第4話 ジャスコ城の洗礼
「徐蛮っ!」
十児は素早く身を屈め、錫杖の範囲外へとバックステップ。しゃりんっと音が鳴るその刺突を免れた。
「ちょ、徐蛮っち! あたしたちはさー、これでも公務員なの! 公務執行妨害の現行犯って感じになるよっ!」
「二人とも、信長配下の妖魔に襲われ殉職……。そう報告してやるぜ。オレが信長と、世界各地の退魔師を殺したあとでなァ!」
目を血走らせ、徐蛮は錫杖の猛攻を緩めない。まさに蔵王権現のような形相。それは最早十児の知る沈陸徐蛮ではなかった。信長を斃すという名誉に目が眩んだ狂戦士だ。十児は刀を構えることなく、色めき立った徐蛮の攻撃をかわし続ける。冷や汗を額に滲ませながら。
「くくっ、十児。知ってるぜ、お前たちは人を殺すことができない。だからオレにも反撃することができない! その甘さを、今ここで、思い知れッ!」
徐蛮が指で印を組み始めた。十児もこの動作を知っている。
そして、これから起こる奇跡も――
「ノウマク・サンマンダ……」
徐蛮が呪文のようなものを唱え始めた。それは力ある言葉、真言。不動明王の力にて炎を呼び出す小咒である。徐蛮の実力ならば、建物一つは瓦礫に変えることのできる熱量の炎で対象を焼き尽くすのも造作もないはずだ。その脅威を知っているからこそ、十児は葛藤した。徐蛮を傷付けてでも、信長の元へ行くしかないのか。それとも、真言から逃げ切るべきか。
「バサラカン……」
真言が綴られ、徐蛮の目の前に火球が浮かび上がる。それは雪原を転がる雪玉のように膨れ上がり、生き物のように鼓動を始めた。
今まさに、真言が炸裂し、近江八幡市の街角で大炎上が発生しようというその時だった。
ジャスコ前の道路が揺れる。何かが近付いてくるのが体で感じられる。
十児は見た。
火球を放とうとしている徐蛮の背後で、何かが高速で動いている。
それは馬のようにも見えたが、足の代わりにあるのは回転する輪。つまりは、車輪。
自転車だ。自転車が道路を滑るように走っていたのだ。
「徐蛮、後ろだ!」
異変に気付いた十児が気付く。この閉鎖都市に自転車が走ることなどありえない。間違いなく、信長の手の者の襲撃だ。徐蛮に注意を促すが、狂戦士は前しか見ず、耳を貸さなかった。
「そんな手に乗るかよーッ!」
そして――
ぐしゃり。
「ぐげぼっ?」
そんな気味の悪い音と共に、徐蛮の頭蓋は砕け、炎の小咒は宙で消滅し未完成となった。
「徐蛮!」「徐蛮っち!」
徐蛮が無残に白眼を剥き、うつ伏せになって倒れ込む。からんっと錫杖の落ちる音が虚しく街に響き渡った。
いったいこの一瞬で何が起こったのか。十児とルゥナは目を見開き、現状を把握しようとする。倒れ込んだ徐蛮の背中の上には、カラカラと前輪が回る自転車。そして、その自転車には人が乗っていた。いや、厳密には人ではなく、魔の力を受けた者。
〝――なんだ、こいつはッ!〟
ぞわりと体中の血が全身を駆け巡る。不愉快さに腸が煮えくり返り、十児は口を引き結んだ。
「ふはは。退魔師、討ち取ったり!」
自転車でウイリーし、後輪で徐蛮の体をぐしぐしと踏みつけながら、その男は顎髭の備わった口を開いた。
奇妙な人物だった。スポーツウェアを身に纏い、頭にはヘルメットを被り、肘や膝にプロテクターを完備。これだけならロードバイク乗りだ。だが、腰には長い刀を添え、左手には細長い棍棒のようなものを携えたその姿は普通ではなかった。
「遅し! 実に遅し! このような小童が信長様の首を獲ろうなど、笑止千万! 天界にて韋駄天の指導を受けよ!」
男が棍棒の先端を昏倒している徐蛮の頭に打ちつける。何度も何度も、餅つきのように。
「やめろっ!」
十児が素早く【近景】を引き抜き一閃。まったく手応えがなく、その刀身は男を捉えず空を切るだけだった。普通の悪鬼ならすぐさま首が飛ぶ速さだというのに、男はそれ以上の素早さで回避してみせたのだ。
「徐蛮っち!」
男が消えたところを見計らい、ルゥナが駆け寄り徐蛮に声をかける。しかし、返事はない。呼吸すら感じられない。沈陸徐蛮の魂はもう、この地から離れてしまっていた。
十児が舌打ちをしたとき、死神の吐息が耳朶を揺らした。
「ほう、不思議不思議摩訶不思議」
自転車の男は、いつの間にか十児の背後に回り込んでいたのだ。
「お主とこの男は敵対していたのではないか? 内心安堵しているのではないか? お主が手を出せないから、儂が介錯してやったのだぞ?」
「そう言うのを現代でお節介と言うんだ、バイク野郎」
神経を逆撫でさせる言葉を吐かれ、十児はこめかみを動かした。徐蛮を鎮める手はあったはずだったが、それを試すよりも先にこの男が道を断ってしまったのだから。
【近景】の切っ先をバイク野郎に向け、十児は警戒心を限界突破させた。
「お前、信長の配下だな」
「それも相当の魔力を持ってる、激ヤバ野郎だよ、十児」
おそらく、魔城と共に復活した信長配下の兵なのだろう。だが、これほどの実力の持ち主なら明智家にその存在は伝わっているはず。十児は解せなかった。
「信長の配下にお前のような大道芸人がいるとは聞いていない。何者だ?」
「ふはは。遅し遅し! まさか儂のことを知らぬとは、お主、相当遅れている!」
くるくると器用にターンを決めるバイク野郎。
「だが儂はお主を知っているぞ! その刀、我が主を斬った【近景】に間違いなし! なればお主は明智の血筋! だというのに、馬から現代のこの『自転車』に乗り換えたのでは、儂がわからぬか!」
「馬から乗り換えた……」
妙な胸騒ぎが群雲のように生まれ、十児はその瞳を研ぎ澄ました。
「お前、まさか佐々成政か!」
「え、このバイク乗りのおやじっちが、佐々成政って言うの? マジ信じらんない!」
口をあんぐりし、変わり果てた男の姿に驚愕するルゥナ。
バイク野郎――佐々成政は豪快に笑い声をあげた。
「ふはは。即答! 速い速い! さすがは、明智家の子孫! 見事に儂の謎かけを突破なり!」
佐々成政。十四歳から信長に仕え、馬廻からその実力を発揮した武将である。長篠の戦では鉄砲隊を任され、信長軍の勝利に大きく貢献したという。
その佐々成政が現代に蘇り、生前と同じく魔王信長の配下となった。
ただし、馬ではなく自転車。鎧ではなくプロテクターを身に付けて。
「……なぜ、普通の武将だったお前が自転車に乗って暴れている。気でも触れたか?」
「いんや、十児。信長の配下なんだからさ、みーんな狂ってると思うよ」
ルゥナが小声でぼそりと言うと、十児は「確かにな」と忌々しく頷いた。
「ふはは。この姿こそが、信長様から儂に与えられた新たなる姿。祝福とも寵愛とも言えよう!」
華麗に優雅に、氷上のスケーターのようにアスファルトを滑りながら成政は答える。
「改めて名乗らせてもらおう。儂は佐々成政……」
そして、より一層声を張り上げ、天にも届く大音声で叫んだ。
「『ジャスコサイクル』店長……佐々成政だ!」
「『ジャスコ』……」
「『サイクル』……?」
十児とルゥナはまたもや悪夢を見ている気分になった。
「ジャスコサイクル」……その名には十児も聞き覚えがあった。ジャスコの中にあるテナントの一つであり、自転車などを取り扱っている店の名前だ。子供用の自転車からいわゆるママチャリ、そしてロードバイク各種を取扱い、メンテなどサポートも施してくれる。
この佐々成政はその店長だという。
十児のこめかみがぴくぴくと虫のように蠢いた。
「ふざけているのか?」
「ふはは。ふざけてなどいない! 復活した信長様は、その絶大な魔力であのジャスコ近江八幡店に魔城を築き、ジャスコを吸収した! 第六店魔王となったのだ! そして、ジャスコの力を我らに与えたのだ。ゆえに、儂らはただの亡者ではない。信長様によって強化された、『ジャスコ武将』なのだ!」
「ジャスコ武将って、何さ」
ルゥナは盛大な溜め息を吐いた。十児も同感だ。
「もういい。お前がイカれた奴だということは確信した。ジャスコがどうとか、わけのわからないことは考えないでおく。何せ、わけがわからないからな」
【近景】と【貞宗】を十字に構え、十児は闘志を漲らせる。
「だーね。あたしだって、難しい話は好きじゃないし。ただ、こいつがマジでムカつく奴なのはわかった。徐蛮っちの頭をグシャグシャにして、あたしの気分をチョベリバにさせたからさ」
ルゥナの茶髪がふわりと浮かび上がる。まるで、彼女の怒気に呼応したかのように。
「やろう。十児。こいつをグチャグチャにしちゃおう」
「もちろんだ、ルゥナ。天魔外道相手ならば容赦はしない!」
十児の気迫に応じ、首飾りの十字架が胸元から跳ね上がる。
相手がジャスコ武将だろうが何だろうが、信長の配下ならば敵だ。
幼少のころから明智家の厳しい特訓を受け、悪霊や妖怪と戦い退魔師としての腕を磨きあげてきた。そして、その集大成として信長を斃す時が来たのだ。その門出を邪魔する者は滅ぼすだけだ。
呆気なく散っていった徐蛮のためにも、自分を鼓舞するためにも――
明智十児は止まるわけにはいかない。
「わからないのであれば、儂がその身に叩き込んでやろう! ジャスコ武将の力を! さあさあ、明智家の子孫よ、いざ尋常に――」
「滅びろ!」
かくして、十児とルゥナたち「天地」とジャスコ武将佐々成政との死闘の火蓋が切られたのだった。
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