第3話 ノブナガハンター
信長の魔城――ジャスコ城へ向かって「天地」のエージェントが往く。
「しーずかなこはんのもりのかっげっからー」
能天気にもルゥナが歌を歌い出し、暗き森の中を進んでいるような感覚を抱いているときだった。
霧のカーテンに灰色の影が浮かび上がった。十児は感覚を研ぎ澄まし、邪気を察知する。
敵だ。間違いなく、生身の人間ではなく悪霊の類。
「ガアアアッ……」
呻き声と共に、化物が姿を現した。
細長い槍を携えた兵士。しかし、その身を守る鎧などはなく、筋肉どころか肉もない。
髑髏である。白く細い体を繋げた骸骨の兵士が現れたのだ。髑髏の眼球があるべき眼窩には紫色に光る球体が浮遊し、目の役割を担っているようだった。
「ああっと! 第一市民はっけーん!」
びしっと髑髏に向かってルゥナが指を差すと、その髑髏の後ろからさらに続々と同じ姿の化物が現れた。その数は軽く三十を超えているだろう。
「この街を観光中の髑髏ツアーズさんかな? ヘイ、あたしがガイドしてあげよっか!」
化物相手に怖じ気るどころか手招きを始めるルゥナ。カタカタカタカタとカスタネットを叩いたような音がアスファルトに響き出す。ルゥナの手招きを挑発と受け取ったのか、髑髏集団はバッファローの群れのようにルゥナに向かって猛進を始めた。
「はい、十児。引きつけてあげたから、あとはシクヨロ~」
「髑髏相手にナンパする相棒を持つと、心胆は常に凍える」
はあと大きく溜め息を吐いたあと、十児の顔に戦鬼が宿った。魑魅魍魎の類は人間よりも恐ろしい存在だ。言葉を発する者がいたとしても、対話が通じることはない。刷り込まれた本能によって隙も見せず、恐れも知らない厄介な相手。
しかし、明智十児には赤子も同然だ。
「準備運動には悪くない!」
腰に据えられた【近景】と【貞宗】を抜き、呼吸を整え霊力を込める。その刀身に光が漲り、髑髏の群れが映り込んだ。
「一子相伝の技を受けろ!」
十児は刀を交差させ、退魔の構え――十字架を作り出すと、斬撃を放つ!
「〈明智流滅却術・陰陽十字斬〉!」
ノブナガハンターの明智家に代々伝わる破邪顕正の必殺剣技。それも両足で立ち、物を掴めるようになった年ごろに伝授された基本の型。十児にとって、箸を使うよりも体に馴染んでいる技だ。斬撃を受け、髑髏の群れは散り散りになって道路の上で砕かれていき、やがて灰のようにその体を風化させた。
「低級の化物髑髏兵……。信長の先兵か。まったく歯応えがない」
「おやおや、十児は先兵より煎餅を御所望?」
「それも飛びっきり固い物をな」
にっと白い歯を見せて豪胆に笑う十児。
刹那、二人の立っていた道路に烈風が吹き起こる。風は刃を纏い、宙を駆け抜けるとまるでチーズのようにアスファルトをたやすく切り裂いていった。
十児とルゥナは咄嗟に左右に分かれ、不可視の斬撃から回避。
「新手か!」
驚嘆と共に狂喜しながら十児は風が吹いた方面を向く。
そこには前脚が鎌のような形をした獣が立っていた。大きさは狼ほど。言うまでもないが、邪気と殺気に満ち満ちている。
「鎌鼬か」
二本の刀を構え、鎌鼬と対峙する十児。神経を敵に集中し、出方を伺う。鎌鼬の不可視の斬撃は強力だが、必ず前脚の鎌を振るった直後に発生する。ゆえに、その動作を見逃さなければ対処もたやすい。
鎌鼬がけたけたと笑い、前脚を振り上げ――
「時は今!」
十児が足に力を込めた瞬間だった。
突如、鎌鼬の脳天が爆発。頭の皮が破れ、血が吹き出し、まるでたわわに実った果実が潰されたかのようだ。
「うっわ、グロ。そんでもって興醒めもいいとこって感じ!」
呆気ない幕切れに目を点にするルゥナ。十児は警戒を解かない。鎌鼬だった生物の頭には、胴環が付けられた細長い錫杖が突き刺さっていたからだ。
「闖入者か。誰だ!」
魑魅魍魎の類ではなく、明らかに人の手による攻撃だった。十児が誰何を叫ぶと、霧のヴェールからその男は現れた。
「よォ、十児。オレだよオレ」
ざんばらの髪はまるで歌舞伎の役者のよう。まるでこの街に溶け込んでいるかのような白装束を纏ったその男は、十児の知る人物だった。
「お前は、
沈陸徐蛮。袴に鈴懸に梵天付きの結袈裟を纏った姿からわかる通り、彼は修験を極めた日本でも名高い修験者だ。奈良県は吉野出身であり、特定の組織に身を置かないフリーの退魔師である。霊峰での修行により験力を高めた彼は、各地に風のように現れては超常現象を解決し、そのまま去って行く。そのため、今までも何度も任務中の十児の前に現れては獲物を奪い合うようなことがあった。
徐蛮はしゃりんっと音を出させながら錫杖を拾い上げる。
「ちょっとー、徐蛮っち! なんであんたがここに!」
ルゥナがぶーぶーと口を尖らせ抗議すると、徐蛮は鼻を鳴らす。
「わかり切っていることだろうがよ。この街に信長が復活した。なら、日本最強の修験者であるオレが来なくてどーするってんだ」
十児は徐蛮に向かって、虫を払うように腕を振った。
「帰れ、徐蛮。相手はあの魔王信長だ。いつもの雑魚狩りとはわけが違う。これはノブナガハンターである俺が全うしなければならない任務なんだ」
「そうそう、餅は餅屋ってね!」
徐蛮は射抜くような眼光で十児を見据える。
「明智家のエリートさんは使命感があって偉いねェ。だけどな、十児。これは、復活した魔王を選ばれし勇者様が退治するってありきたりな話じゃねえんだ」
「何だと?」
にいっと口端を吊り上げ、愉快そうに徐蛮は話し始めた。
「もう明智家の誰かが信長を斃すなんてのは過去の話なんだよ。信長が何度も復活したことで、その異常な生命力、絶大な魔力の持ち主であることに世界が気付いたのさ。信長の首には政府非公認だが莫大な懸賞金が掛けられている。その首を狙って、世界各地からオレたちみたいな退魔師といった異能の持ち主が集まり始めているんだよ」
徐蛮の言葉をしっかりと頭の中に入れ、十児のありとあらゆる毛が逆立つ。
「異国の聖騎士フィール・トリニティ。双子の音響術師ビー兄妹。ゴーレムマスターネメシス……。日本が主戦場のお前でも、こいつらの名前は聞いたことがあるだろう? こいつらももう日本に……おそらくだがこの街に来ているって話だ」
十児は黙って頷いた。
フランスの聖騎士フィール・トリニティ。聖剣【オズサーベル】の使い手であり、彼の地ではジェヴォーダンなる魔獣を狩り続け、国民からの信頼も厚い好青年だ。
音響術師ビー兄妹は、太平洋の島国出身のフリーの退魔師である。ベルのような武器を扱い、音の力で悪霊の類を浄化させる力を持つと言われている。
そして、ゴーレムマスターネメシス。自身が開発したゴーレムの性能を試すべく、各地の紛争に介入しているマッドサイエンティストだ。
「オレが知らないだけで他の退魔師も来ているに違いねえ」
「ほほう。まるで、アーケードの格ゲーみたいな話って感じ?」
しゅっしゅっとジャブを繰り出すルゥナ。そんな彼女を無視して、徐蛮は十児だけを睨んでいる。その切れ上がった目尻が峻厳な山のように険しくなった。
「信長を斃せば、当然その者に富と名声が与えられる。そして、退魔師のパワーバランスが大きく変わってくるはずだ」
「……なるほどな、徐蛮。お前の言いたいことはだいたいわかった」
「え、どゆこと?」
ルゥナがきょとんと首を傾げ、唇をくっきり折り曲げた次の瞬間だった。
疾風のような速さで、徐蛮が豪快に錫杖を振るい、十児の喉元にその先端を突き付けたのである。
夏だというのに、冷たく冴えた風が肌を撫でていく。
空気が一気に鉛のように重くなっていく。
「オレの敵は、信長だけじゃあない。この地に集う者、全てが敵だ! 奴らに信長を討たせるわけにはいかない。そしてもちろん、明智十児! お前にもなあ!」
それが徐蛮の宣戦布告であった。
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