第22話 ジャスコフィットネスクラブ
「敵!」
【リゲムチャ】を構え、腰を低くし、声の主を見つめるアンナ。
その目に浮かんだのは、異質な姿の男だった。
炭のような色の肌は筋骨隆々としており、照明を浴びて黒瑪瑙のように美しく輝く。その宝石のような体を包み込んでいるのはタンクトップとハーフパンツ。まさにフィットネストレーナーといった風貌であった。
「我が『ジャスコフィットネスクラブ』入会希望の方……でショウか。フムフム、片方は熊の毛皮を纏っていてもわかるほど、既に完成されたような肉体の持ち主。もう一人は女性デスね。まだまだ成長の余地を感じられマス!」
男が頬を緩ませ、ベアタンクとアンナを見つめた。
そう、ここは紛れもなく「ジャスコフィットネスクラブ」……。そして、室内は筋肉トレーニングを行うためのスタジオとなっていた。ランニングマシンや筋力マシンを始めとするトレーニングマシンや、フィットネスを行うためのマットが至る所にあるのだ。
「吾輩はベアタンク。強き者を求めてこのジャスコに入店した。この子はアンナだ」
律儀に名乗るベアタンク。男はぱちぱちと雷鳴のような拍手を鳴らした。
「強き者! いい響きデス! しかし、最強の称号の持ち主は、信長様以外には考えられマセン。アナタたちが信長様と戦える逸材であるかどうか、ワタシが試さなくてはなりマセンね」
男が頭の上で手を合わせると、左右に体を揺らし、伸び伸びとストレッチを始めた。
それは挑発のようでもあったし、宣戦布告の合図とも言えよう。
男は大きく呼吸を整えると、白い歯を見せニッカリと笑い、
「ワタシはジャスコ武将『ジャスコフィットネスクラブ』店長、弥助! 信長様から与えられたこの名を胸に、アナタたちの筋肉をいじめぬいてみせまショウ!」
そう名乗ったのだった。
「弥助……だと……?」
「知っているの、熊さん?」
アンナが一瞥すると、ベアタンクは静かに頷いた。
弥助。彼は戦国時代に日本を訪れた宣教師の召使いであり、信長に気に入られたことから家臣入りを果たした男である。牛のように黒い体と当時から言われ、珍しいその姿を一目見ようと京都では見物人が殺到したほどであった。
その弥助が時空を超えて現代に蘇っている。
ジャスコ武将――「ジャスコフィットネスクラブ」店長として。
「そうか、魔王信長の手下として蘇ったのだな。ジャスコ武将という名から察するに、このジャスコのフィットネスクラブを任されている、と」
ジャスコ城にすっかり適応した身となったベアタンクだ。その筋肉が万雷の拍手のように躍動する。
「吾輩がずっと感じていた闘気は、お主であったか」
その声は、どこか歓喜に震えているようにも見えた。
「イエス。ワタシはジャスコ武将の中でも力に優れていマス。ワタシもアナタのような男と出会えて嬉しいデスよ。さあ、筋肉で語りまショウ!」
「熊さん、来る!」
弥助が胸の前で拳を握り、ステップを刻むと颶風を纏って接近。
拳が唸りを上げ、空を切るとジャブ、ジャブ、ストレートを繰り出した。
「む……!」
弥助の黒い拳が熊の体を殴打する。ばしいん! っと音が弾いたように、一つ一つがとても重い拳を続けて三発もだ。衝撃を受け、熊の毛皮がぶわりと波打つ。その下に隠されている肉体にも、ダメージが伝わっているはずだ。
「熊さん!」
アンナの鋭い叫びが木霊する。逞しい体の持ち主であるはずのベアタンクがよろめいてしまっている。
彼女の不安を掻き消すように、
「安心せよ、アンナ。吾輩はこれしきでは倒れぬ」
変わらぬ声を出すベアタンク。平然としているその姿を目にし、弥助はまたも陽気な笑みを浮かべた。
「おやおや、その体は飾りじゃナイようデスね」
攻撃を仕掛けた側の弥助はベアタンクを評価しているようだ。
「ワタシは生前でも鎧武者を素手で殴り殺すことができマシタ。その力に魔力を上乗せしたのデスが、まだ息があるとは」
「お主の力量を試したのだ」
体に芯を入れ、ベアタンクが下半身に重心を込める。
「今のはフィットボクシングだろう」
ボクシングの要領でリズムよくパンチやアッパーを繰り出し、エクササイズするというフィットボクシング。それは普段運動しない主婦にも楽しく運動できると人気のフィットネスである。弥助はそれを技に活かしているのだ。
「面白い、格闘家としての血が騒いだ」
ベアタンクもまた拳を握り締め、反撃開始。
「〈ベアナックル〉! 〈ベアナックルⅡ〉! 〈ベアナックルⅢ〉!」
技名を叫ぶものの、その実態はただのジャブ、ジャブ、ストレート。つまりは、弥助と同じ攻撃方法の真似だ。
「ハイッ、ハイッ、ハイッ!」
弥助はその全てを開いた両手で受け止める。ずっしりと重い一撃を受け、牛のようなその体がわずかに後退した。
「吾輩の〈ベアナックル〉は熊も卒倒する威力なのだが、それを受け止めるとはな」
ベアタンクは焦ることなく笑った。弥助を好敵手として認定したのだ。
それは弥助もまた同じだった。
「やりマスね。ワタシのレッスンに応えてくれるとは。アナタの体は完成しているように見えていマシタが、まだ伸び代がありそうデス」
「それは光栄だ。吾輩の成長のための、プロテインとなってくれるか、弥助よ」
「ワタシのレッスンに耐えられればの話デスがね」
にっとお互い口端を吊り上げたあと、両者とも魂を込めた拳を放つ。
散弾銃のように放たれ続けられた拳は、どれも的確かつリズミカル。ドラムのような旋律が生まれているようであった。筋肉が踊り、汗が飛び散る。まさに拳による筋肉祭である。
アンナはその男の世界を呆然と眺めていた。
〝――熊さん、助けたい。だけど、アンはどれだけ役に立つか……〟
援護しようにも、どの手で攻めるか躊躇してしまう。マナを介し、神の力を行使する音響術は広範囲に効果のある退魔術。接近戦を繰り広げているのであれば、ベアタンクを巻き込んでしまう恐れがある。
〝――タイミング、あるはず。その一瞬を、逃さない〟
固唾を飲み、アンナは介入するタイミングを見計らう。
まるで組手のように美しく豪快に繰り広げられるベアタンクと弥助の応酬。
いつまでも続くかのように思われたその殴り合いに変化が訪れた。
弥助はバックステップすると、近くのマットの上に座り込んだ。
「フム、基礎能力を計ることはできマシタ。では、ステップアップデス」
胡坐に似た体勢だ。弥助は両手を膝の上に乗せ、瞑目すると呼吸を整え始めた。
「隙だらけ。熊さん、攻撃するなら今がチャンス!」
「……いや、今攻めては手痛い反撃を受けるだけだ」
ベアタンクが慎重に声を絞り出す。
「ハイ。ワタシが何をしているのか、ベアタンクさんにはおわかりのようデスね」
「ヨガのポーズだろう」
呼吸を整え、弥助は手を上げ左右に揺らしたり、体を捩ったりを繰り返している。すると、その炭のような色の筋肉に磨きがかかったように見えた。
「ハイ。ヨガの呼吸法で体内により多くのプラーナ……いえ、ワタシの場合は魔力を循環させマシタ。これにより、心も体も一層磨きがかかったのデス」
弥助は立ち上がり、片足で立ちながら両手を頭の上で合わせ、木のような体勢。
「ヨガはいいデスよ。冷えやだるさを噴き飛ばし、肩こりも解消。不快症状も無くし、集中力も高まりマス。体の使っていない筋肉も刺激され、生命力が高まりマス」
するりと弥助がヨガのポーズのままベアタンクに肉薄。
「このようにネ!」
ジャブ、ジャブ、アッパーがベアタンクの腹に決まった。またもや弥助はフィットボクシングをリズミカルに繰り出したのだ。しかし、そのキレは先程とは比べ物にならないほど研ぎ澄まされており、
「ぐっ……!」
ベアタンクの体が浮かび上がるほどだった。
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