ジャスコ城ノブナガ

アルキメイトツカサ

第1話 Beginning

 天も地も、地獄に繋がっているような光景であった。

 激しく燃え盛る炎が獣のように全てを蹂躙し、吠えるようにその勢いを増す。

 曇天には世界に亀裂が走るかのごとく、雲の糸のような雷が迸っていた。


 天正十年六月二日。

 京都、本能寺。


 ありとあらゆる命を吸い取り、悪鬼羅刹が蔓延る魔城と化したこの地も、二人の男の激突によって破壊され、炎の曼荼羅が広がっているのみである。

 炎の舞台の上で、二人の役者が目を合わせる。演じるは神楽ではなく、死闘であるが。


「どうしても儂の天下を妨げるつもりか、十兵衛じゅうべえ


 どんな傾き者でも押し黙ってしまいそうな凄みを利かせ、長身の男が尋ねた。凛々しい眉の下には、禍々しい三百眼が小刀のように煌めいている。その眼力だけで人を殺めることも容易いことだろう。

 しかし、十兵衛と呼ばれた男には通用しない。彼もまた裡に怒気を込め、その魔力に抗っていたのである。


「当然だ、信長のぶなが。貴様の間違った力は、この国を……いや、世界をも滅ぼす。人であることを捨て、悪魔に支配されたうつけに天下布武など天地が許さん。疾く閻魔の裁きを受けるがいい」

「クク……。魔を撫で、魔に愛された儂の力を思い知ることになるぞ」


 魔の瘴気を纏った男――信長は裂けそうなほど口角を吊り上げ、鋭利な牙を剥いた。

 織田信長。この地においてその名を知らぬ者はいない天下人。

 天下統一を目指し、ありとあらゆる戦に勝ち続けた野心の男。

 だが、その武力には人ならざる力が隠されていた。信長は西欧文化を吸収する最中、この物質界とは異なる世界――魔界と契約を交わしてしまったのである。悪魔に魂を売り、魔の才能を発揮した信長はその絶大な力で人々を支配することを決め、日本の中心である京都に魔城本能寺を築き上げたのだ。

 しかし、闇があるからこそ、〈光〉もまた瞬きを得る。

 魔王信長を討つべく、一条の光がこの大地に降り注いだのだ。


 それこそが明智十兵衛。またの名を、明智光秀。彼もまたこの地にその名を轟かせる武将。そして、聖人の加護を得て、悪魔を狩る力を手に入れた戦士であった。堂に入った貫録と風采の持ち主であり、その鍛えられた肉体は果実のように瑞々しい。まさに、悪魔に対抗するために神が遣わした使徒のようであった。

 麦のように輝く金の髪が熱風を浴びて浮かび上がり、首飾りの十字架が躍動する胸板に呼応して揺れる。十兵衛は怒りに頬を震わせた。


「魔に愛されただと……?」


 憤然とした顔で十兵衛は愛刀である【近景ちかかげ】を縦に構えた。反り立つ刀身。鋭い切っ先。それはまさに夜空の闇を切り裂く三日月のようだ。さらに脇差の【貞宗さだむね】を横一文字に添える。二尺二寸五分と一尺五寸の刀身が炎を受けて神々しく輝く。まさに魔を滅する十字架を連想させるような構えであった。

【近景】と【貞宗】――聖人の加護を受けたこの世に二つとない名刀。これこそがありとあらゆる魔を屠った十兵衛の武器である。


「ならば俺は、その魔を断つ刃となろう!」


 十兵衛――光秀が肉体を唸らせ大きく吠えた。森羅万象に顕在する自然の力――霊力をその身に宿し、刀身に集中させる。二振りの刀の輝きが増し、悪魔を炙る聖火のような熱をも帯びていく。


「儂の魔の力に、恐怖するがいい……十兵衛!」


 魔王が脱皮した。人の姿を捨て、魔人に変化したのである。毒蛇を連想させるような禍々しい紫色の肌と、蝙蝠のような羽を生やしたその異形の姿に、もはや信長だったころの面影はない。


「覇ッ!」


 信長が手を振れば、火山が噴火するかのように火柱が迸る。触れるだけで骨すら溶かしそうな獄炎であった。しかし、光秀は怯むことなく猪のように猛進する。


「魔の力に溺れた大うつけめ」


 戦意をぎらつかせ、光秀は両手の刃を悠然と輝かせる。


〈明智流滅却術・陰陽十字斬〉


【近景】と【貞宗】を交差させ、発生した聖なる斬撃がありとあらゆる悪魔を滅する必殺の技であった。


「ガッ……」


 胸に十字架の傷が走り、信長は呻く。さらに光秀は斬撃を浴びせ続けた。その衝撃は凄まじく、本能寺の瓦礫が吹き飛び、巨大な亀裂を大地に刻むほどだ。

 全身全霊を込めて光秀は愛刀を煌めかせ、斬り続けた。

 信長の魔力によって生み出された悪霊が数多くの村を滅ぼし、罪なき女子供が殺された。そして光秀が愛する妻、煕子ひろこも信長の瘴気によって病にかかり、先立ってしまった。

 彼らの無念を刀に乗せ、光秀は野獣のごとく吠え続けた。

 しかし、このまま絶命しては魔王ではない。


「小癪なッ!」


 信長の丸太のように太い腕がしなり、魔拳が光秀の脇腹を激しく打った。常人なら塵にも還りそうな一撃だが、光秀は奥歯を噛み締め耐え抜く。


「ぐッ……」

「儂はこの魔界の力で全てを支配する! そして、あらゆる神を排除するのだッ!」


 信長が魔力を集中させると、宙に激しくうねる球が生まれた。夜を凝縮したかのような不気味な魔弾である。その瘴気に触れただけで人は理性を失い、発狂死することだろう。


「十兵衛、死ねぇ!」


 信長が毬を投げるように魔弾を光秀目掛けて射出。光秀は熱の篭る瓦礫を踏み抜き、突貫した。


「信長ああああああああッ!」


 刹那。紫の血飛沫が噴出する。

 乾坤一擲の十字が魔弾を切り裂き、そのまま切っ先が信長の胸を貫いたのである。


「クク……。やるな、十兵衛。だが……魔の力を得た儂は……死をも克服する……」


 致命傷を負ったものの、信長は魔拳と魔弾を連携させ、光秀に抗い続けた。

 光秀はその悉くを回避し、反撃の太刀を信長に浴びせる。


「人から憎悪の心が消えぬ限り、儂は何度でも蘇る! だ! その世まで、人である貴様は追って来られまい」


 揺らめく炎の中で悪魔がどす黒く微笑む。

 魔王となった信長は何度でも蘇る。まさに厄災である。定期的に嵐や地震が大地を襲うように、ここで信長を斃したところでそれは仮初の勝利でしかないというのだ。

 それでも光秀は絶望せず、心の中で聖光を放ち続け、毅然とした顔で答えた。


「ならば十字架を胸に誓おう。我が明智は、信長を殺すための血族となることを!」

「クハハハ! 明智……十兵衛―ッ!」


 鋭い爪を研ぎ澄まし、悪魔となった信長が光秀の首を狙う。


「このが、貴様を必ず殺す! 貴様の心を折るまで、魂を削り取るまで、に!」


 硬く鋭い音が響き渡った。

 光秀の手にした【近景】と【貞宗】が光輝き、十字の軌跡を結ぶ。

 地上最強の生物と化した二人の覇気を浴び、曇天が鳴き始める。

 恵みの雨とも、賛美歌とも受け取れる雨を大地に落とすのも、時間の問題であった。


 これが、信長と光秀の最後の戦。

 そして、信長と明智家との因縁の始まり。

〈本能寺の変〉である。

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