第21話 命の灯火

「あーもう! あの熊男、なんなのよーう。アレキサンドリアちゃんをコケシ扱いにしやがってっ。必ず見つけ出してブッ殺して剥製にしてやるんだからっ」


 ゴーレムマスターネメシスが悪態を吐きながらジャスコ城の通路を歩く。その傍らにはもちろんモアイ型のゴーレム・アレキサンドリアの姿があった。


「あいつらだけじゃないわ。これから出会うことになる退魔師は全員、アレキサンドリアちゃんのサンドバッグ。全員ミンチにしてやるんだからっ」


 ネメシスが豪快に笑い出す。アレキサンドリアが全ての敵を薙ぎ払い、殲滅する。その未来計画を頭の中で描くことだけが今のネメシスの生き甲斐だった。


「どんな相手だろうと、アレキサンドリアちゃんの敵じゃないはずなんだからっ。さあ、誰でもいいからかかってらっしゃい!」


 血眼になったネメシスがしゅっしゅっと宙でジャブを打ち、その動きに合わせてアレキサンドリアが体を揺らす。

 その直後だった。

 ネメシスの視界にゆらりと、細い風体の男の影が浮かび上がった。

 刹那、ネメシスは胸を躍らせ大声で叫ぶ。


「ああーっと! 人間はっけーん! どこの誰かは知らないけれど、アレキサンドリアちゃん、殺しちゃってー!」


 ぱちんとネメシスが指を鳴らし、モアイの瞳が光る。

 間を置かず、熱光線が照射。目の前の男を焼き焦がす!


「一丁あがり! うんうん、調整が完了したアレキサンドリアちゃんは絶好調!」


 優雅に背中を曲げ、アレキサンドリアの出来に満足するネメシス。

 しかし、


「おいおい、ずいぶんな挨拶じゃねえか」


 もくもくと立ち込める黒煙の中から、男がゆっくりと姿を現し、溜め息を吐いた。

 ネメシスは口をへの字に曲げ、その男の姿を観察する。

 ナイフのような目つきをした青年だった。割烹着に似た服を着ており、両手に持っているのも調理用の長包丁。これだけ見れば料理人と思いたくなるが、ここは悪鬼蔓延る魔城。只者ではないのは一目瞭然だ。


「何コイツ」


 まるで凶器が擬人化したかのような存在感だった。ネメシスの本能が告げる。この男は危険だと。しかし、だからこそネメシスは狂喜した。アレキサンドリアの「本気」を出せる相手かもしれないのだから――


「アレキサンドリアちゃんのビームをかわすなんて、いい男ね。でも、どこの退魔師なのかしらん?」

「……退魔師か。信長様からは殺せと言われているな」


 くくっと忍び笑いを見せたあと、男は包丁の刃先を鳴らす。ぎんぎんと不協和音が魔城に轟いた。まるで、ドラミングをするゴリラのような仕草にネメシスは恐れを抱くどころか好奇の炎を滾らせる。


「アンタ、魔王信長の手下なのね。フフ、面白いじゃない。アレキサンドリアちゃんの性能を試す、またとない機会よ!」

「……お前も退魔師のことに詳しそうだな。なら、この家名に覚えはあるか?」


 ニヤリと悪魔のように笑ってから、男は問いかけた。


。信長様と因縁のある一族だ」


 明智家。その名はもちろん知っている。退魔師たちの中でも上位の実力を持つ一族。開祖である光秀以降、代々強い霊力を持つ男が家督を継ぎ、超自然的な力を身に付け、聖なる光を刀に宿し、あらゆる魔を祓ってきたという。もっとも、明智家にとって低俗の魑魅魍魎の相手をすることは、「暇潰し」に過ぎないと言われているのだが。

 その神髄は、百年周期で蘇る魔王信長の討伐。永い時の中の刹那のような事象のために、明智家はその生涯を捧げ続けているのだ。


「当たり前じゃない。有名だもの。そして、このアタシ、ネメシス様のとっておきの獲物よ。明智家が魔王を斃そうとこの魔城にやって来るのは常識。そこへ颯爽とアタシとアレキサンドリアちゃんが現れ、明智家を殺し、魔王も斃す。これで、この世界で一番強いのはアタシたちにけってーい☆ってなる寸法よ」

「……大した自信だな。だが、お前とそこの木偶の棒如きじゃ、明智家にも信長様にも敵わないだろう」

「何よ、どういう意味? アタシたちが弱いとでも? アンタまでアタシたちを馬鹿にするのね!」


 地団太を踏むネメシスに対して、男はまた猟奇的な笑みを見せた。


「……わからないのか。めでたい頭だな……」


 男が包丁の刃先をネメシスに向けて告げる。


「……お前は信長様にも、明智家にも辿り着けない。ここで俺が始末するからだ」

「そうね! 目が合ったら殺し合いをするのはアタシの常識だものね! それじゃアレキサンドリアちゃん! この生意気な男をぶっ殺……し……て……」


 ネメシスが指を差し命令をした直後だった。ジャスコ城に身の毛もよだつような冷気が充満。まるで南極に放り込まれたかのように世界が凍え出し、ネメシスの足ががっちりと凍結したのだった。

 例えようのないない怖気がネメシスの体を蝕んだ。


「え、何これ……」


 ネメシスが足下を見ると、靴が、ズボンが、ダイヤモンドのように輝く氷に覆われていた。下半身から上半身へと這うようにその絶対零度の領域は広がっていき、ネメシスの顔は蒼褪めた。


「え、嘘。なんで、こ……ん……な……こ……と」


 ネメシスはわずかに動く首を振り仰ぎ、愛機を見つめ、その瞳を収縮させた。

 視線の先には、完全に氷の檻に閉じ込められたアレキサンドリアの姿があった。


「アレ……サンドリア……ちゃん……こうなったら、『』を……」


 何かを命令するつもりだったのだろうが、言葉は最後まで続かなかった。求愛する鳥のように騒がしかったネメシスの口が封印され、物言わぬ氷像ができあがったからだ。襲来する異能の力に絶望し、戦慄した顔はまるで美術作品のようにも見えたことだろう。

 むろん、ネメシスとアレキサンドリアを凍結させたのは対峙していたこの男の力に他ならない。


「……俺はジャスコ武将『鮮魚コーナー』責任者、細川忠興……。お前を仕入れた魚のように氷漬けにしてやった。これが俺のジャスコ術……って」


 溜め息を凍らせて、男――細川忠興は嘆く。


「もう聞いちゃあいないか。まあいい。ショーの材料はこいつらだな」


 氷の世界と化した魔城を滑るように歩くと、細川忠興は残忍な笑みを浮かべ、氷像と化したネメシスを運び出そうとする。

 また一人、ジャスコ城で命の灯火が消えた瞬間だった。




「…………あの男の闘気が消えた」


 ジャスコ城の通路を行く熊男がぴたりと足を止めたあと、神妙な声を出した。


「あの男……ネメシス?」


 アンナが自分よりはるかに背の高いベアタンクを見上げ、顔を引き攣らせる。


「そうだ。より邪悪な闘気を持つ者に敗れたようだ。あまりにも一瞬。あまりにも残虐。恐らく、魔王信長の手下なのだろう」

「……そう」


 複雑な顔のアンナ。ドンナを殺したネメシスに復讐することができない悔しさと、彼を下したという闘気の持ち主の凄まじさを思い知り、言葉を継げなくなってしまう。


「そして、その者と同等の闘気を持つ者が間近に迫っている。そこの部屋だ」


 ベアタンクが指差した先には扉付きの部屋があった。アンナは目を剥き驚愕する。


「おためし体験随時募集中!」

「入会キャンペーン中」

「一か月分月会費無料」

「私たちと健康な体作りを目指しませんか?」


 そんな文句が外壁に貼り出されていたのである。


「何これ……」

「『ジャスコフィットネスクラブ』……と書かれているな」

「何それ……」

「『ジャスコフィットネスクラブ』は『ジャスコフィットネスクラブ』だ。吾輩も聞いたことがある。ジャスコの中にあるスポーツクラブ。筋力運動や有酸素運動を組み合わせ、効率的に脂肪を燃やし、女性にも人気だと」


 熊の被り物からわずかに見える顎に手を添え、ベアタンクは語る。


「意味不明。魔王は何を考えてこんなものを……」

「これが魔王の伊達や酔狂でないのなら、意味があるはずだ。それを吾輩たちが今から知ることになる。アンナよ、覚悟はできたか?」


 アンナは【リゲムチャ】を握り締めて頷く。魔城に足を踏み入れた以上、魔王の眷属と戦の対決は避けられない運命だ。


「問題ない。熊さんこそ、大丈夫?」

「吾輩も闘気が満ち満ちている。今なら樹齢千年の大木を割ることもできそうだ」


 拳を固く握り締め、ベアタンクも準備完了。その体からは確かに湯気のようなオーラに覆われているようにも見えた。


「行くぞ」


 まさに選手入場。堂々とした足取りで、ベアタンクは「ジャスコフィットネスクラブ」と言う名のリングに足を踏み込もうとする。寸前まで辿り着くと、扉は左右に開いた。自動ドアだった。

 蛇が出るか鬼が出るか。アンナは想像力を全開にする。

 そして、


「いらっしゃいませ!」


 聞こえたのはそんな大声だった。

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