラー。個性的な者たちだ」

「僕からすれば、ギャル忍者がいるのも相当だけどね」


 フィールにくすりと笑われ、十児は「そうだな」と頷いた。


「俺はルゥナと共に全ての敵を討ち滅ぼすつもりだったが、皆がいなければどうなっていたかわからないな。敵のタネはわかってきたが、その実力が恐ろしいのは変わりがないのだから」


 もし、当初の予定通り二人だけでジャスコ城に挑んでいた場合、数多くのジャスコ武将との連戦になっていたことだろう。いくら特訓を繰り返してきた十児でも、ジャスコ術に翻弄され、消耗戦を強いられることになった可能性は十分に高い。


「政府の人間ではなく、明智家でもなく、一人の男として頼みたい。俺に力を貸してくれ」

「もちろんだ。必ず生き抜き、信長の下へと辿り着こう」

「ワシはこの街から追い出せればなんでもええんやけどな。まあ、狂犬の暴れっぷりを見とけばええ」


 二人の固い意思を受け取り、十児も表情を和らげた。

 打倒魔王信長に向けて結束を強める勇士たち。


 だが――


 顔を合わせ、意見を交わしていたのは彼らだけではなかった。

 蠢く闇の中で、不気味に笑う悪鬼の声が木霊を始めようとしていたのだ。


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