第24話 覚醒

〝――ああ、懐かしきあの日々よ。吾輩の脳裏にぬるりと浮かんで来たか〟


 弥助の猛ラッシュを受け続け、血を吐きながらベアタンクは懐旧の笑みを浮かべた。


〝――家族を殺されたあの時から、吾輩は「ベアタンク」となった。あの時の感覚、今ならしっかりと思い出すことができる〟


 まるで失くしていたパズルのピースががっちりと嵌ったかのように、ベアタンクの瞼の裏にあの一瞬が浮かび上がる。


〝――大きく息を乱し、体中から迸る殺気を凝縮させ、あの熊に立ち向かった……。全ての感覚が研ぎ澄まされ、時間が長くなるような感覚。まるで未来を視るかのように相手の動きがわかり、鎌のような爪を避けた。そして、全身全霊の力を込め、手にした斧で熊を両断した。あの時、吾輩は本能を覚醒させ、その殺気を闘気として習得したのだ〟


 闘気は今もベアタンクの体を包み込んでいる。大自然で身に付けた力。悪霊の類とも戦うことができる力。

 なぜそんなことが可能なのか、ベアタンク自身もわからず、たいして気にしてはいなかった。

 だが、今なら――

 魔力を帯びたジャスコ武将に攻められた今なら、その理由がわかる気がした。

 闘気は生きようとする本能の塊。生に執着する者に烙印を押す力。

 そしてそれは、この弥助が操る魔力と相反する力なのだろう。


〝――やはり、吾輩はまだまだ成長できるようだ。ここに、ジャスコに来て良かった〟


「どうしマシタ? もう、アナタの筋肉は限界デスか?」


 攻撃を与え続けながら、弥助が笑みを浮かべる。

 対するベアタンクも笑った。気が狂ったわけでもなく、心の底から弥助に対抗するかのように。


「礼を言うぞ、弥助。お主のレッスンは、確かに吾輩の糧となった!」

「ヌ?」


 ベアタンクが腹筋で弥助の拳を受け止める。ヨガで強化され、肉体を穿ってもおかしくない威力の拳が、腹筋にめきりと挟まれたのだ。


「これだ。吾輩が求めていたのはこの生死の狭間の感覚! 闘気が最大に高まるこの瞬間! 今なら、その全てをお主にぶつけることができる!」


 ゆらりと動く熊の両手。ベアタンクはそれを弥助の腹へと押し当てた。


「何をする気デスか?」


 にっと剥き出た人間の口を吊り上げ、ベアタンクは力の限り叫んだ。


「〈ベアバスター〉!」


 刹那。轟音と衝撃がベアタンクの掌から生まれた。

 それはまさに戦車から放たれる砲弾のような豪快な技。


「ぐ……ヌ……?」


 弥助が白目を剥き、。今までの借りを返すかのように、その体がスタジオを横一文字に吹き飛んでいく。


「が……グ……?」


 壁に激突した弥助は口から血を流し、怪訝な顔を作った。


「この技は……信長様の魔弾に似ている? ……まさか……習得したのデスか?」

「我が闘気を凝縮させ、衝撃波としてお主の体へと浴びせた。まさに闘気の大砲!

 これぞ即興の新技〈ベアバスター〉!」


 その力はあらゆる防御を無力化する。どれだけ体を鍛えていようが、ヨガで強化されていようが肉体に、魂に直接響くのだ。


「さて、時は来た。アンナよ」


 そして、ベアタンクから弥助が離れたこの瞬間。メラネシアの少女がドレッドヘアを揺らしながら、このフィットネススタジオには相応しくない演奏を奏で始めたのだった。


〝――ドンの分まで、アンは生きる! 生き残る!〟


 ベアタンクと弥助の激闘は、残された少女に大きな勇気を与えていた。ベアタンクの決して倒れない意思が、アンナのありとあらゆる絶望を吹き飛ばす嵐となったのである。

 アンナは【リゲムチャ】をジャグリングさせ、時には【リゲムチャ】同士を衝突させ音を放つ。マナを集め、神々の力をここに降臨させる!


「〈オア・ロヴェの矢〉!」


 アンナのマナが変化する。それは先程目の当たりにした〈ベアバスター〉に似た力。

 凝縮されたマナが矢となり、弥助に向けて放たれたのだ。矢だけではない、槍や棍棒までが具現化され、雨霰となった。まさに、オア・ロヴェの神話が再現されたかのような技――これこそが〈オア・ロヴェの矢〉。


「ぐ……が……」


 攻撃を浴び続けた弥助が呻く。それと同時に、ベアタンクの足を封じていたダンベルが消失。フィットネススタジオの趨勢が大きく変わり始めようとしていた。

 その流れに負けじと、弥助は歯を食い縛る。


「ぐ……だが、シカシ。この程度の傷など……ヨガを極め、生命力を高めたワタシなら、回復することができマス……」


 その言葉に嘘の響きは無かった。マナの塊を受けていた弥助の傷が、みるみるうちに癒えていく。このままでは消耗戦となってしまうことだろう。だが、それを許さないのがベアタンクであった。


「〈ベアナックル〉!」


 強烈なジャブが弥助の腹に直撃。


「〈ベアナックルⅡ〉!」


 さらにもう一度ジャブが頭に炸裂。


「〈ベアナックルⅢ〉!」


 続いてストレートを腹に放つ。


「〈ベアトルネード〉! 〈ベアボンバー〉! 〈ベアタックル〉! 〈ベアシュート〉! 〈ベアダンク〉!」


 体中の闘気を漲らせ、ベアタンクはありとあらゆる技を弥助に仕掛けた。

 回復するというのなら、それ以上の攻撃を与えればよい。

 単純で脳筋としか言いようのない連撃。しかし、この生命力がベアタンクの確かな武器であり、弥助の魔に満ちた体には効果的だったのだ。攻撃を受ける度に弥助の体は大きく揺れ、嵐の日の案山子のような姿と化してしまう。


「〈ベアバスター〉!」


 熊が吠えた。再び発せられた闘気の塊を受けると、弥助は重油のような色の血反吐を吐き、仰向けになって倒れ込んだ。


「がはっ……ワタシのヨガの回復力が……追い付かナイ……。フフ、ここまでのようデスね……」

「うむ。弥助よ。お主は良き好敵手だった。何か、言い残すことはないか?」


 腕を組み、弥助を見下ろすベアタンク。その堂々とした姿には王者の風格すら漂っているようだ。


「信長様に……マタ出会えて……夢のような時デシタ……。ワタシは……弥助は……幸せデシタ……。泡沫の奇跡だろうと、ワタシはアナタを慕い……従い続けマス……」

「天晴な忠義だ。魔王信長と出会ったら、お主のことをしっかりと伝えておこう」

「フフ……デスが……ソレもアナタたちが信長様へ辿り着ければの話……マダマダ、ワタシのようなジャスコ武将が控えていマスから……」

「ならば吾輩はまだまだ強くなれる。ありがとう、友よ」

「ワタシを友と呼ぶのデスか……。フフ……変わっていマス……ネ……」


 それから弥助の言葉は続かなかった。弥助の体は足の先から塵と化し、「ジャスコフィットネスクラブ」の中で溶けるように消えていく。退魔の真の力を得たベアタンクがジャスコ武将に勝利した瞬間であった。


「熊さん、勝った。アンたちの勝利」


 アンナの顔に笑顔が戻る。兄を失ってから、初めて柔らかな表情を見せた瞬間だった。ベアタンクもどこか安堵した表情でアンナを見つめる。


「ああ、アンナも勇気を振り絞り、援護してくれた。感謝するぞ」

「でも、不安。あの人みたいな敵が、まだまだこの魔城にはいる……」

「そうだな。あのネメシスとやらを下したのも、恐らく別のジャスコ武将なのだろう」

「…………」


 ネメシスの話を振られ、アンナは口を噤んだ。


「どうした?」

「熊さん。確かに強い。けど、ドンみたいに急に死んだら、アンは嫌。さっきも、いつ死んでもおかしくないほど、攻撃を受けていた」

「確かにな。吾輩たちだけでは、魔王信長に辿り着くのは、無理とは言わないが厳しいかもしれん」

「仲間が、もっと欲しい。ネメシスと違って、話のわかる仲間が……」

「仲間……」

「……これだけの力を持った魔城。他の退魔師も来ているのかもしれない。ネメシスや、熊さんみたいに、導かれるように……。そう、フランスの騎士フィール・トリニティや、日本の修験者沈陸徐蛮もこの魔城を目指していると、ドンが言っていた」

「ならば、生きている限り、魔王信長への道がある限り、彼らとはどこかで会うだろう」


 ベアタンクが何かに気付いたようで、ほんの一瞬だけ息を止めた。


「弥助と戦ったことで、吾輩の闘気にさらに磨きがかかった。確かに、何人か魔城にいるようだ」

「本当? 熊さん、すごい。アンもマナを感じられるけど、そういうのはわからないから」

「……だが、この闘気は……今、彼らは戦闘中ということか?」

「……どうか、無事で……」


 粉雪のように不安が重なり、心が凍りそうになってしまう。

 アンナは祈った。これ以上、誰も犠牲にならないでほしいと。

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