第19話 蘇る日常

「うんうん。死ぬ覚悟は完了したようだね。なら、この子に付き合ってもらおう。お代はもちろん、君たちの命だ」


 堀秀政がパンパンと手を鳴らす。その音に応じて狼が草原を駆ける。弾丸のように、稲妻のように。瞬きをした次の瞬間には、松田の左肩に狼の鋭い牙が喰い込んでいた。


「あがっ!」


 激痛が肩から全身に走り、松田は悶える。痺れるような痛み。胸が冷えていく感覚。そして、どす黒く染まっていく上着。常人ならば既に気絶しかねない一撃だった。


「松田!」


 狼に向けてフィールが【オズサーベル】を横薙ぎ。しかし、殺気を感じ取ったのか狼は瞬時に離脱。またもや堀秀政の元へと戻っていく。


「あれ、首を狙ってもらったつもりだったけれど。惜しかったね」

「六道会幹部をナメんといてや。丈夫さがワシの取り柄や」

「松田、大丈夫か」

「こんなモン、唾つけときゃ治る。ホラ、どうした犬ッコロ! ワシはまだ生きとるで。殺すんとちゃうんかったか? ああん?」


 噛まれても通常運転だと言わんばかりに松田が【神梛刀】を振って狼を挑発。その誘いに乗って、殺気漲る獣は身を屈め、またもや弾丸と化す。

 この一撃を受けてしまえば、次こそ命を落とすかもしれない。

 それでも松田は逃げることなく、立ち向かい――


「オラッ!」


 竹を割るように【神梛刀】を縦一文字に振り落とした。


「キャウッ!」


 木刀が狼の脳天を直撃。小さく悲鳴をあげると、草原の上を転がっていく。

 威力があまりにも凄まじかったのか、狼はふらふらと立つことも難しいようだ。


「松田、やるじゃないか」


 反撃の狼煙を目の当たりにし、フィールが労う。

松田は得意気に口角を吊り上げた。


「ワシの頭を狙うって言ってたもんなァ。目に見えんほど速くても、狙う場所がわかればこんなモン助っ人外国人のストレートと同じや」


 力強くジャスコ武将を睨みつける松田。


「これは驚いた。私の狼に傷を付けるなんて」


 だが、その顔に焦りの色はない。狼を傷付けられたにも関わらず堀秀政は極めて冷静だった。堀秀政は狼の元へ駆け寄ると、またもや慈しむような声音で語りかけ、


「だけど大丈夫。私は『ジャスコペット』のジャスコ武将。その傷を癒してあげるよ」


 狼の体を揉む堀秀政。ぱあっと光が弾けたかと思うと、狼はまるで何事もなかったかのように立ち上がり、再び吠えた。

 不可解な現象を前に極道が舌打ち。


「ジブン、何したんや」

「ジャスコ術〈ペットケア〉……私の手に掛かれば、全ての動物を癒すことができるのさ。これもまた『ジャスコペット』のサービスだからね」


 さらに堀秀政はペットフードを与えた。体力が回復した上に殺意も限界を突破したのだ。


「まるでシーソーゲームやないか。キリがないわ」

「あるさ。次の一撃が君の最期になるよ、ヤクザくん」

「ほう、予告ストレートかいな。なら、ワシがホームラン打ったるわ」


 ぶんぶんと【神梛刀】をバットのように振り、松田は目を血走らせる。


「松田、まさか傷が深く、正気を保てなくなったのか……?」


 フィールが松田の心中を察したその刹那。

 狼は風の刃と化し、草原のフィールドを横切った。

 刹那、緑の世界に赤い華が咲き乱れた。


「ぐっ!」


 松田の胸元がぱっくり裂けていた。狼のその強靭な爪で切り裂かれたのだ。

 松田の視界の中で全てがスローモーションになっていく。

 襲い掛かる狼の姿がはっきりと見える。ナイフを五本持ったような爪が首を狙おうとしているのがわかる。その獰猛な狩人の顔は鮮明。赤い瞳の中には、驚愕する眼帯の男の顔が映り込んでいるのも見えた。


〝――ああ、これが人が死にかけたら見えるようになる世界ってやつや〟


 力が抜けそうになる。原口の顔が浮かぶ。

 こっちに来いと手招きしている――のではない。

 それは「過去」の原口の姿だった。

 松田は死に瀕したこの一瞬の中で、その過去を思い出していた。




「ジブン、誰の許可貰ってこんなトコで商売しとんのや。ああン?」


 近江八幡市のとある路地。六道会の縄張りの中で松田は原口を伴って肩をいからせていた。彼が腰を曲げて睨みつけている相手は、サンタクロースのような立派な白髭を湛えた見慣れない露天商だった。


「誰の許可と言われれば、それはもちろん神の意思じゃがな」

「神やて? それはバースみたいにホームラン打てるんやろうな?」

「そうじゃ。あらゆる窮地を乗り越えられる、便利なグッズを販売中じゃ」


 商人は松田の凄みに全く怯むことなく、声を弾ませる。その手は揉み手となっていた。


「ンなこと言って、外国人観光客にゴミを売りつけようって算段ちゃうんか? ンなことしてみい。この街の評判ガタ落ちやろが。せやから、ワシらが取り締まっとるんやろうが」

「せやせや。六道会の縄張りで勝手な真似すんなや」

「冗談じゃないんじゃがのう……。どれ、信じさせてみるか」


 商人が茣蓙の上に置かれていた一振りの木刀を松田に見せる。


「この【神梛刀】はどうじゃ? 神木を使ったとても丈夫な木刀で、邪気を祓うことができるんじゃよ」

「丈夫やて。なら、原口。コイツでワシの腹殴ってみい」


 松田が商人から【神梛刀】を奪い取り、原口に持たせた。


「え、ええんか、松田の兄貴」

「ワシはナイフで刺されても、弾浴びても死なん男っちゅうのは知っとるやろ。ええからやれや」

「ほな遠慮なく……」


 原口が勢いよくバットのように木刀を振り、松田の腹を打ちつけた。

 バシンっと鋭い音が路地に響き、ゴミ箱をあさっていた野良猫が驚いてその場で跳ねる。


「……!」


 松田は一瞬だけ歯を食い縛ったものの、すぐに頬を緩める。原口が手にしていた【神梛刀】には亀裂も発生せず、健在だったのだ。


「嘘やないみたいやな。ワシの体は、木刀三本束ねて殴られても全部折れるほど頑丈なんやけどな」


 原口から【神梛刀】を受け取り、太陽に向かって大きく掲げる。その木の刀身が淡く輝く。名に恥じない神々しさが、松田にも感じられた。


「まあ、邪気を祓うっつー使い道はわからんな。一応、組長に献上しといたろか」

「持ってくなら、代金を払って欲しいんじゃがのう……」

「代金? それはこっちが貰うモンやろ。ここの場所代は高いからなァ、こんな木刀一本じゃ足りんわ。他のモンも見せろや。そしたら見逃したるわ」

「……やれやれ。じゃあ、これはどうじゃ。【魔滅袋】――匂い袋のお守りじゃよ。トペラやヒイラギ、豆の葉などを乾燥させ、邪霊が嫌う香りを封じ込めておるんじゃ」


 次に商人が取り出したのは、まさに神社などで入手することができるお守りのような形をした匂い袋だった。


「節分かいな。どれ、原口、嗅いでみい」


【魔滅袋】を受け取ると、紐を解き、中の匂いを原口に嗅がせる。


「……特に臭いとかそんな匂いはしませんわ」

「なんや。象も即死するような毒ガスが入っとるかと思ったら、普通やないか」


 ぎらりと睨みつけると、商人は肩をすくめた。


「聞いとらんかったのか。それは魔の力を持った悪霊などに効果があるんじゃ。ただの人間に効果はないんじゃよ」

「胡散臭いなァ。試しようがあらへんがな」

「へへ、ですが兄貴。念のため持っといてもええんとちゃいますか? 結構いい匂いするんすよ、これ」


 原口が松田のスーツのポケットに【魔滅袋】を忍ばせる。


「【魔滅袋】の効果がないっちゅうことは、逆にお前たちは善人なんじゃろうな」

「極道に向かってよくンなこと言えるな」

「こうしてわしらが出会ったのも、神の導きなんじゃろうなァ。さあ、他の道具も試してみたらどうじゃ?」

「ええわ。暇潰しに全部試して、全部貰うわ。せやから、これが終わったらこの街で勝手な商売はやめとけや」


 松田にとっては何気ない一日の、何気ない一時だった。

 他の組の構成員と争うことや、チンピラを片付けることと変わらない出来事。

 そのはずだった――

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