第23話 目覚める獣

「熊さん!」

「大丈夫だ、アンナ……」


 ベアタンクは受け身を取ると、前転し、その勢いで弥助に向かって飛びかかる。ラリアットだ。弥助に合わせ、ベアタンクもまた体全体を使った攻撃へと戦法の変更を始めたのだ。


「ベアラリアッ……」


 だが、丸太のような腕が弥助の首に当たる寸前のことだった。ベアタンクは吐血した。


「ぐはっ……」

「無理はなさらずニ。ワタシの魔力を込めたアッパーで、アナタの中にある膿みを絞り出しマシタ。これにより、内臓の機能は改善したことデショウ。まあ、少々刺激が強かったかもしれマセンね」


 邪気に満ちた善意の言葉だった。


「物は言いようだな」


 熊の毛皮で血を拭き取りながら、ベアタンクは立ち上がる。


「デハ、立ち上がったところでレッスンを再開デス」


 弥助が四つん這いになり、両手両足を片方ずつ交互に伸ばしては引っ込め始めた。また新たなヨガの型なのだろう。引き締まった筋肉に汗が溜まり、魔力も相まってまるで高級車のように弥助の体は黒光りを始めた。


「『猫のバランスポーズ』……これにより、二の腕が引き締められ――」


 弥助がまさに猫のような俊敏さでベアタンクに近付くと、またもや弾丸のような勢いでストレートを放つ。


「がはっ……」


 再びベアタンクの巨体が吹き飛び、地響きが発生するほど力強く床に叩き付けられてしまった。


「このように、能力が向上しマスよ。続けて、『三角のポーズ』!」


 弥助は両手を肩の高さにまで上げ、まっすぐ伸ばす。続けて左手で左足を掴むと、右手を伸ばしたまま上体を逸らす。もちろん、呼吸を整えながらのポーズだ。

 ベアタンクは起き上がると身を屈め、肩に重心を乗せると、


「〈ベアタックル〉!」

「三角のポーズ」中の弥助に向かって巨体が躍動する。


 しかし――


「このように――」


 弥助はそれをひらりと躱すと、足を伸ばしてベアタンクの背中を蹴った。ちょんと触れただけのように見えた蹴りだが、ベアタンクはごろごろと岩のようにスタジオ中を転がり、壁に激突。


「『三角のポーズ』は足腰の機能を向上させマス」


 ヨガのポーズを続けながら、弥助は得意気に解説。


「熊さん!」


 アンナは手痛い反撃を受けてしまったベアタンクに呼びかける。熊のマスクを被っては表情が読めないため、無事かどうかもはっきりしない。そのマスクに手を伸ばしたとき、


「まだだ。まだ吾輩は戦える……」


 がっしりとその細い腕を掴んで、ベアタンクは立ち上がった。


「いいでショウ。何度でも拳を交えまショウ。その度にワタシもアナタも強くなれる。磨きがかかる。そして、その末に――アナタは死ぬ」


 弥助が呼吸を整え、ヨガのポーズ。すると、その黒い肌がさらに輝きを放つ――


「ジャスコ術――〈ダンベルトレーニング〉」

「ぬっ!」


 ベアタンクの足に激痛が襲いかかる。見れば、両足にダンベルのハンドルが喰い込んでいたのだ。まさに足枷が嵌められてしまったようで、これでは逃げることができない。


「これならワタシの攻撃を受けて吹き飛ぶことはありマセン。さあ、サンドバッグになりナサイ」


 弥助が目を光らせ、ベアタンクにラッシュを仕掛ける。ヨガによって高められた力と、フィットボクシングのリズミカルな打撃にダンベルが加わり、ベアタンクは攻撃を浴び続けるしかない。重く鋭い一撃を受けるたびにベアタンクは血泡を蟹のように噴き出してしまう。

 これこそが「ジャスコフィットネスクラブ」の集大成。

 これこそがジャスコ武将弥助の真骨頂。

 その力を十分に味わい、脳を揺さぶられ、東北のレスラーベアタンクはただ小さく口元を緩めるのだった。




 ベアタンクの故郷は東北の山奥にある小さな集落だった。茅葺の屋根と土壁を使った木造建築が並ぶ姿はまるで百年以上も時間が流れていないようにも見えたという。空気も澄み、緑が心地よく、とても長閑な土地であった。


 幼少期のベアタンクは集落にある学校から帰ると、両親や兄弟と共に山菜を採り、木を伐採し、たまに街に出てはそれらを売り捌き、家計を支えていた。

 何気ない日々がベアタンクの糧となり力となり、肉体も精神も鍛えていた。

 いつかは地図から消えてしまうと言われているこの集落。大人になったら気ままに日本中を旅しよう。薄暗い部屋の中で、ランプを頼りに読書をしながらベアタンクはそんな計画を立てていた。


 だが、ベアタンクが十五歳となったころ、彼の世界は一変した。


 いつもと同じように学校から帰り、家へと向かった最中でベアタンクが感じたのは鼻を刺す異臭。続いて襲ったのは言葉にならない不快感。体中の毛が逆立ち、血が沸騰した。この経験をベアタンクは一生忘れないことだろう。

 その後、彼は目撃した。

 車のように巨大な熊が、家族を惨殺していた光景を。

 圧倒的な暴力。自然の力をベアタンクは味わった。

 それはまさに獣の体に凝縮された災害だった。母も、父も、兄弟も皆、抵抗することもできず命を落とし、無残な姿と化していたのだ。後でベアタンクは知ったのだが、どうやら猟師の元から逃げた山の主が興奮し、集落へと下りてきたのが原因だったらしい。

 ベアタンクと熊が目を合わせる。

 その澱んだ瞳が、「次はお前だ」と言っているようだった。


 それからの記憶は、ベアタンクの頭の中からすっぽりと抜けている。

 気が付けば、足下に首が切れた熊の亡骸が横たわっており、自分の手に伐採に使っていた斧が握られていた。赤く塗られたその刃には、目を収縮させ、蒼褪めた表情の戦士の貌が映っていた。

 数分呆けてから、ベアタンクは理解した。自分は生死を賭けた戦いの中にいたということ。怒りや悲しみ、憎しみがない交ぜにになった感情と本能が体を衝き動かし、全てを終わらせたということ。

 この経験から、ベアタンクは己の中にある「力」と向き合うことになった。


 家族を弔ったあと、ベアタンクは山に入り大自然の中で己を鍛え上げた。

 山の中では、他の熊と格闘することもあった。恐らく、山の主の家族や仲間もいたことだろう。その悉くをベアタンクは素手で倒し、その血肉を貪り自分の力とした。

 大自然という舞台がベアタンクの体も心も大きく成長させ、成人するころには熊をも見下ろせるほどの巨体と化し、彼の肉体は大樹のような威容を放つようになった。

 山を下り、都会に出たベアタンクはその巨体を武器に、レスラーとしての道を歩んだ。強者を求め、体と体を衝突させ、血と涙と汗をリングに染み込ませる。

 その快感こそがベアタンクの生き甲斐となり――

 今も強者との戦いを求め続けている――

 あの、生死の狭間で掴んだ物を思い出すために。

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