▲1三 写真

「吉田さん、部活紹介の冊子ってまだあります? 4月に配られたやつ」

「んあ? ああいうのは捨てないぞ」「ドライアイスで金魚凍らせた写真が載ってるのだろ?」「それ去年でしょ」「どこでしたっけ」「額田部長なら知ってるはずだけど」


 科学部員たちが口々に反応を返してきた。声からして5人はいる。黒木さんを含めても既に5.5名。羨ましい限りだ。


「で、その部長は?」

「さぁ。俺たちを呼んでおいて雲隠れしてる」


 壁の向こうで呆れ顔の吉田さんが見える気がした。しかし、そんな彼のぼやきに呼応するかのように、廊下から足音が聞こえてきた。


「あ、額田部長。何サボってるんですか」

「悪い悪い。トイレに籠ってた」

「大丈夫でしたか?」

「何とかな」


 化学準備室の摺りガラス越しに、廊下側に人が立っているのが分かった。なるほど、確かに背格好や性別ぐらいなら扉越しにでも分かる。僕が来た時のように、吉田さんが実験室の方から顔を出して会話しているようだ。


「丁度良かったです。部活案内どこでしたっけ。黒木が探してて」


 吉田さんがそう言うと、黒木さんが立ち上がって準備室の扉を開けた。突然予期しない扉が開いたことに驚いたのか、額田部長は反射的に一歩下がり、持っていた通学鞄を落とした。


「あ、すみません」

「いいよ、何も入ってないから。それより、お客さん?」


 僕は額田部長に会釈をした。いかにもなマッドサイエンティストを想像していたが、見た目は普通の男子生徒だ。小柄で髪がやや長い。上級生ではあるが、埃を払っている通学鞄がうちのものでなければ中学生にすら見える。


「将棋部のミニ会議です。冊子の場所、分かります?」

「ええと、確かあの手のものは、蛙子ちゃんの下の引き出しにあるはず」


 額田部長が答えた。


「蛙子ちゃん?」

「そこにいるでしょ」


 黒木さんが半分になったメロンロールで指した方向を見ると、壁に敷き詰められたガラス棚の一つに解剖された蛙の標本があった。薄暗くて判然としないが、臓腑を開いた状態で何かしらの液体に漬けられている。メスなのは聞かなくても分かる。


「それじゃ、ごゆっくり。あ、もし興味があるなら、黒木みたいに兼部してくれてもいいから」

「それはまぁ、考えておきます」


 愛想笑いで返すと、額田部長は軽く手を挙げて実験室の方に入っていった。

 黒木さんが蛙子ちゃんの前に移動する。そして、さっさと引き出し開けた。僕も腰を上げて覗き込むと、パステルカラーの小冊子がずらりと並んでいた。どうやら活動報告やイベント案内などがまとめられているスペースのようだ。


「確か部員の集合写真が載っていたでしょ。私は最初から入る部活を決めてたから真剣に冊子を見てないけど、矢吹君は見た覚えない?」

「実は僕も見てないんだ。気が付いたら強制連行されていたから」


 僕は思い出す。始業式の終わり、体育館から教室へ戻るまでの渡り廊下を取り囲むようにして各部がこれでもかと声を張り上げていた。強引な部員勧誘の嵐を逃れ、何とか新校舎まで辿り着く。ふと見上げると、連絡掲示板に力作ぞろいのポスターが所狭しと貼られていた。その中に、ぽつんと詰将棋があったのだ。詰将棋だ、と認識したその瞬間、後ろから肩を叩かれた。


 やぁ一年よ、将棋が好きなんだろ。ああみなまで言うな。詰将棋を見つけて反射的に目を動かした。それだけで指す側だと分かる。全身から煮えたぎるかのような将棋愛に火傷してしまいそうだ。これが若さか? いいぞ、その迸る情熱、存分にぶつけてくれて構わない。さぁそうと分かれば早速一局指そうじゃないか。あ、こら、逃げるな。宝ぁ! そっちに行ったぞ! 捕まえろ! フハハハハもう遅い! 名付けて『飛んで火にいる将棋の徒』作戦だ!


 高らかに言い放つ高槻部長の堂々とした態度、その場を離れようとした僕を羽交い絞めにした宝さん、それを憐みの目で見つめる他の先輩たち。結局、そのままの流れで入部してしまった。


「ああ、やりそうね。あの人なら」


 僅かに笑った顔で、黒木さんは僕に部活紹介の冊子を手渡した。今年の分だ。調べろ、ということらしい。反抗する気もない僕は粛々と冊子をめくり、将棋部の頁を探した。文化系は後ろのはず。科学(化学)部を発見。サイエンスとケミストリーで合同らしい。部活紹介の写真では、額田部長を中心に全員が白衣を着て、各々フラスコを掲げたり薬瓶を抱きしめたりしている。その集合写真は、どことなく『最後の晩餐』に似ていた。


 さて、か行だから、将棋部はもう少し後ろだろう。化石発掘愛好会。機械工学愛好会、続けて機械電子工作部……何が違うんだ? けん玉愛好会、コーラス部、コンピュータ部、茶道部、手芸部。


「あった」


 将棋部。

 集合写真も載っている。写真には8人の生徒が映っていた。


 中央で左手を腰にあて、天に伸ばした指先で王将を掲げているのが三年生・高槻崇文部長だ。あちこちに飛び跳ねる癖っ毛が印象的だが、何より目力が凄い。カメラを睨む様にして口元だけがニヤリと笑みを見せている。オールラウンダーで、奇手・新手・定跡破りが大好き。僕は一度も勝てたことがない。


「高槻さん、眼鏡してないね」

「元々はコンタクトなんじゃない?」


 受験勉強で視力が落ちたから眼鏡をかけ始めた、と宝さんが言っていた。


 その右隣、ノリノリで膝をつき、両手をクロスさせて金将を持つのが次期部長、自称将棋部のアイドルにして僕に無理難題をふっかけた二年生・宝稔子先輩。トレードマークは赤縁眼鏡だが、写真が白黒なので色までは分からない。振り飛車党でカウンター型。一度攻め始めるとさながらガトリング砲のように全弾撃ち尽くすまで手が止まらない。棋風って見た目以上に性格が出るんだなぁと僕に思わせてくれた人だ。


「宝さんは変わりないな」

「スカートが今より長いよ」


 黒木さんがコメントする。全く気付かなかった。当時は一年生だから大人しくしていたのか。


 更に右、飛車を心臓の位置に置く短髪で背の高い人が二年生・熊田直道先輩。剣道部と兼部をしていて、クマと渾名されている通り将棋ボクシング(将棋とボクシングを3分間ずつ繰り返す前衛的競技)でなら文句なく最強だ。居飛車党で、将棋の純文学たる矢倉はまだ死んでいないと強く主張するが、最近相掛かりに浮気している事を僕は知っている。


「坊主じゃない!」

「クマ先輩、髪があると人相変わるね」


 今は坊主なのだ。身体が大きく筋肉もあるので厳ついのだが、短髪だとどこかスポーツマンらしく好青年に見える。


 その右、やる気がなさそうにだらりと下げた左手で桂馬を摘まむ髪の長い人が二年生・恐山政璽先輩。部室にあまり顔を出さず、たまにフラっと現れては数局指して帰っていく。無口なので何を考えているかいまいち分からないが、将棋は多様で相手の戦法に合わせて戦型を変えてくる。


「ピアスもチェーンもしてないな」

「部活紹介だから外したんでしょ」


 写真の右半分に映るこの5人は知っている。

 しかし、部長の左隣には僕の知らない人物が三人も映っていた。黒木さんも反対側から覗き込んでそれに気付いたらしく、僕は冊子を反転させてしばらく眺めてもらったが、やがて小さく首を振った。彼女にとっても見覚えのない人物らしい。 


「この人、外国人?」


 見知らぬ三人のうち部長の隣の男子生徒は、明らかに日本人の顔つきではなかった。まるでモデルのような端正な顔立ちとスタイルで、白黒写真だが、恐らくは金髪だ。颯爽と直立して顔だけが斜めを向いている。歩兵を額に当てて祈るようなポーズをとっていた。


 その左、眼鏡をかけた男子生徒が角行を指に挟んでピースをしている。

 最後に左端、髪をサイドテールに結び、香車を掌の上に乗せた女子生徒。左側の二人は、金髪の男子生徒から間隔を一つ空けて立っていた。


「部活紹介の写真は1月か2月に撮るはずだから、左側の二人は当時の三年生でしょうね。もう卒業しているはず」


 黒木さんが人差し指と中指を左側の男女の上に置いた。


「どうして分かるの?」

「ほら、左側の二人はスリッパの色が他の人たちと違うでしょ。多分、私たちと同じ紺色。今は一年生の色だけど、この写真を撮った当時は三年生が紺色だから」


 なるほど。そう考えると、彼らが他の生徒たちと一歩距離を取っているのも頷ける。部員が少ないと見栄えが悪いので、入ってもらったのかもしれない。


「そして、多分この人がハンナさんのお兄さん」


 黒木さんは部長の隣に立つ金髪の男子生徒を指さした。


「え、どうして分かるの」

「だってハンナさんのご両親はポーランド出身だもの。この人以外、ありえないでしょ?」

「え、じゃあ二条さんって」 

「ポーランド生まれ。幼少まではポーランドで、小学校の途中から日本育ち」


 言わなかったっけ、と黒木さんは小首を傾げた。

 聞いてない。

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