第2話 敵はジャスコにあり
人は知らない。
この世は一つの舞台ではあるが、その舞台の裏には魔の力が蔓延っていることを。
人は知らない。
歴史の真実は一つではないことを。
そして、人は知る。
真の恐怖は、何気ない街の風景に溶け込んでいることを。
いや、だったと表現するのが正確だろう。
一九九九年現在、近江八幡市の大半は朝も夜も白乳のような霧に覆われ、廃墟のように静まり返っている。政府によって「閉鎖都市」として認定されてから早二十四時間。近江八幡市に人の気配はない。
例外を除いては――
「あ、もしもし? ブッチっち? うん、あたしたち、無事に到着したよー」
蕩けるように甘い声を響かせ、カーテンのような霧にシルエットが浮かび上がる。
目が覚めるような可憐な少女であった。もっとも目に付くのは、ロングウェーブの茶髪だろう。シャギーを含ませ、入念に手入れをされたであろうその髪は少女のもう一つの命と言っても過言ではない。人形のように端正な顔立ちであり、肌理細やかな肌はこの街の霧に対抗するかのように白かった。身長百六十センチにも満たないその体が纏っているのは、胸以外が透けて見えるシースルーシャツ。ボタンを真ん中だけ留め、健康的な腹部を露出している。黒いスカートはとても短く、太ももを大きく見せていた。その華奢な足を覆っているのはダボダボのソックス。そして、履いていたのは厚底ブーツ。
「うんうん、自衛隊のみんな、街の人の避難に協力してくれたんだねー。マジ感謝だよー」
肩からスクールバッグを提げ、マニキュアの施された手に持っているのは、ジャラジャラとストラップの付けられた
きゃぴきゃぴっとした風体からわかる通り、彼女はどう見ても渋谷に多く見かける種族、「ギャル」であった。
「うんうん。はいはいー。あとは任せてねー。んじゃ、行ってくるねー」
通話を終了し、少女はにんまりと笑う。
「まったく、時の首相相手にずいぶんと生意気な態度を取れるものだな、ルゥナ」
その少女の傍らに一人の男が現れ並び立つ。男は戒めるように、ルゥナと呼んだ少女の剥き出しの額に向けてデコピンを発射。ルゥナは仕置きを受けてもそれがご褒美であるかのように笑顔を見せた。
「ししし。いーじゃんいーじゃん。あたしからしたらブッチっちはダチみたいな感じだもん」
「気を引き締めろよ、ルゥナ。ここはすでに敵陣だからな」
男はダビデ像といった古代の彫像が動き出したかのような筋骨隆々とした体の持ち主の青年であった。黄色を基調としたジャケットにはその鍛えられた体の線が浮かび上がっており、男の艱難多き人生を物語っている。
「おっけおっけ、十児。あんたの相棒として、任務を果たしてみせるよ。完了したら、新しい服奢ってねー」
ルゥナが仕返しとばかりに男――十児の胸に握り拳をこつんと当てた。
麦の穂を連想させる金の髪が特徴的な男だ。切れ上がった眉と引き締まった顔は美男子であり、祭壇画に描かれる登場人物のような神性を宿しているかのよう。歳は十八。身長は一八〇センチ。その胸には銀に輝く十字架が首から掛けられ、腰には鞘に収まった二振りの刀があった。
男の名は明智十児。
十児はノブナガハンターである明智家の末裔であり、その血の才能をいかんなく発揮している、日本でも五指に入る退魔師である。その腰に据えられているのは、先祖から代々伝わる退魔の刀【近景】と【貞宗】だ。
十児は隠し切れない興奮を胸に、霧に包まれた街を見渡した。
「一族の因縁は、必ず俺がケリをつける……」
十児とルゥナは、古来より妖怪や悪霊といった超常現象を対処する日本政府の特務機関「
そんな二人に下された新たな任務。それは、十児にとってはこの世に生まれ落ちたときからの宿命であり、運命であり、使命でもあった。
その任務とは「信長討伐」――
この世紀末に、時を超え魔王信長が蘇ったのだ。
魔の力を得ていた信長は、人々の不安や恐れといった負の想念を糧として現代に本拠地である魔城と共に復活する。その時期は「聖人」の力が弱まる世紀の変わり目であり、今までも三度復活していた。しかし、その度に明智家によって討伐され、人々から魔の脅威は退けられていたのだ。
四度目の復活となる今回、その伝説の舞台の役者として、明智家でもっとも実力のある十児が討伐に選出されるのは必然であった。
ぐつぐつと煮え滾る激情を冷静な顔で蓋をし、明智十児は街を歩く。この霧の中心部に、信長の「魔城」が構えられている。そして、その中に因縁の敵は潜んでいるのだ。
魔城とは繭とも言えるだろう。信長は魔城の中で力を蓄え、その後外界に侵攻するものだと明智家には伝わっている。魔城の発生が確認されてから二十四時間は過ぎた。猶予がどのくらい残っているかは不明であるため、迅速に信長を討たねばならない。
「あれが俺たちの目指す魔城……!」
十児が霧の中に聳える異質な建造物をしっかりと見据えた。
霧が薄くなり、魔城はくっきりとその姿を浮かび上がらせ、存在感を放つ。
立派な鯱が向かい合う屋根瓦。最上階の天主部分は黄金の色で染められ、その下の階は八角形状となっていた。豪華絢爛の四文字が輝く、桃山美術を反映された上階。それは、紛れもなくかつて信長が築城した安土城と瓜二つな外見だ。
だが――この魔城の異質さは、天主より下にあった。
本来なら石垣や漆喰の施された、一階から四階があるべき部分。
そこには、現代の建物がそのままどんと存在していたのである。
長方体状の建物。ベージュと灰色の長方形を組み合わせたカラーリングの外壁は、石垣と呼べなくもないかもしれない。
しかし、その建物にははっきりと「名前」が書かれていた。
JUSCOと――
「ジャスコだ」
魔城をしげしげと見たルゥナがぽつりと呟いた。
「ああ、この目で見るまで信じられなかったが、調査部の報告は間違っていなかったというわけだ」
ジャスコ。それは日本全国に展開されている総合スーパーの名称である。衣食住に関わる商品はもちろん、書店やフードコート、ゲームセンターなど様々なテナントが設けられており、休日には主に主婦層によってレジが混雑することでもお馴染みだ。創業者である岡田卓也の持論――「狸や狐の出る場所に出店せよ」の通り、都市部ではなく郊外に多く出店しているのも特徴的である。
ジャスコの上に、安土城の天主部分が生えていた。
そう表現するしかないのが、この現代に蘇った信長の城なのである。
十児は悪夢を見ているような気分になった。
魔城は城主である信長の魔力によって再構成され、顕現すると伝わっていた。その内部もまた信長の魔力によって異常な空間となっており、様々な魑魅魍魎が蔓延る地獄のような空間だとも聞いていた。そのため、子供のころから毎日魔城で戦うイメージトレーニングを繰り返してきた。
だが、実際に現れたのはジャスコと合体した奇妙な城だったのである。
「どうせならさー。琵琶湖の上に魔城を生み出すとか、そういうのなら絵になるのにねー。悪趣味にもほどがあるっしょ。なんつーか、まめっち目指してたらくちぱっちになっちゃったって感じ?」
ふうと息を吐くルゥナ。彼女もまた、任務先がジャスコであるとはまったく想像していなかったのだ。
「ありゃさしずめ『ジャスコ城』って感じー? まさに悪魔合体だねー」
十児はグローブに包まれた拳を握り締め、決意を露にする。
「ふざけているとしか思えない。だが、信長は何度も蘇っては俺の先祖が斃してきた。その末に、何か対抗策を生み出した可能性もある」
ぎらりと一層眼光を研ぎ澄まし、天主を見つめ、
「『敵は本能寺にあり』……とは、実際に光秀公は言わなかったとされている。だが、俺はあえて言おう」
偉大なる先祖に思いを馳せながら、十児は叫んだ。それはある種の宣戦布告だったとも言えよう。
「敵はジャスコにあり! 行くぞ、ルゥナ!」
「いえっさ!」
可憐な花びらのような唇をほころばせ、ルゥナは応えた。
身を屈め、霧の街を駆け抜ける明智光秀の子孫十児とギャルルゥナ。
二人の地獄のような時間は、ここから始まったのだった。
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