▲7一 誘拐
二条ハンナが出席した文化祭実行委員会は、穏やかに終了したらしい。
まだゴールデンウィークが明けたばかりで、夏休みすら遠い。決めることは大雑把。役割決めも形式的だった、と電話で僕のクラスの文化祭実行委員は話した。クラスの連絡網から急いで探し当てた日野君と通話するのは初めてだったが、彼は気にする様子もなく応じてくれた。
「1時間以上かかると脅されたんだけどな、実際は30分もない」
「あのさ、二条ハンナさんって知ってる? そこにいたと思うんだけど」
「ああいたよ。前の方に座ってた」
「今、探しているんだ。委員会の後でどこに行ったかは知らない?」
「流石にそこまでは。帰ったんじゃねぇのか」
「そうかもしれない。ありがとう助かった」
お礼を伝えて通話を切る。黒木さんもあちこちに連絡しているが、二条ハンナはまだ見つかっていない。しかし、これで少なくとも彼女が委員会に出席していたという確認は取れた。
日中、僕はハンナさんから今日は委員会がある旨の連絡を貰っている。日野君が言うには、文化祭実行委員会は年によっては最初から揉めに揉めて長引くこともあるので、予め長めに時間設定をされたようだ。ハンナさんはそれを受けて、僕たちに今日は行けないと連絡したのだろう。この時点で、彼女のスマホが本人の手元にあったのは間違いない。
「やっぱり警察に通報した方がいいかな」
黒木さんが言った。将棋部の部室に椅子は幾らでもあったが、僕たちは立ったまま話していた。とても腰を落ち着ける気にならない。
「事件性があるかどうかまでは分からないよ。身代金の要求があったわけでもないし」
「でも、絶対におかしいよ。知らない人が通話に出るなんて」
「それはそうだけど」
現段階で警察に通報しても取り合ってくれるかどうかは怪しい。何しろ、同級生と連絡がつかないだけなのだ。深夜まで帰っていないならともかく、まだ六時前である。直前まで学校で目撃されているし、どこかに寄り道している可能性だってある。
「そうだ。矢吹君、バルトシュさんの連絡先分かる?」
「いや交換してない。どうするの?」
「家族のスマホからなら位置情報が分かるかも。紛失した時とかに探せる機能があるの。ハンナちゃん前に門限やルールが厳しくて大変って言ってたから、契約しているかもしれない」
「でも、電源を切られているかもしれない。オフラインモードにされたり」
「舌打ちしたのが誘拐犯なら他に連絡されていないか必死で探すでしょう。反応も気になるだろうし、しばらくは付けていると思う。あと、位置情報はビーコンを拾ってるから大丈夫」
ビーコンって何と訊きたかったが、既に黒木さんは誰かに電話していた。口調からすると将棋部の先輩の誰かだろう。「誘拐されたかもしれないんです」と言う彼女の声は少し震えていた。
バルトシュさんの電話番号を教えてもらい、面識のある僕が電話することになった。2回コールが鳴り、通話が繋がる。
「バルトシュさんですか、矢吹です。今日、お昼にお会いした」
「ああ、君か。知らない番号だったから誰かと思ったよ」
「すみません番号は先輩に訊きました、あの、今どちらにいらっしゃいますか?」
「どこって、教室だよ。友達と勉強していた」
「あの、大変なんです。いや、大変かどうかまだ分からないんですけど、ハンナさんから電話があって、それがすぐに切れてしまって、連絡がつかないんです。知らない人間が一緒にいたから、その、もしかしたら誘拐されてしまったのかもしれなくて」
上手く状況を説明できない。客観的に見れば異常な心配をしているのは僕たちの方なのかもしれない。
「緊急事態なのは伝わったよ。今、どこにいる?」
「将棋部です」
「じゃあ、そっちに行こう」
三年の教室からなら数分で到着するはずだ。しかし、通話が切れた瞬間、いきなり扉が開かれたので僕は驚いた。
「ハンナちゃん見つかった?」
宝さんだった。真剣な眼差しの問いに、黒木さんが無言で首を振る。さっき黒木さんが連絡した先輩は、どうやら宝さんらしい。
「今、バルトシュさんを呼びました。位置情報を掴めるかもしれないので」
「誘拐かもしれないって言ってたけど、どういうこと?」
宝さんの疑問に答えるため、僕はあらためて状況を整理して話した。
ハンナさんのスマホから発信があり、黒木さんが応じたものの車のエンジン音が聞こえるだけだった。通話状態のまま、しばらく声をかけたが向こう側からハンナさんの声は聞こえず、誰かが舌打ちと共に通話を切った。
ここから推測できることは何か。
日中、ハンナさんがスマホを持っていたことを踏まえると、落し物を誰かが持ち去った上に誤操作したと考えるより、ハンナさん本人が車に乗った状態で発信してきたと考えた方が自然だ。ましてハンナさんはスマホに指紋認証ロックをかけている。
つまり、彼女は車の中にいる。高校生は運転できないから、車内には最低でも運転手とハンナさんの二人以上が存在する。運転手は確実に桜場高校の生徒ではない。十八歳以上の、何者かだ。
また、通話を切る際に舌打ちをしたという事実から、黒木さんへの発信は恐らく運転手ないしは同乗者の意図しない通話だったと分かる。外部と連絡を取られたくなかった苛立ちの表れだ。従って、発信を行ったのはハンナさんだ。
アプリからの通話は名前欄やアイコンをタップするだけで可能だから、僅かな指の動きだけで実行できる。目立つ動きではないが、彼女を常に監視している人物がいたら流石に気付いて止めたはずだ。この事から、恐らく車内にいるのは運転手とハンナさんの二人ではないか。
運転手の目を盗んで、あるいは運転で手が離せない隙にハンナさんはスマホを操作し、黒木さんにコールを行った。これが可能だったわけだから、彼女は縛られていないし、目隠しもされていない。そして、運転席から目視の範囲にある助手席に座らされている可能性が高い。
僕は一挙にそこまで喋った。自分でも言葉にしながら考えていた。
「状況だけで、よくそこまで推理できるね」
宝さんが感心したような声をあげたので、僕は慌てて否定した。
「蓋然性の高いものを並べているだけです」
「でもさ、誘拐した相手を助手席に座らせていたら危なくない? 窓を開けて大きな声で助けを呼ばれるかもしれないし」
「通話状態のスマホから黒木さんの声が漏れ聞こえて、すぐにハンナさんのスマホを取っているから後部座席では難しいと思います。視界から完全に外れているなら、ハンナさんはメールでも連絡できたはずですから」
宝さんが呻る。納得できるような、できないような。そんな表情だった。僕にだって確信があるわけではない。けれど、もし最悪の想像が当たっているなら一刻を争う事態だ。確からしい理屈を重ねて指し続けるしかない。
「座ったのが助手席なら、きっと相手は顔見知りね。ハンナちゃんを車に押し込むなんて目立つし、暴れられたら男の人だって無理でしょう。ハンナちゃん地下鉄だから学校から駅まではずっと人目があるし」
黒木さんが言った。運転手の膂力は不明だが、女子高生一人を問答無用で引っ張り込むのは考えにくい。
「多分そうだ。委員会が終わった後で、ハンナさんは下校中に誰かと会って、その人の車に乗り込んだ。駅まで送っていくとか、何かご馳走するとか、気を引く話題を振ったとか、それらしい理由を付けて車内に誘い込み、車を発進させた」
この国で彼女の容姿は非常に目立つ。ピークからずれているとはいえ下校中の生徒はいただろう。大胆な行動は難しい。今日が晴れていれば、誰か目撃していたかもしれない。しかし、今日は雨。薄暗い曇天の下、傘をさしたままでは彼女の髪も顔も隠れている。人目をやり過ごして事を運ぶには絶好の日だ。
「待ってよ。顔見知りの助手席に乗ったところまではいいけど、その後が変だよ。ハンナちゃんが運転手の様子がおかしくて不安になったとして、どうして黒木にコールするの。普通は警察じゃない? それに、通話がバレてスマホを取られた時に、何の声も聞こえてこなかったのはなんで? スマホ取られそうになったら抵抗ぐらいするでしょ」
宝さんが首をひねった。確かにそうだ。まだ説明できない箇所は山ほどある。
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